第25話『森に喰われる』
金歴553年早春。北風に逆らいながら、ウッド軍二万人はダヴィ軍が工事する地域へと進軍した。その兵士の大半は、西の地域から徴兵されている。
「おい、なんで俺たちが行くんだよ。東の奴らが行けばいいだろう」
「国王様が率いているとはいえ、今回はサンデル様が主体の軍隊だ。仲の悪い北や東の貴族をあえて排除したって話だぜ」
「面倒なことをするもんだ。森に慣れていない俺たちを連れて行って、どうするんだよ」
「そんなことを言うなら、ダヴィ軍の方が慣れていないはずだ。まあ、森に誘い込んで、適当にあしらったら、それでおしまいよ」
「だな。この偉大な森が、俺たちを守ってくれるさ」
そんな兵士たちの予想通り、ウッド王とサンデルは森の中での決戦を
「シンが勝利した手段を取りましょう。まず道路工事をしている作業員を襲います。そしてダヴィ軍が出てきたら、森に逃げ込むのです」
戦術に自信がないサンデルたちは“勝利した”という前例を重視したかった。そこでウッド国伝統の『森の中での戦闘』にこだわる。
「森の中では我らは無敵です。そこでダヴィ軍を袋叩きにするのです。そして逃げる奴らを追い、拠点の二つや三つを落とせば、作業員たちは怯えて逃げます。道路工事を断念せざるを得なくなるでしょう」
「うむ」
ウッド王は満足げに頷いた。まだまだ壮年の彼は、これから始める戦闘への興奮で、頬が赤く染まっていた。鼻息も少し荒い。
サンデルがニタリと笑う。
「ダヴィ軍は
――*――
ウッド国の人々には松明がいらない。この暗い森でも、微かな光で進むことが出来る。冬眠している動物を起こさないように、枯葉の上をすべるように進む。
目の前の光が強くなってきた時、彼らは剣を抜いた。
「敵だ! ウッド軍だ!」
森から湧き出てきたウッド軍の奇襲に、作業員たちは斧やスコップを捨てて逃げ出した。兵士たちは涎を垂らさんばかりに、嬉々として追い始めた。
「意外と少ないぞ! 抵抗もしねえ」
「殺せ! 森を荒らす穢れた奴らを捕まえろ!」
目を血走らせて武器を構えた兵士が追う。作業員たちは逃げる道々で用意されていた狼煙に火を点けながら逃げる。
それを確認したダヴィ軍の軍旗が、ウッド軍の前方から迫ってくるのが見えた。
「早いな。もう来やがった」
「もしかして、予想していたのか? スパイでもいるのか?」
そんな兵士たちの懸念は知らずに、ウッド王たち首脳陣はほくそ笑む。
「来たか。作戦通りに動くんだ」
ウッド軍は一気に反転して、森へと消えていく。ダヴィ軍は一瞬戸惑って、立ち止まった。(来ないのか)とサンデルらが舌打ちをした時、ダヴィ軍から銅鑼の音が響く。それに合わせて、ダヴィ軍の兵士たちが次々と森へ入ってきた。
「
と言いながら丸い顔でクスクス笑うサンデルに、ウッド王も青白い顔でニヤリと笑った。
(全て、作戦通りだ)
ウッド軍の兵士たちは本能的に木の影や茂みに隠れようとした。そこで息をひそめて、森に侵入してくるダヴィ軍の死角から攻撃するのだ。
その彼らが、最初に異変を感じ取った。
「隠れる場所がない……?」
「木が伐採されているぞ!?」
明るい。木が少ない。
ウッド軍が逃げ込んだ道路周辺の森の中は、視界が開けていた。普段は密集している森に多数の切り株が並び、真新しい倒木が地面に転がる。これでは隠れる場所が少ない。
その状況でも、忠実なウッド軍の兵士は陰に隠れようとした。しかし、ダヴィ軍に容易に見つけられ、次々と討たれる。
「どうなってやがるんだ?!」
ダヴィ軍は無為に工事を見守っていたわけではない。彼らは木を間伐しながら、森で訓練を続けた。戦闘の専門家として普段から鍛えられていた常備軍の飲み込みは早く、一冬を越す頃には密林での連絡手段も確立した。
その能力は、元々森に慣れていないウッド国西部の兵士を
「どうだ! この前のお返しだぜ!」
「おいらたちも遊んでたわけじゃないんだよお」
へへへ、とライルとスコットの不気味な笑みが、木漏れ日の中に浮かんだ。彼らと一緒に、ウッド軍を待ち構えていたアキレスやノイたちが突撃する。
「待ちかねたぞ!」
「今度は迷わない……」
ミュールやマセノも続く。ダヴィ軍の猛将たちが一気に攻め寄せ、森に広く展開していたウッド軍を各個撃破していく。人間たちの悲鳴により、冬眠していた動物たちが起こされる。春の花が開く前に、赤い血が森を彩る。
「なぜ負けているのだ!?」
ウッド王の悲鳴が響く。このヴィレン大森林では、ウッド軍は無敵のはずだ。なのに、どうして……。
「分からない、分からない!」
ウッド王がいくら声を上げても、戦局は悪化するばかりだ。サンデルたちは顔を真っ青にしてウッド王に進言する。
「逃げましょう! すぐに奴らが来ます」
「だ、だめだ……サロメに約束したんだ……」
「そんなことを言っている場合ではありません! 陛下のお命が危ないのです。さあ!」
ウッド王を無理やり馬に乗せて、サンデルたちは一目散に逃げだした。本陣が崩れたことを受けて、ウッド軍の陣形は壊滅する。
「た、たすけて! 誰か!」
ウッド軍の兵士の嘆きがこだまする。その兵士の背中に槍が突き刺さり、その声は沈黙する。声が一つずつ消えていく。
森は、彼らの味方ではなかった。かつてウッド国への侵略を食い止めていたのは、森ではなく、森に順応した彼らの先祖だ。先祖たちは森をよく理解し、森はそんな彼らに応えた。そして今、森を知ろうとしなくなったウッド軍に対して、森は愛想をつかしたのである。
走っても、走っても、森が続く。ツタが身体に絡まり、木の根に足を取られる。後ろからは槍や矢が迫る。死がまとわりつく。
「出口はどこだ? 早くしないと、森に
ウッド王たちも恐怖に支配されながら、必死に首都を目指した。森の中での戦闘に自信をつけたダヴィ軍は追撃を続ける。作りかけの道路の上で、車いすを転がすジョムニの檄が飛ぶ。
「ウッド王を捕らえるのです! 地の果てまで追いかけましょう!」
ダヴィ軍はウッド王に追いすがった。虎が手負いの鹿を捕まるように、何度も攻撃を仕掛けられ、その度にウッド王の周りから騎士が消えていく。
「早く! 早く!」
「ワシャワへ!」
その言葉だけを頭に浮かばせて、ウッド王は汗と泥にまみれながら逃げる。森に守られているためか、ウッド国には大きな城壁を持つ街が少ない。ダヴィ軍の猛攻に耐えられるのは、ワシャワ城だけだろう。その考えが念頭にあったので、彼らは道中の小さな街には見向きもせず、首都へと急いだ。
途中、馬が疲れ果てて転ぶことは多々あった。その度にウッド王は地面に投げ出されて涙目になる。だが、側近たちは急かすだけだ。
「早くしてください! 敵が迫っています!」
ウッド王は顔の泥を
そして、彼らは賭けに勝った。
「ワシャワだ……」
今まで、これほどこの街が恋しかったことがあるだろうか。ウッド王たちは感涙にむせびながら、ワシャワの城門をくぐった。
王が帰還した。その報を聞いた住民たちは王の姿を見ようと、集まってきた。が、その姿に悲鳴を上げる。
「なんてお姿に……」
(まるで罪人じゃないか)
「残りの兵士たちはどうしたんだ?」
二万人の兵士で出陣したはずだ。それなのに、ウッド王と一緒に帰還したのは、せいぜい数十人だ。
後から来るのだろうと、王が通り過ぎた後、人々は話し合う。ところが兵士たちは一向に姿を現さなかった。誰も帰ってこない。家族や友人がこの軍に加わっていた人々の顔から生気が失われる。
大敗北。その事実をワシャワは受け入れ始めた。
ウッド王は周囲の心配や不安に気を配る余裕はなく、疲労と安ど感から、すぐにベッドへ寝込んだ。
(これで大丈夫だ。これは悪い夢だったんだ)
ところが彼の疲労が回復する前に、朝早くに起こされた。頭が回らない彼に対して、側近たちが悲鳴のような報告をする。
「城の外をご覧ください!」
「なに?」
ウッド王は白い寝間着のまま、城の高台へと登った。息が白い。朝露に濡れた石の階段に滑りそうになりながら、彼らは高台の頂点にたどり着いた。
そこから見た光景に、ウッド王の心臓の鼓動が早くなる。
「ああ……」
ウッド王は足から崩れ落ちた。側近たちは彼を助けることなく、顔を青ざめさせて同じ光景を呆然と見つめる。
広大なワシャワ城の周りを、朝日に照らされた黄金の森を抜けた平野に、黒い粒のような兵士たちが囲んでいた。うごめく彼らは、ダヴィの旗印を掲げる。
(早く、夢から覚めてくれ……)
ウッド国の春は早い。大陸東部から吹く風に起こされて、花々が開く。そして人間も動物たちも長い冬を越したことへの喜びをかみしめる。そんな瞬間がもうすぐ訪れるはずだった。
しかしながら、ワシャワに訪れたのは、春を告げる風ではなかった。風よりも早く、だれも望んでいない者たちが、人々の希望を奪う。
死を告げる兵士たちがやって来たのだ。
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