第4話『昔とは違う』

 金歴554年。ソイル国首都モスシャはどこも白い。北風が強すぎて、石造りの建物の半分だけが白く染められている。白銀、と言えば美しく響くが、ここで生活する人間にとっては厳しいだけの環境だ。それでも草原で暮らす遊牧民よりマシである。彼らは風が少ない山のふもとを探してこもり、少ない食料でしのぐ。


 数台の馬車と周りを囲む護衛騎兵数十騎がモスシャ城の城門に入り、広場にたどり着く。ソイル兵が道の両側に一列で立って歓迎する。馬車にはクリア国の旗が揺らめいていた。


 吹雪が起きると街中を歩けないほど。こんな時期によく来てくれたものだと、女王と一緒に広場前の正門に立つウィルバードは来訪者を褒める。彼は女王の要望を聞いただけに過ぎない。年越しを一緒に過ごしたいと願い、彼が受け入れたのだ。強制されたともいえる。極寒のバルツ山地を越えて会いに来させることに、広場より高い階段の上にいる女王は幸福を感じるのだろう。


(いびつな……)


 と宰相は思ったが、当事者間の感情は関与しないことにする。外交上はクリア国がソイル国の下風についたと世間に感じさせ、上出来だ。


 馬車から金の輪を耳につけた男がおりてきた。以前会った時よりも大きく見えた。その後ろから現れた屈強な男二人も、威圧感に箔をつける。そのうちの一人・ミュールが大きなくしゃみをした。


「ひー、寒みい! 北の果てまで来ちまったぜ。なあ、お前は寒くないのか」


「…………」


 ノイは無言だが、吐く息は白く、普段は半袖なのに厚手のコートを羽織っている。その様子を見て、同じく厚着の彼は余計に肌をこする。


「ぶえっくしゅ! あーなんでこんなとこ来たのか。ダヴィ様、さっさと帰れますよねえ?」


「来たばかりじゃないか」


 苦笑するダヴィも寒いことは寒い。車に戻りたくなったが、何とか一歩一歩踏み出し、階段上の女王の前に向かう。


「いらっしゃい、ダヴィ王」


「お迎えいただき感謝する、アンナ女王」


 もはや対等な関係。人口数と経済力だけでみればクリア国の方が強国だ。


 しかしルツの勝手な取引により、この時点で彼は国王ではない。彼の人権は目の前の女王にゆだねられている。


 アンナ女王の目が細くなり、薄く光ったように見えた。ダヴィはその目を知っている。周りのソイル国の臣下は首をそっぽに向ける。


「逃げません?」


 ミュールが耳打ちしてきたが無視した。彼女の目をよく見てみるといい。逃れられるものか。


 ――*――


 冬の陽は薄く、城はどことなく暗い。暖炉の光源に目が吸い寄せられる。暖かさを人は求めるのだろう。


「いつまで待たせるんですかねえー」


 ミュールの大きな呟きが談話室に響く。机を囲むように並べられた大きなソファー三脚にどっしりと座って、案内をしばらく待っている。テーブルに置かれたハーブティはすっかり空になった。ノイはじっと目をつむったまま。


「ノイ、寝ているのか?」


 とミュールが尋ねると、答える代わりに瞼を開ける。その確認も三回目だ。すっかり飽きてしまった。


 ダヴィは暇つぶしがてら、談話室の壁に飾られた絵を眺める。人物画は無い。草原や山脈、そこで生きる馬や羊などの生き物が描かれている。


「殺風景な絵ですねえ」


「殺風景?」


「ほとんど草と空じゃないですか」


 ミュールが指摘したように、絵画の中には建物も高い木々も河川も存在しない。緑と青の二色で構成している。クリア国で見る絵画とは使われている色の種類がだいぶ少ない。


(だからこそ、南へ攻め込むのだろう)


 高い木々が無い草原で暮らすことは、ここにある暖炉に燃やす薪も手に入らないということだ。草花が一斉に枯れる冬は、より風景がさみしくなるだろう。食料もなく、アルプラザ山脈から吹きすさぶ北風に凍えて、数少ない羊をつぶしてしのぐ。それから逃れるためにソイル国の遊牧民たちは南下して、他国の村々を襲った。貧しさだけではなく、さみしさをまぎらわすためなのだろう。


 ダヴィが以前訪れた時は、先代の王たちや屈強な騎兵の姿を描いた絵が多かった。その姿もソイル国本来の革と布で出来た戦闘服を着ずに、ファルム国の重厚な鎧姿で描かれていた。南に対する強烈な憧れと劣等感を抱いていた証拠だろう。 それを外して、今のソイル国の風景を飾る。つまり過去を否定し、あるがままのソイル国に誇りを持つ。アンナ女王の権力が強くなり、ソイル国の国力も増したとみるべきか。


 そんなことをぼんやりと思っていると、ようやく部屋の扉をノックする音が聞えた。


「お待たせしました。旅装をお着替えされるために、まずはお部屋までご案内申し上げます」


 通常はそのまま歓迎式が行われるのだが、狭い馬車では男三人が服を替えるスペースがなく、正装に着替えたいというダヴィの申し出に、泊まる部屋への案内を優先したのだった。若い侍女・リリーに促されて、三人は立ち上がった。部屋を出ようとした時、ダヴィの顔をじっと見つめるリリーの視線に気が付いた。


「なんですか?」


「えっ、えーと、なんでもなくて、その……」


 リリーはしどろもどろになったが、ダヴィの予想外の丁寧な口調に促され、幼い好奇心のおもむくままに尋ねた。


「あなた様がアンナ様の恋人なんでしょうか?」


「え?!」


 予期せぬ質問にダヴィの顔がのけぞり、耳の大きな金の輪が揺れた。そして笑いが込みだし、真ん丸な目で見つめるリリーに答える。


「そんな冗談を。ねえ」


 と後ろにいた二人に振り返ると、彼らは笑うことなくじっとダヴィの顔を見つめていた。


「どうなんですか、ダヴィ様?」


「…………」


 演技をするタイプではないミュールとノイの真っ直ぐな眼差し。リリーのストレートな興味深々の眼差し。両方に挟まれて、ダヴィの笑みが引っ込んだ。


「……本気で聞いている?」


「はい、誰もが噂していますぜ。ダヴィ様は恋愛旅行に行ったんだって」


「この王宮でもそんな噂ですよ。ただでさえ女王陛下にはめったに恋の話は持ち上がらないのに」


 そうだよなあ、そうですよね、とミュールとリリーが顔を見合わせ、ノイも静かに頷く。ダヴィは肩を落として小さく答えた。


「そんな関係じゃないよ」


 いささか腑に落ちないリリーだったが、ダヴィに促されて「忘れていました!」とすぐに部屋へと案内する。長い廊下を歩いて、まずは大きな部屋二つ。


「こちらがミュール=ジョアッキ様とノイ=ザール様のお部屋となります。他の侍女がお部屋の前で待機しますので、お着換えが済みましたら声をかけてください」


「ダヴィ様は別か」


「はい、別の場所になります」


 護衛と離れた場所になるというのは常識外れな現象だ。ミュールが抗議しようとすると、リリーは困ったような顔で答えた。


「女王陛下がおっしゃるには『今回はこちらの指示に従ってもらう。そういう約束だったはずだ』と」


 その約束を持ち出されてはなんの反論も出来ない。遠い空にいるルツへの文句を考えながら、ダヴィは二人を残して、リリーに誘導されていく。


 城の中心部へと向かうのか、だいぶ歩いた先に「ここです」と伝えられた。廊下の端には侍女が並ぶ。この場所をダヴィは知っている。


「アンナ女王の部屋?」


 かつてダヴィも来たことがある、アンナの自室と寝室の前。その時は衛士たちも立ち並び護衛していた。この部屋の中で薬づけにされて、アンナにコントロールされていたカーロス四世の椅子に座る姿を思い出した。


「この部屋に……?」


「いえ、実はこっちなんです」


 とリリーは廊下を歩き、アンナの自室の隣にある小さな扉を指さす。扉を開けると、小さなベッドと粗末な椅子だけが置かれていた。


「女王陛下からの指示でここに……ちょっと小さいですけど」


 ちょっとどころじゃない。天井は頭すれすれの高さで、ノイだったら腰を痛めるだろう。ベッドと椅子で床のほとんどを占領され、窓は格子で開けることすら出来ない。壁紙やカーペットを貼っていない石の素材むき出しの壁や床は、余計に寒々しく感じさせる。


 部屋の壁にはベルがつけられていた。そこから紐が出ていて、壁や天井と伝って隣の部屋につながっている。


「ここは王様を護衛する兵士や侍女の宿直の部屋だったそうです。このベルは陛下のお部屋につながっていて、ベルを鳴らしてこの部屋の者を呼んでいたようです」


「君たちも使っているの?」


「今は使われていません。もともと物置だったのですが、今回急遽片付けて……」


 気の毒そうに伝えるリリーは、改めて部屋を見渡してボソッと呟いた。


「私の実家の部屋の半分?」


「…………」


 リリーが出ていった後、着替える気力なくダヴィはベッドへ腰かけた。毛布が分厚いのはせめてもの救いか。十年前に戻った感覚に陥る。


(あの時のようにか……)


 最初にソイル国に来た時、まだシャルル王子は生きていて、誰かの命令に従っていればよかった。誰かに守られている気がしていた。あの時と比べて幸せになっただろうか。一国の王になったダヴィは苦笑しながら、ようやく立ち上がって着替え始めるのだった。

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