第3話『少女のような期待』

 雪が積もる石造りの街、モスシャ。北ロッス草原の真ん中にポツンと存在する街は、七王国の首都の中で最も新しく、人口は少ない。真っ直ぐな道が並ぶ都市では、止むことのない雪を避けるために、大屋根を備えた建物をいくつも連結させて、その中で市場を開いていた。


 その市場で最近ある噂が広がっている。


『南から成り上がりの王が来るらしい。アンナ女王の婿になるそうだ』


「そうなれば嬉しい限りだ」


 と言いつつ、宰相・ウィルバード=セシルは肩をすくめる。「そうはならんだろうが」と巷の噂を一蹴した。歓迎の準備をする食堂を見学していた彼に、後ろからついてくる部下が尋ねる。


「なぜでしょうか? 国王同士の婚約は、数は少ないとはいえ前例がございます」


「それでも連合王国としてだ。国王の婿入りなどあり得ん。よほどの国力差が必要だ」


 聖女信仰があるこの大陸において、男系か女系か相続の主流は決まっていない。それでも家系存続の大使命がある限り、一国の王が自己の姓を放棄して相手の家に入ることはハードルが高すぎる。それでも、と部下は淡い期待を抱く。


「連合王国は可能性があると思います。陛下とダヴィ王の対等婚約ではいかがでしょうか」


「対等か……」


 二人をよく知るウィルバードは苦い声が漏れる。優男の顔に大いなる野望を秘めたサーカス団出身の元奴隷と、夫を操って義理の弟を葬り去って権力を握った元異教徒が、仲良く手を繋いで歩くものか。お互いの顔を見合わせて微笑む二人の姿を想像して、ウィルバードは即座に首を振って否定した。部下に断言する。


「夢物語だ」


 この食堂に入ってきた大きな影が、ウィルバードに近づいてきた。ウィルバードの部下たちは船先の波しぶきのごとく横に退いた。


「ウィルバード、この食堂でいいのか?」


 大きな影、風の騎士部隊の部隊長、ハワード=トーマスは挨拶もなしに質問する。ソイル国の宰相である彼を呼び捨てできるのは、ハワードと女王だけだ。武人の鋭い釣り目に誰もが怯えるが、ウィルバードはぶっきらぼうに返答する。


「これでよい」


「しかし、なあ」


「言わんとしていることは分かる。この食堂が小さいというのだろう」


 この王城の中では小ぶりな食堂。一国の、しかも三ヶ国を征服したクリア国の王を迎えるには不適切だ。それはウィルバードの部下たちも疑問を抱いている。


 ハワードはこの常識外の出来事に対してすでに答えを見出している。


「女王の御命令か」


 ウィルバードは長い白髭をゆっくり撫でた。ハワードは白髪がちらほら混ざってきた短髪をポリポリかいた。


「何を考えているのだか」


「ふふ……昔からそうだろう。考えが読めん女だ」


 それにしても、とウィルバードは顔のしわを深めてにやりと笑う。


「ハワード=トーマスがあの小僧に気を使うとは、時代の流れは驚く結果を見せる。この城の庭で大人気もなくいじめていた頃が懐かしい」


 ハワードは鼻を鳴らして腕を組む。太い腕はまだまだ衰えをみせないが、彼の周りと世界はこの十年で全て変わった。その中心にいるのがあの“小僧”だ。


「王子の従者と大国の王では対応が異なる。当然だろう」


「身分か」


「いや、器だ」


 その時、ロレック=バクスとバクス族の人々が、大量の箱を運んできた。娘のジャンヌとよく似た色の茶髪から汗が垂れている。朝から働いてきた苦労が肌ににじむ。しかし親衛隊隊長がわざわざ荷物運びをするのか。


「ロレック、何をしている」


「おっ、ウィルバード様にハワード様ではないですか。お二方も女王陛下に命じられた口ですか」


「様子を見に来ただけだ。陛下直々の命令か」


「へい」


 彼らは箱のふたを開けて、そこから良さそうな酒瓶を吟味して抜き出し、ロレックと数名は別の箱に詰め替えて運ぼうとした。


「おいおい、堂々と盗む気か」


「そんなことしません! これもご命令です」


「どこに運ぶ気だ?」


「えっと……」


 口ごもった彼の後ろには、花や香水の瓶を持つ侍女が立っていた。透けるぐらい薄い服を抱える人もいて、彼女たちは顔を赤らめる。ロレックはごつい顔に似合わず、おそるおそる伝えた。


「女王陛下のお部屋に……晩酌用だと」


 あの女王は一人では飲まない。大酒飲みの先王から無理やり味を覚えさせられ、本来はあまり好きではない。唯一、薄く割ったアルプラザ山脈産のウイスキーだけをたしなむが、それを飲むのも“だれか”といるときだけだ。


 彼女の自室に入ることができる男は数が限られる。ピンときて、ハワードは口をへの字に曲げて、ウィルバードは悪態をついた。


「あの色ボケ女王が」


 ――*――


「良い香りですね」


 と侍女が褒めたたえた。幼い声が静かな部屋に広がる。


 赤い髪の女王が手紙から目を離して頭を上げた。下膨れの頬にあどけなさが残る彼女は、ベッドのシーツを整えながら、部屋の片隅で焚かれている香料が気になった。


「どちらの香料ですか?」


 この国の誰もが恐れる女王に質問する。有力な貴族の操る糸が見えないことを確認しており、彼女には自室の清掃を許している。頬に紅をさすことを覚え始めた年頃の少女はなんでも興味を持つのだろう。アンナは羨ましそうに見つめた。


「嗅いだことはない?」


「はい! 不思議な香りです。風の香りがします」


(…………)


 若い感性とはすばらしい。アンナは静かに息を飲んで感動した。


 この香料はアンナの故郷、アルプラザ山脈のふもとから取り寄せた。風が吹き止まない草原に咲く花の蜜を集めた希少なもの。彼女の感性は見事だ。


「あなた、名前は?」


「リリーです! 私、この町から出たことが無いんです。このお城は珍しいモノばかり。さすが女王様のお城です!」


 草原にも行ったことがない娘が風の匂いを知っている。


「なぜ?」


「え?」


「なぜ風の匂いと感じたの?」


 リリーは急な質問に戸惑いながら、小さな声で答える。


「ただの花の香りにしては強いなあって……草原を走る馬が浮かびました」


「そう……」


 この娘は何も知らない。女王が草原から連れ去られた異教徒であったこと。そして連れ去った先王とその息子を殺害してこの地位に昇りつめたことも。他の侍女に感じた恐れと軽蔑のまなざしは彼女の目に宿らない。


 子猫と遊ぶ感覚で、女王は手紙を机の上に置いて、彼女に話しかける。


「私のことをどう思う?」


「どうって……あ、すみません! 敬語がつい抜けちゃって」


「それで?」


「あの、えっと……キレイだなって思いました。キレイすぎて、お人形さんみたいで」


「お人形! フフフ……」


 まさかの回答に、アンナは笑いがこみ上げて口元と胸を押さえた。しばらく前かがみになって身を震わす。無垢な彼女は女王が殺してきた人の数を知らない。

 笑いを収めたアンナはもう一つ質問をする。


「これから来るクリア国の王のことは知っている?」


「噂ぐらいですけど、とてもお若いと聞いています。侍女の間で『どんな人だろう。格好よかったらいいな』ってしゃべるぐらいで」


 ソイル国は大陸北の孤国。最近、ようやく国境を越える商人が増えてきたとはいえ、他国との往来は少なく情報も来ない。ソイル国はおろか、首都モスシャを出たことが無い少女が異国の王を知るはずもない。


 アンナは少しがっかりした。椅子の背もたれに寄りかかる彼女に、リリーは言う。


「でも、女王陛下は楽しそうですね」


 分かるのだろう、彼女の機微が。勘の良い彼女に、女王はもう一度興味を持って尋ねる。


「どんなところが?」


「そう言われると、何となくとしか。南の窓を眺めていらして、こうやって部屋を自ら整えていられるご様子が不思議で。今も古い手紙を読んでいらっしゃいますし」


「……恥ずかしいわね。私としたことが」


 繊細に感情を隠してきた彼女にしては大きな油断である。それだけダヴィの来訪は彼女にとって大きなイベントだった。リリーがさらに尋ねる。


「恋人……なんですか?」


「え?」


「遠くにいる恋人を待っているみたいで」


 恋人。そんな単純な関係だったら幸せだったろう。でも違う。


「そう見える?」


「し、しつれいなことを申しました! すみません!」


「いいのよ。でも、違うわ」


 彼女は強欲。甘酸っぱい駆け引きも、幸せを感じる瞬間もいらない。世界を賭けて人生と人生をぶつけ合いたい。彼と同時に首に手をかけて、殺し合いたい。


「恋人じゃないの」


 リリーには分からない。誰も分からない。


「愛すべき敵よ」


 女帝は待つ。今回はどんな話をしようか。どんな触れ合いをしようか。心のつながりが増えていくほど、未来の殺し合いが甘美の味を持つ。


 この期待だけは純粋な少女のよう。

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