第2話『代償の旅』
「では、行ってくるよ」
金歴554年冬。ゴールド国を平定して間もなく、首都ミラノスに戻ったダヴィは、ソイル国の使者を迎えた。戦勝祝いだけかと思いきや、使者は当然と言わんばかりの
『お約束を果たして頂きましょう』
こうしてゴールド国の戦後処理もままならず、年末年始の時間をソイル国で過ごすことになってしまった。同行するミュールとノイは最北の冬に不満を漏らす。
「なんでぇ。わざわざ風邪ひきに行くようなもんだ。あの女王がこっちに来いってもんだ」
「………」
「ソイルの北風は山肌と命を削ると言います。身体を大事に」
と言ってルフェーブがミュールの固い肩にマントをかけた。正円教らしく白い色だが、ミュールの浅黒い肌に妙に似合う。ルフェーブはかけるついでに太い腕をさすっていた。
ノイにはムハンマドが少ない小遣いで買ったマフラーを贈る。
「残念そうにするなよ。ダヴィと一緒にいたいんだろ」
「むう……」
「あれは残念そうな表情なのか?」
ノイの全く変わらない鉄仮面に、アキレスとジョムニは首をかしげる。一緒に暮らしたムハンマドだからこそ分かる表情に、慰めの声をかける。
「あっちでも新年のコンサートはやるさ。こっちよりもスゴイかもしれないだろう」
ノイは首を振った。お気に入りのテノールに勝る音楽家を見つけられるとは思えない。ダヴィと一緒にいたいとは言うが、まさか新年恒例の正円教の教会で行われるコンサートを聴けないとは思わなかった。
そんな大男の肩をダヴィが叩く。
「ソイルは凍える強風に負けぬくらい透き通った歌声が有名だ。あれは素晴らしい。ノイも体験するといい」
それでも大陸南で生まれ育った彼らには、伝え聞いたソイルのつらい冬で過ごすことに口をへの字に曲げる。馬車に乗り込みダヴィの隣に座る二人は、このミラノスの高い青空を見治めと言わんばかりに眺めていた。
一方で付いて行きたかった者もいる。馬車に乗る二人を、ジャンヌが恨めしそうに見つめる。口を尖らせて不平をこぼす。
「なんだってあたしじゃないのさ。普通は近衛部隊が付いて行くんだろう」
「しょうがないですよ。相手の人選です」
とジョムニがとりなしたが、彼は事情を知っている。ソイル国の使者にはっきりと「女性の方の同行はおやめください」と注意を受けたのだ。そのことはジャンヌを始めとした女性陣に伝えていない。
あの暗殺事件以降、常にダヴィの近くにいたジャンヌには久しぶりの別れになる。ソイル国にいる父親を含めた一族にも会いたかった。留守番にとってもこの旅は不満をもたらす。
アンニュイな表情で外にはねた髪を指でいじる。車いすからその姿を見上げるジョムニは、数年前に比べて女性らしさが増したことに気づいていた。
彼の旅に不満を持っていたのは彼女だけではない。ダヴィは動き出す馬車の中から残る人に頼む。
「ルツとオリアナをよろしく!」
「「……はあ」」
ジョムニとジャンヌはその依頼の難しさに頭を悩ませた。
ダヴィの見送りに出なかったアキレスは、彼の頼みを果たそうとしていた。
「ルツ様、ダヴィ様行ってしまいましたよ」
「いいわよ。昨日、お別れは伝えたもの。今は気分が悪いだけ」
腕を組んで窓の外を眺める茶髪の女性。執務室の大きな机の前で、立ったまま遠ざかる馬車を見つめている。きっと彼女の双子の妹もどこかで見ていることだろう。
その双子はただいま絶賛喧嘩中である。
「オリアナ様も機嫌が悪くなったからあんなことをしたのです。お気持ちは分かるでしょう」
「分からないわよ! ベッドをカエルまみれにする人の気持ちなんてね!」
来訪したソイル国の使者が、ルツが勝手に結んだ密約を明かした途端、クリア国中で大騒ぎになった。ダヴィは開いた口がふさがらず、ジョムニたちは頭を抱えた。中でもジャンヌはルツに詰め寄り、考えられる限りの罵詈雑言を浴びせた。
しかし一番怒っていたのはオリアナだった。ジャンヌの罵声を浴びても飄々としている姉の横顔を見て、言葉では彼女に勝てないことを骨の髄まで知っている彼女は自分のやり方で復讐することにした。その一つがベッドの毛布下に目いっぱい忍び込ませたカエルの大群である。それも三日に渡って。
「信じられる? あれだけのカエルを私の知らないうちに私の寝室に用意したのよ。召使たちも全く知らないって言うのよ。才能の無駄遣い。気持ち悪いことに全力を尽くして、まあ、どんな育てられ方をされたのか」
「でもルツ様も仕返しをしたのですよね?」
「したけど、一回だけよ」
「それでも風呂の天井からバッタの大群を落とすのは、どうかと……」
「自業自得よ」
ふんっと鼻を鳴らすルツ。きっと同じ育てられ方ですよ、とアキレスは内心呆れた。二人ともただの人ではない。新興王国を切り盛りする世界屈指の政略家と策謀家である。よって、ただの姉妹喧嘩ではない。相手にばれないように、あらゆる手を使って『いたずら』を仕掛ける。その手段はクリア国の誰にも分からない。
二人のやり方は対象的だ。ルツは恩義や権力で巧みに操り、罪悪感を抱かせない形で協力を得る。酷いことをしている自覚がないため、そしてルツから「正直に答えてもいい」と言われているので、オリアナから詰問を受けるとすぐに自白する。むしろ相手が何に怒っているのか分からない人もいる。その後、自分がした行動の結果に唖然とする。
一方でオリアナは子飼いの隠密部隊を最大限利用する。先述のカエル事件ではルツが目じりを釣り上げて怒り、オリアナに服従するシンを捕まえて尋問したが、彼女は逆に驚いていた。「私は何も知りません。知らないのです……なんということだ、まだ知らないオリアナ様の諜報網があったとは」と呟いた。ルツは容疑者である執事や召使いを片っ端から尋問にかけるが誰も口を割らない。この国の暗部は広大で、オリアナへの忠誠心は絶対だ。嫌がらせでシンの食事を十日間嫌いなキノコ料理にしたが、彼女は黙って耐えていた。
いたずらはカエルやバッタにとどまらず、落とし穴や香辛料たっぷりのお菓子、大事な服のお尻の部分だけくり抜くなど、子供じみたことを神業的な手立てで行う。仲間うちでは年長のダボットは話を聞くたびに呆れる一方で、「犬も食わないくだらない喧嘩でも唸らせるとは、才覚がある姉妹だな」と感心していた。
「ダヴィ様も心配されていましたから、このあたりで矛を収めては」
「オリアナがお兄様に誇張して吹き込むのよ! その告げ口する根性もどうかと思うわ」
姉妹がいたずらされる度に駆け込むのはダヴィの元だ。ルツは途切れない言葉の嵐で、自分がどれだけ理不尽な目にあったか主張し、無口なオリアナはひしとダヴィの胸にしがみついて耳元でぼそぼそと呟く。ソイル国に渡される一番の被害者のダヴィが二人を慰める始末だった。ソイル国への出立を少しばかり早くしたのは内緒の話である。
収まりが付かない
「もうすぐ終わるわよ。いつもこの程度で、なあなあで終わるから」
「いつも、ですか……」
「仲裁役のお兄様がいないことが難点だけど、最悪は私が謝るわ。姉だからね。姉だから」
口を若干尖らせる彼女は今年20歳になったばかり。頬に残る幼さが見えた気がした。アキレスは頭を下げる。
「早めに対処をお願いします」
「分かっているわよ」
窓の外では黒い雲が顔を出していた。冷たい風が窓枠の隙間からピュウと入り込む。もうすぐ雪がちらつくことだろう。ルツは心配する。
「お兄様、ソイルで風邪をひかなければいいのだけど」
その状況に仕向けたのはあなたですよ、という言葉を、アキレスはかろうじて飲み込んだ。
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