第5話『国王ダヴィのお仕事』
「妙なことになっちまったもんだ」
とミュールが歩きながら呟く。歓待の式典が終わり、彼とノイは兵士たちに誘導されていた。ダヴィはというと、全く別のところへと連れていかれた。彼らが同行しようとすると
「女王陛下のご命令です。これは『お約束』ですから」
と言われてしまい、しぶしぶ自分たちの王を見送ることになった。さすがに戸惑うダヴィの後ろ姿に悲しげなものを感じた。一方で護衛役の彼らは手持無沙汰になり、仕方なくソイル軍の見学に向かった。正装姿のまま、金属の装飾が歩くたびにかちゃかちゃ鳴る。
誘導するジャンヌの父・ロレック=バクスが道すがらミュールたちに尋ねる。
「娘は元気ですか?」
「おう、とっても、元気すぎるぐらいだぜ。最近はようやく落ち着いてきたってとこかな」
ノイも頷く。近衛兵をまとめる彼女の手腕は年々洗練されてきている。それは近くにいるノイや他の仲間も認めるところだった。ロレックはうれしそうに頷く。
「昔から男勝りな娘でして、自分勝手に振る舞っていないか心配でした」
「そんなことはねえぜ。仲間想いのいいやつだよ。最近は女らしさも出てきたな」
「ほう」
「化粧をし始めてよお。最初はピエロでもやっているのかっていうぐらい下手だったけど、今ではまともになってきたなあ。でもダヴィ様が来ると、直ぐに顔を拭いちまうんだ。まだ自信がないのかねえ」
ロレックは深く頷いて、さっきとは別の意味の笑顔を浮かべた。娘からは定期的に手紙が送られてくる。そこから伝わるニュアンスと合わさって、親心に響くものがあった。ミュールは首をかしげる。
「香水くさくなったな。ダヴィ様の服にも匂いが付きそうなぐらいだぜ。あれは止めてほしいよなあ」
「……女心を知らんな」
「なに?」
ノイの急な発言に、ミュールは目を丸くして、それから「な、なにが知らねえんだよ」と反論する。ノイは知らん顔で廊下を歩く。芸術を愛するノイの方が一枚上手だったようだ。
――*――
その頃ダヴィはというと、女王の寝室にいた。彼はさっさと正装を着替えさせられて、質素な長袖の上着と半ズボンに着替えさせられた。黒一色に染められた服は粗末には見えないが、召使同然の姿だ。とてもクリア国の人間には見せられない。
彼はその姿でベッドの上り、アンナ女王の上に跨っていた。色っぽい話ではない。うつぶせになった彼女の腰を揉んでいる。彼女も黒い服を着ており、揉まれる度にしわが増える。
「冬は執務室に籠りきりよ。出かけることもない」
「背中も腰もこっていますね」
と口調まで召使のようになるダヴィは、丁寧に指を動かす。もともと彼はこの立場だったが、いつの間にか人の上に立つようになり、気を使われる立場となった。昔に戻ったような気がして、彼自身も少しうれしくなっていた。
人を使うことに慣れているアンナ女王は悪びれることなく、ダヴィを自然と褒めた。
「器用ね。私に仕えてみない?」
「国が
と冗談を言い合う女王と国王。ゼロから這い上がった彼らだから言えることもあるだろう。彼女の細腰に触れられるのは彼だけだ。
マッサージを受けるだけではない。世間話のついでに重要な諮問をする。
「ゴールド国とつながっていた交易路、貴族たちが拡大するように勧めてきたわ」
「拡大するのは賛成ですが、彼らの目的は利益をむさぼることです。それは我が国にとっても不正を許すことになり不利益です。直轄の官僚を関所に置いて監視することをお勧めします」
「パーヴェル(アンナが滅ぼした先王の長男)の子供がアルプラザ山脈のふもとで生きているという噂があるわ」
「どこにでも噂は生まれ出でるものです。その出所を調べるべきです」
「あなたたちが流した噂では?」
「俺だったら他国で生きていることにします。その方が信ぴょう性高いですから」
「ファルム国の西征は終わりそうね」
「少し強引でしたが『ゼロの信仰』は偉大ですね。不満はその神話に抑え込まれました」
「宗教は抑え込むべきかしら」
「抑え込めるほど弱くないでしょう。人々には必要です。せいぜい方向をコントロールするしか」
「我が国にはゼロ信仰は無いわ。そちらは大変ね」
「どうも」
相手の国の政策を探りながら質問を繰り返す。空想よりも実務が好きな彼らはこのやり取りに満足し、マッサージが終わってからもしばらく続いた。
そのうち部屋の扉をノックする音が聞えた。
「失礼いたします……きゃ! ご、ごめんなさい」
リリーが彼らの姿を見て、直ぐに扉を閉めて出ていった。ダヴィとアンナは顔を見合わせたが、それもそうだと思い至る。アンナは仰向けに身体を返しており、ダヴィはその体に跨ったまま。十人中十人が勘違いするだろう。
「あらら、また噂が広がるわ」
「大丈夫ですか?」
「平気よ。事実も含まれているし」
アンナは上半身を起き上がらせてダヴィに抱き着こうとしたが、ダヴィはさっさとベッドを下りた。まだ昼過ぎである。
「それにしても、照れなくなったわね。あの頃が懐かしいわ」
まだ頬に丸みがあったダヴィに女を教えたのは、他でもないアンナだ。わずか数歳の違いだったが、身分や経験の差によって、ダヴィにはだいぶ大人に見えた。しかしその差は今般縮まり、誘いの手も簡単に断るようになった。アンナは喜んでいる。
「敬語はいいわ。ストレートに話してちょうだい。この立場で対等に話せる人なんて、これ以上の望みはないわ。ねえ」
「そうで……そうだね。なかなかいない」
ダヴィは同意した。部下相手だとどうしても気兼ねしている部分が透けて見え、妹たちも昔ほど無遠慮に話しかけてくることはなくなった。どこか独りぼっち。わずかな寂しさを心の奥底に抱えている。
(シャルル様も同じ気持ちだったのだろうか)
ベッドから降りて椅子に腰かけるダヴィに、衣服の乱れを整えるアンナが声をかける。黒い服からはみ出た二の腕や足首が白く光るよう。
「とうとう三人だけになったわね」
ダヴィはコップの水を飲んで、ゆっくり答える。
「国王が、ということ?」
「この世の頂きにいる者が、私とあなた、そしてあの男」
ハリスの見目麗しい顔と屈強な体を思い出す。ウォーター国とヌーン国をほぼ手中に収めて、彼は大陸の半分を
「いずれはファルム王を
「そうなれば彼を止める術はない。彼の欲はけた外れに大きく、よく分からない方向に進む」
先の二国征伐もずいぶん無理があるように感じた。占領後はどうするのだろうか。ファルム国の貴族に獲得した領土を分配するのか? 遠隔地に命令を行き届かせる手段は? 反発する人民をなだめるには? それらの疑問を解決していないように見えない。
だが、彼の金髪と青い瞳が持つ魔力は数多くの問題を圧殺できるかもしれない。
「恐ろしい」
とダヴィが呟くと、アンナはアドバイスした。
「聖女ではないわ。彼は人なのよ。しかも俗物の匂いがする。それを覚えておくことね」
彼女の諜報網はオリアナのものより広く深い。何かをつかんでいるのだろう。興味深そうに見つめるダヴィを無視して、彼女は窓の外に目をそらした。
雪が薄く舞っていた。寒さは厳しいとはいえ、湿度が低い北ロッス大草原の降雪量は比較的少ない。風は時折強く吹くが、今日はましな方だ。
「明日は式典があるわ」
「なんの?」
「先王の一周忌よ」
政敵だったパーヴェル王子の死後、用済みと言わんばかりに、一緒の部屋に住んでいた夫・カーロス四世を別の部屋に幽閉した。薬づけにされて物言わぬ人形となった彼は、それからしばらくして、誰にも見とれぬまま朽ち果てるようにして死んだ。それでも先王だ。葬儀の式典はしなければならない。
面倒、という意思がため息として出る。アンナはベッドから出ると、椅子に座るダヴィの前に立った。彼女のかぐわしい匂いがまとわりつくように感じる。
アンナは微笑みながら、右手でダヴィの頬を撫でる。
「嵐になるわ」
「嵐?」
「きっとね……その時、傘をさしてくれる?」
ダヴィは少し考えた。だが、答えは決まっている。彼女の右手を握って、その甲にそっと口づけする。
「『約束』は守る。傘をさして傍にいるよ。それが今の俺の仕事だ」
靴磨きの王 ~聖女が導く異世界統一戦記~ 河杜隆楽 @tacsM
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