第九章 試練の門

第0話『到来』

(いよいよだ)


 人々は感じていた。自分の生活のことではない。身の回りの変化に対してではない。何の変哲もない物語のストーリーに、誰もが知っているはずのこの先の展開に胸を膨らませる。ストーリーが分かるというのは、歴史を題材にした娯楽の短所でも長所でもある。


 娯楽とは不思議なものだ。程よい快楽は日常に張りをもたらし、脳内の片隅に潜む次なる心地よさへの期待は、日常の仕事へエネルギーを与える。この寂れた鉱山の町でも同様で、トロッコを押してハンマーをふるう男たちの顔は明るい。家事をする女たちも絶え間なく動きながら夜を待つ。


 彼らのお目当ては、小さな居酒屋の、一人の吟遊詩人の歌。いにしえの王の物語だ。


「今日はどんなお話かしら」


「あの声が良いんだよ。心に染みるね」


「創世王、次はどんな風に勝つのかな」


 老若男女は街角で雑談しながら期待に胸を膨らませる。子供たちは聞きかじった話をもう一度親たちに尋ねて内容を確認して、太い枝を持って剣と称し、物語の登場人物になりきる。彼らのままごと遊びでは、創世王が必ず勝つ。創世王役のガキ大将が悪役の子供を倒していく。当の本人は、剣術はあまり得意ではなかったが、ご愛嬌というものだろう。


 吟遊詩人は窓から覗いて微笑んでいる。自分の唄が人々に浸透しているのを喜んでいるのか、操る快感を得ているのか。店の主人のルーディはひげ面の首をかしげる。


 季節は秋を過ぎ冬が顔を出す。禿げ上がった山から葉が消えて山肌が露になる。もうすぐ白く化粧されることだろう。小春日和の日差しを受けて、目深にかぶったつばの広い帽子の下に、白い口元が浮かぶ。血の気の無い肌は何を考えているのか。ひと季節が過ぎようとしても、彼の傍に一番いるルーディはよく理解が出来ない。


 ただ一つ分かるのは、彼の唄の素晴らしさだけだ。


「すげえもんだ。すっかり皆をとりこにしちまった」


「……」


「領主様からもお誘いがあったっていうのに断っちまうなんて、変わってやがる。まあ、その方が俺の店にとっては良かったけど」


 何も答えない。いつものことだ。ルーディは色々質問してきたが、大抵は無視か微笑むだけで、この頃はまともな返答がくるのを諦めていた。今まで雇った道化たちの素性は数晩も経てば分かったものだが、彼は何者か、この町の誰も知らない。だからこそ彼に惹かれる。彼の物語を聞きたいと思う。


 こんなボロをまとった彼のどこがいいのか、とルーディは雇った身ながら呆れるが、それも彼の演出であれば恐れ入ったものだ。横に置いたギターだけが光沢を放つ。


 ふと、とんでもない質問を思いついた。いやいや、こんなことを聞いても何も答えないだろう。内心首を横に振るが、掃除する暇ついでに、尋ねてみた。


「なあ、あんた。もしかして、創世王と会ったことがあるんじゃないか」


 一瞬、無音が訪れる。そんなわけないか、と箒を動かそうとした彼に、今まで反応しなかった吟遊詩人の顔が向く。帽子の下から目を細めている。ルーディはその反応だけで慌てた。


「な、なんだよ。ただのジョークだよ、気にすんな。数百年前から生きていたら化け物だよ」


「……そうだと言ったら」


 箒を持つ手が固まる。ルーディは目を大きく開いて彼の顔を見た。吟遊詩人の眼光は鋭く、冗談をお返ししたにしてはこの部屋の空気は重い。細い顔つきに吸い込まれそうになる。


 ルーディは箒を放して彼に近づく。地面に落ちた箒はからんと音を立てた。彼の傍に立つと、少しうつむいてブツブツと呟く。


「そんなはずはねえんだ。……でも、もし本当なら、あんたに聞きたいことがある」


 彼の唄を一番近くで聞き、この町の誰よりも物語を把握し、素知らぬふりをしながらもその魅力に取りつかれていた彼は尋ねる。


「王は、どんな人だった?」


 吟遊詩人は口角を上げた。そして思い出すように宙を見る。帽子の隙間から白い髪が一筋こぼれて頬に垂れた。目をつむって語る。


「彼は、弱い人間だった」


「弱い? そんなはずは」


「弱くて、もろくて、何度も倒れた。だが、何度も立ち上がる。彼を慕う者たちと一緒に」


 彼の視線がルーディに向く。ファンの一人に問う。


「この先も苦難が待ち構えている。常人なら人生を終わらせる苦痛が何度も襲う。それでも聞きたいか?」


 聞き手はただ聞くだけではなく、その話を受け止めなければならない。ルーディはこの先のストーリーを知っている。きっと観客が悲鳴を上げる展開になるであろうと理解している。それでも、彼の物語を聞きたい。


「ああ、聞かせてくれ。ダヴィ王の話を」


 吟遊詩人はゆっくり頷いた。そしてギターを持って調律し始める。その様子を眺めていたルーディは、急に我に返って箒を拾い上げて掃除に戻った。


 掃除を進める手が早い。早く終わっても夜は駆け足にならないだろう、とルーディは自嘲したが、手は止まらない。


 あの声が、あの唄が、待ち遠しい。

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