第1話『戦火を望むもの』

「ダヴィがゴールド国を落としたか」


 眉が無い代わりに黒い刺青が入った目をぎょろりと動かし、ペトロはイオを睨んだ。か細い体つきのイオだが、全く動じることなく横を向いた。冬の低い日の光が窓から差し込み、長い影を作る白い僧服にしわが入る。


「ゴールド王がもう少しあがくと思いましたが、あっさりと降伏しました。やはり商業が盛んな国は利に聡く、薄汚い。誇りというものが無いから名誉をさっさと捨ててしまった。嘆かわしい」


「そこを粘らせるのがお前の役割だったはず」


 とペトロはなじる。こちらも眉が無い切れ長の目で、イオは睨み返す。


「ダヴィ王の凶悪さを見抜けない阿呆二人の目を盗んでの工作です。限度があります。これでも十二分に働いたつもりですわ」


「そのためにあの二人をウッド国まで呼んで邪魔者を排除したのだ。泣き言を言うな」


「あの二人にも部下がいる。実際に外交を司る官僚一派もその中にいるというのに、それに見つからず行動する無理を知って頂きたいですわ」


 とイオが語気を強めると、ペトロはため息をついて「ぬるい連中め」と呟いた。二人とは、マリアンとトーマスのことだ。彼らはダヴィを革命家として敬意を表しているが、ペトロとイオは領土をいずれ取り合う将来の敵とみなしている。ダヴィへのとらえ方をめぐり、ハリスの部下は二派に分かれている。


 さて、彼らのボスであるハリスはどう思っているのか。


「いい気なものだ。占領したウォーター国やウッド国で美女を侍らせている。まだ戦火は燻っているというのに、パランの宮殿で優雅なものさ」


 とペトロは口をへの字に曲げる。ウッド国の王は処刑台に葬り、主要な貴族たちは投獄して財産を没収したが、ウッド国の王子やウォーター国の王は取り逃がした。百点満点の征服だったとはいえないのに、ハリスは後処理のことは気にせず、勝者にすがろうとする亡国の臣下たちから英雄と称えられて浮かれている。


 それでもイオは無条件に救世主を褒める。


「万を超える死者を出した戦いの後だというのに超然とされておられる。お強いお方。流石はゼロ様の生まれ変わり!」


 ペトロは冷ややかに彼女を見つめる。彼に宿るのは信仰心でも、世界を良くしたい真心でもない。自分を奴隷に落とした世界への復讐心だけだ。そのためにゼロに世界を支配してもらわないといけない。破壊してもらわないといけない。彼にとってゼロは道具。


 自分の野望にとって、ダヴィは邪魔だ。


「それにしてもソイル国が手を引いたとは考えられん。極北の冷血女王相手にどのような取引をしたのか……。交渉したのはダヴィの妹か」


「妹も優秀。侮れませんわね」


 ルツが自分の兄を売ったと、彼らは気づいていない。それが原因で、クリア国では今未曾有みぞうの姉妹喧嘩をしていることも。


 そんな事情は露とも知らず、東の経済大国を飲み込んだクリア国を潰さねばならない。


「力は互角とみる。こちらは世界の冠たるファルム国を主体として、大陸西側を取った。ウォーター国とウッド国は落ち着いていないが、それはあちらも同じことだ。弱点は常備軍と貴族ども。今回の戦いでも従軍して分け前を得ている。奴らが邪魔だ」


「ええ、それはマリアンたちも考えていることでしょう。いずれはファルム王共々、ハリス様に排除してもらわないと」


 ハリスはまだ『副王』という肩書で、ゴールド国の体制は従来の貴族たちに握られている。いくらファルム王を操っているとはいえ、独自の軍勢を保有する貴族から権力を奪うことは出来ずにいた。教皇を打倒したどさくさに紛れて政治体制を一変したダヴィたちとは大きく異なる。


 ウォーター国などの新たな領土を得たファルム国の貴族たちは余計に力を持ち、ハリスたちの改革を拒むだろう。時間が経過するほどその障害は大きくなり、権力を集中させているダヴィたちと差が開いてくる。彼らはそう見ていた。


「今のうちだ。我々にはホランの海賊もいる。軍勢の数はこちらが上だ。ゴールド国のうま味を咀嚼そしゃくして体制が整っていない奴らは今が弱い」


「その通りですわ。世界統一は一刻も早い方が宜しいですわ。ハリス様の御威光があれば、ダヴィに操られている聖子女や取り巻きも泣いて跪くでしょう」


 ペトロはギョッとした。白い僧服を着ているイオが、信仰の中心たる聖子女を悪しざまに言う姿は慣れない。ここには常識外の連中が集まる。


「いずれゼロ様のもとに、世界が幸福な形に作り替えられる」


 スイスト山地の貧しい地域で生まれ育ったイオは、生まれながらにして過酷な環境に生きる民衆の姿に感ずるものが大きかった。一方で彼女がわずか八歳だった時、怯える民衆を率いて村に攻め込んできた異教徒たちを撃退した際、雷を落として自分たちを守ってくれた聖女への絶対的な信仰を持っている。その恩恵を独占して自己の富を増やしている正教会の聖子女やその取り巻きたちを恨む。一度は『天使』と認定しながら、自分たちの都合が悪くなると皆殺しにしようとしたファルム国の司教や貴族たちを憎む。


 自分を殺そうとする兵士たちによって家族や自分の信奉者が串刺しにされ、美しかった髪や眉が恐怖と悲哀から抜け落ちて、太陽を信仰するのに人目を避けて夜しか行動出来ない日々が続いた。今の彼女に残ったのは、全ての人民を聖女とゼロのもとに平等に暮らせる理想郷の実現への願望だけだった。ゼロの生まれ変わりと信じるハリスは、ようやく彼女が手にした希望そのものだ。


 イオは冬の小さな太陽に祈る。純粋過ぎる心で理想を望む。


「ダヴィを殺し、聖子女を追放して、完全に正しく絶対な平等世界を実現いたします様に」


 ペトロが彼女と会う理由はダヴィ打倒の意思を共有しているだけではない。自分がまだ狂っていないことを自覚するためだ。その思いは秘めて、咳払いをして主題に戻す。


「ともかくダヴィとの戦いは急がねばならない」


「ええ、一刻も早い理想の実現のために」


「ハリス様に『その気』になってもらおうか」


 しかしそのハードルは高い。天下無双のハリスとて、この遠征続きの日々はつらいものがあった。心優しき彼は自分の軍が引き起こした惨禍に心を痛め、政治体制が崩壊した中で途方に暮れる民衆に寄り添う。そのために貴族や大商人たちから問答無用で没収した財産を民に分け与えた。奪われた貴族の悲鳴が当時の日記に残っている。


『なにがゼロの生まれ変わりだ! 強奪が救いなものか! 聖女様はなぜこの者を誕生させたのだ。わが国の歴史も名誉も未来も、あの男の夢の中に沈んだ』


 一方で降ってわいたような富の享受に民衆は歓喜した。彼らはハリスを盲目的に信頼・信仰するようになり、特にゼロ信仰を元々持っているウッド国ではハリスの肖像画を飾る教会が増えた。その代わりに、今まで自分の身分と生まれながらの待遇になんの不満を持たなかった彼らはその不幸を自覚し、虐げてきた貴族たちを憎んだ。当然、占領地に領土を獲得したファルム国の貴族にもその矛先が向く。これがハリスと、ファルム王や大貴族たちとの対立につながる遠因となった。


 話を戻して、熱烈な歓待を受けているハリスの胸に、打倒ダヴィの火を灯すには工夫が必要だ。それにはうってつけの人物がいる。


「あれに頼もうか」


 ――*――


 むせかえるような空気は、彼の寝室に常に漂っている。いびきはかかずとも、大きな寝息を立てるハリスはベッドの真ん中で大の字で寝ており、むき出しの筋肉が呼吸と同時に波打つ。乱れたシーツ。昨夜も激しかった。

朝方のこの時間は女性たちの姿はない。事が済んだら、侍従たちが気絶した彼女たちを部屋の外へ連れていく。ベッドが狭くなるのを嫌うハリスに配慮しての行動だ。


 遠征の期間中、朝方のこの部屋に出入りできるのは、彼女だけだ。長い黒髪を垂らして白いドレスをまとう。ちょこちょこと歩いて、部屋のカーテンを開けて朝日を入れた。ハリスの顔がゆがむ。


「もう朝か……クロエ、水を」


 目を開けずとも入ってきた彼女を認知する。はーい、と柔らかく返事をしたクロエは、テーブルに置いていた水差しからコップに注ぎ、やっと身体を半分起こして背中に枕を当てた彼に渡した。大きな手でコップをつかみ、口に運ぶ。水を飲むたびに曲がった腹筋が、きれいに割れた筋肉のブロックごとに動いた。


 クロエはその隣に座り、その腹をうっとりと撫でる。そして長い爪でその皮をつまんだ。


「痛い。何をするんだ」


 と怒ったが、本気ではない。彼はいつでも女性に優しく、顔半分は笑っていた。クロエは口を尖らせて、彼の腹をぐりぐりと指で押しながら文句を言う。


「昨日もお楽しみでしたでしょう」


「しょうがないだろう。これも仕事さ。権力者たちがこぞって娘を差し出して、彼女たちも俺に抱かれたいと思っている。俺はそれに応えているだけさ」


「ふーん」


 機嫌が直らないクロエに対して、コップをベッドの端に置いたハリスは彼女の小さな肩に腕を回して抱き寄せた。


「気持ちまでは与えていないさ。クロエ、傍にいていいのは君だけだ」


「それなら今日からの一週間、私に下さいますか?」


「オイオイ、君が死んじゃうだろう」


「夜を知らない彼女たちと一緒にしないでくださいますか。ハリス様を返り討ちにして差し上げます。ふふふ」


 微笑みあう二人は身体を密着させる。クロエはハリスの裸の胸に頬を寄せて、熱い体温を感じ取る。吐息が彼の肌をくすぐる。何人も女性を抱いた経験を持った彼は、その感触に緊張することなく心地よさを感じる。


 クロエは彼の膨らんだ大胸筋を撫でながら低い声を出す。


「つまんないですわね」


「つまらない?」


「ええ、この国に。魚臭い街と古めかしいデザインの宮殿。媚びて財産と娘を差し出す貴族や、ハリス様を見た瞬間に涙を流して祈る民衆にも」


「俺のためにいっぱい良くしてくれるのに」


「ちやほやされたいのですか?」


「う……」


 本音はそうだ。ハリスは褒め称えられて崇められることが好きだ。女性から無限の好意を示されることも大好きだ。これらのファルム国の時よりも顕著に示され、神の如く振る舞うことにも慣れた。しかし自分が殺した貴族の彼女や妻だった娘が差し出されたときは、流石に抱くことを躊躇い、後ろめたさを感じることも多かった。この頃はまだ、このような常識感覚をまだ持ち合させていた。


 その上で、気に入った女の子からストレートに問われると、性欲丸出しな返答をしない羞恥心もまだあった。彼は金色の髪をポリポリかいて口ごもった。クロエは彼の薄い肌をつまんだ。


「罪なお人ですね」


「そ、そんなこと言うなよ。こんな体験は初めてなんだ」


 クロエは腕を上に動かした。白い二の腕が袖から露になり、今度はハリスの頬をつまむ。


「つまらない女を抱いても退屈なだけですわよ」


「知ってる」


「抱いて楽しい女はここにいますわ」


「知ってるよ」


「……でも、ハリス様がもっと夢中になっている女性も知っています」


 ハリスの首が回り、青い瞳がクロエの小さな唇をとらえる。その唇がゆっくりと動いた。


「この戦争を始めた理由、覚えていらっしゃいまして?」


 ハリスの脳裏にひらめくものがあった。バッと彼の上半身が起き上がる。クロエも起き上がり、彼の広い背中に手を置いて、耳元にささやく。


「聖子女様に褒められに行きましょう」

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