第24話『いつもと違う風』

 気持ちが悪い。


 こんな気分で年を越したのは、初めてだ。新しい年を迎える明るい催し物はいくつも行われているが、どことなく暗色が入り込む。ウッド国の首都・ワシャワは明るい空の奥に、黒い雲をいつも感じていた。


 この頃、ウッド王の酒量も増えた。片時も手から杯を離すことなく、目は四六時中据わっている。その杯を投げ捨て、周囲に怒りをまき散らすのもしばしばだ。


 彼と、この国全体を懸念させているのは、ただ一つ。


「一体、いつになったら、奴らは諦めるのだ!?」


 北から伸びてくる一本の道。ダヴィ軍の戦略道路がワシャワへたどり着きつつある。それこそが彼らにとっての心配で、恐怖そのものだった。


 ウッド王の乱行をいさめに来たサンデルに対し、逆にサンデルを叱りつける。青髭がいつもより伸びる顔を歪ませ、ウッド王は叫ぶ。


「ダヴィの企みは無謀ではなかったのか! すぐに工事を断念すると申したではないか!」


「それは……」


「それなのに、奴らはすでに半分以上完成させた。春にはここまでたどり着くではないか!」


 ウッド王たちも、シンと同じように、ダヴィのたくらみを当初は鼻で笑った。歴史上、それをやり遂げた外敵は存在せず、深淵しんえんなるヴィレン大森林にはばまれるだけだ。サンデルは言い訳する。


「ダヴィめは、民衆を騙し、信じられないほどの大人数で工事を進めています。いずれは財政破綻するかと……」


「その確証はあるのか!」


「…………」


「馬鹿め!」


 平身低頭するだけのサンデルに対して、ウッド王は言葉を吐き捨てるしかなかった。彼は酔眼を向けて命令する。


「兵を出せ! 神聖なるヴィレンの森を切り拓く不届き者を蹴散らせ!」


「何度も出しております! ただ、その度に撃退されております」


 サンデルは何もしなかったわけではない。親密な貴族たちと協力して、度々奇襲を仕掛けていた。森の中を隠れて進み、弱い作業員を狙って攻撃する。


 しかしながら、ダヴィ軍の方が一枚上手だった。技術担当のワトソンは道路敷設分よりも幅広く森を切り拓き、視野を確保した。攻撃を受けても、すぐにアキレスやミュールが気づいて撃退し、逆にウッド軍に被害が出る始末だ。


 さらに途中途中に拠点を築き、夜はその中に籠る。その拠点には商人や職人も集まり、自然と街が形成されていく。最盛期には万を超える人々が各拠点に住み着いたという。


 こうなれば、ウッド軍も容易に手が出せない。


「作業員に武器を持たせれば、あっという間に十万近くの兵士が出来上がります。私どもの千人足らずの兵士を向かわせても、皆殺しにされるだけです。現に、反撃を受けて、かなりの被害が出ています」


「そんな規模なのか……」


 今まで高名な戦術家から教わってきた戦術とは全く違う。決戦も一騎打ちもなく、土木工事で相手を追い詰める。ウッド王は叫ぶ。


「こんな戦術、あってたまるか!」


 サンデルたちも同感だ。しかしそれに異を唱えても、現状は変わらない。


「ここに至れば、もはや我々だけでは太刀打ちできません。陛下に号令して頂きたいです」


「指揮官はどうするのだ。シンは?」


 サンデルは口をつぐむ。彼ら文官は基本的に軍を率いない。軍を率いるのは、彼らが排除してきた武官たちだ。ウッド軍に奇襲を仕掛けた時は、部下に任せていた。


 シンを謹慎させた。ここで呼び戻すのは、謹慎処分が間違っていたと認めることになる。ウッド王は気づいた。


「私に率いろというのか……」


 北から流れ込む不吉な風。今年ばかりは、大雪を恋しく思った。


 ――*――


 ウッド王はまだ酒が残る体を動かし、サロメの部屋へ向かった。彼女の意見を聞かざるを得なかった。侍従たちを連れて、コソコソと廊下を急ぐ。


 そして部屋の前に到着した時、中から怒鳴り声が聞こえてきた。


「どうなっているんだ! なぜダヴィを倒せない! なぜ逆に攻め込まれているんだ!」


「わらわに言わないで下さいまし! そもそもあなたこそ、何をなさっているのですか。文句ばかりおっしゃられて、何もなされていないですわ」


「なに!」


 ウッド王が扉を開く。そこには、顔を真っ赤にする教皇と、前髪を上げたサロメがいた。サロメは広げた扇で顔を隠しているが、こめかみがピクピクとさせて、機嫌が悪いことは明確に分かる。


 ウッド王は恐る恐る二人の間に入る。すっかり酔いが醒めた。


「なんでそんなに怒っているのかな?」


 老人と美女。二人の怒りの目がキリッとウッド王に向いた。


「陛下のせいで、怒っているのです!」


「わらわは不安でしょうがないのですわよ!」


「えっ? えっ?」


 困惑の表情を浮かべてのけぞるウッド王に、まず教皇・アレクサンダー6世がロッドを床にゴンゴン打ち付けながら言う。


「儂をいつになったら、ロースへと戻してくれるのだ? 時間がかかることは分かっていいます。だが! ここまで攻め込まれているとは、どういうことですか! 逆転の作戦はあるのでしょうな?!」


「うっ……」


 ウッド王はサロメの方を見て、助けを求める。しかし彼女はフイと顔をそむけた。


 白い僧服をよじらせ、教皇の指弾は続く。


「この国の責任者として問わせて頂く。この国を、世界を、どのようになされたいのか! 正円教中心の世界に戻す気はあられるのか!」


「う~ん」


 うなり声を出すウッド王は、神経質に、まばらに生えたあごひげをかく。だが、ぐわりと教皇から再び睨まれると、取りつくろった答えを出した。


「……私が直々に、ダヴィを倒す……あの道路を潰す……」


「本当ですな! その言葉、忘れはしませんぞ!」


 と言うと、教皇は足音荒く部屋を去っていった。その後ろ姿を見て、サロメは筋の通った鼻を鳴らす。


「フンッ! この国とダヴィを対立させた元凶は、猊下でしょうに。それをぬけぬけと、わらわたちに要求しかしないなんて。自分がお荷物だということが分からないのでしょうか」


「……なあ、サロメ」


 ウッド王は弱々しい声を出す。下を向いた視線は定まっていない。


「私の判断は、当たっているよなあ……?」


「分かりませんわ。わらわは政治にはうといので」


 サロメはウッド王に背を向ける。そして侍女を手を叩いて呼び、ワインとコップ“一杯”だけを用意するように命じた。


 その時、ウッド王は急に孤独さを感じた。そして衝動的に、サロメを後ろから抱きしめた。


「なっ、何をなさいますの!?」


「サロメ……抱かせてくれないか」


 自分の目を見ようとしない部下たち。責任を追及してくる教皇。そして自分をあしらう愛する人。彼の心は酒では満たされず、片隅が常に冷えているような気がした。


 サロメは肩と腕を揺り動かし、ウッド王を振り払う。そして振り向いて言った。


「変なことはお止めなさいまし」


「サロメ、私としばらく愛を育んでいないじゃないか。私に愛を感じさせてくれ。私を抱きしめておくれ」


 猫背になり、両手を広げるウッド王に対し、サロメは冷えた目を一瞬向けた。自分でもマズいと思ったのだろう。その目を扇の内側に隠すと、今度現れた表情には、いつも通りの美しい笑顔の面が張り付いていた。


「陛下、わらわはお酒の匂いがする方には抱かれとうございません。それに、今は国の危機です。このようなことをしている場合ではありませんわよ」


「そ、そうか……」


 ウッド王の腕が落ちる。崩れ落ちそうな彼に対して、サロメは黒い唇から甘い声を出した。


「ご褒美、というのはいかがでしょうか?」


「ご褒美……」


「ダヴィを倒してくれたら、いや、あの道路を壊してくれたら、陛下に抱かれましょう。三日三晩、もしくは倒れるまでずっと、愛して頂いても構いません」


「おお……」


 ウッド王は顔を上げた。聖女様を見つめるようなキラキラした目に、サロメは微笑みを与えた。彼の無精髭が伸びた顔を撫でる。


「さあ、わらわの望みを叶えて下さいな。ダヴィの首を、ここへ運んで下さいまし」

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