第18話『傷の男』

 北のスイスト山地から流れ込む北風の声が、ナポラの宿の壁の隙間から聞こえてくる。窓から伝わる振動に、ロウソクの火が揺れる。寒々とした空気に、ダヴィはベッドに座りながら、一段と毛布に体をくるんだ。


 隣のベッドにはアキレスがいた。彼との2人部屋である。ジャンヌたちもナポラにいたが、宿を別にしている。兄と一緒にいたいオリアナからは不平がたくさん出たが、間者と疑われないために必要な処置である。


 2人はお互いに、今日の売り上げと残りの商品を照らし合わせている。ダヴィはアキレスのほころんだ顔を見て、褒めた。


「大分、らしくなってきたね」


 商人を始めて2週間、最初は誰にでも警戒していたアキレスも、この頃は顔から険が取れ、親しみやすくなってきた。


 アキレスが照れ臭そうに、頭をかく。


「お金を貰いながら、感謝されることが、こんなに楽しいとは思いませんでした」


 元々精悍せいかんな顔立ちの彼は、口が回るようになってくると、ご婦人方に受けが良くなってきた。最近では、女性向けの商品は彼に任せるようにしている。


(いい傾向だ)


とダヴィは満足に見ている。これで彼も騎士としてだけではなく、人間として成長したことだろう。


 ダヴィの懐柔も上手くいっている。特に商人組合からはすでに『反逆が起きても静観する』と確約を得た。着実に成果が出てきている。


(あとは農民たちにどうアプローチするか)


 商人組合から口ぞなえしてもらうしかないだろう、とダヴィは商品をしまいながら、考えていた。


 その時、外から声が聞こえてきた。


「ダヴィ様、なにか」


「しっ」


 ダヴィとアキレスは荷物をしまうと、ドアに耳を当てる。複数の男たちが話をしている。


「……ここがやつらが泊っている場所か……」


「本当に金を持っているのか……」


「間違いない……あれほど高額なものを扱っているのだ……」


 声に混ざって、ガチャガチャと金属音が聞こえる。きっと武器だろう。ダヴィは持っていたナイフを取り出す。


「変なのが釣れたな」


「ダヴィ様、合図をお願います。私が先陣を切りましょう」


 アキレスも背丈ほどある棒を構える。ダヴィは頷いた。


 そしてダヴィは近づいてくる声の距離を見計らって、部屋のロウソクを吹き消した。


 ダンッ!アキレスが扉を蹴り開ける。扉の前にいた男が廊下の壁に突き飛ばされる。


「バレてやがった!」


「相手は2人だ!やっちまえ!」


 アキレスはおくすることなく、廊下に飛び出る。棒の先端で一人の男を突き、スペースを開ける。


「ダヴィ様、反対側を!」


「分かった!」


 ダヴィもその後に続いて、廊下に出た。ダヴィとアキレスは背中合わせになり、強盗たちに向き直った。


「アキレス、遠慮はいらないよ!」


「御意!」


 廊下は狭く、自然と一対一になる。廊下を照らす月明かりの下で、ダヴィは長剣を持った男を相手にナイフを構えた。


「このヤロウ!」


「…………」


 怒号を上げる男の剣の持ち方が怪しい。素人だな、とダヴィは見抜いた。その途端に心が鎮まる。


 ダヴィが静かに待っていると、その間に耐えかねて、男が剣を振りかざす。


「甘い!」


「ぐっ」


 ダヴィはナイフを持っている手をおとりに使い、もう一方の手で男のみぞおちに拳を見舞った。男はうめき声と共に、暗がりの中に倒れた。


 ダヴィは騎士の中では並程度の腕前だが、素人相手に負けることはない。倒れた男を踏み越えて、襲ってきた次の男にも、冷静に対処する。振ってきた斧をかわし、その手をナイフで斬った。


「痛てえ!」


「どうした、こんなものか!」


 ダヴィでさえ挑発する余裕があったのだ。アキレスの方は、ダヴィ以上に一方的だった。


 長い棒を巧みに操り、1人が持っていた剣をはね飛ばした。そしてその男の肩をしたたかに打ち付け、男の身体が沈むと同時に、その後ろにいた男の胸を強く突いた。あっという間に、2人が片付けられる。


 すでに5人がアキレスに倒されている。廊下はうめき声で埋まっていた。


「化け物か、こいつ?!」


「冗談じゃねえ。商人じゃねえのかよ!」


「すぅー……」


 アキレスは息を吸い、恐れおののく残りの男たちに棒を構える。彼の月光に輝く眼に睨まれ、男たちは戦意を失った。


 その時、廊下の奥から、大声がとどろく。


「てめえら、なにしてやがる!」


 ドドドと階段を駆け上る音が聞こえ、新たな男が近寄ってきた。アキレスは警戒する。


 ところが、彼が攻撃したのは、強盗たちにであった。ゴツゴツと拳を頭に落とす音が聞こえる。同時に、男たちに説教する。


「こんなきたねえことをしやがって。どんなに飢えても、聖女様に顔向けできねえことはするんじゃねえ!」


「す、すまねえ、ミュール!」


「でも、あいつら素人じゃねえ!ただの商人じゃねえんだ」


「なに?」


 男が強盗たちをかき分けて近寄ってくる。こん棒を持った太い手足が見えた。


 そして青白い光に浮かんだのは、傷だらけの顔だった。彼は言う。


「ミュール=ジョアッキ。ただの農民だ。こいつらがすまねえことをした」


「ああ……」


「それで、お前さんたちは何者だい」


 アキレスは答えなかった。下手に答えると、自分たちの暗躍がばれてしまう。口をつぐみ、ミュールの目をジッと見る。


 ミュールの視線が鋭くなった。


「この街で、俺たちの街で、なにをしている」


「……話せない」


「そうかよ……」


 ミュールはいきなりこん棒を振るった。他の男たちとは違い、ためらいのない、鋭い攻撃だった。アキレスの棒が叩き折られる。


 アキレスはそれを手放し、ミュールの顔に拳を見舞う。しっかりと捉えたと思ったが、ミュールは顔をしかめるだけだ。


「痛ってえな。確かに、素人じゃねえ」


「お前も、ただの農民じゃないな」


「へへ、ありがとよ」


 2人の間合いが詰まり、ミュールもこん棒を手放す。そしてファイティングポーズをとると、ジャブをアキレスの鼻に撃つ。


 アキレスは頭を沈めてかわす。彼もファイティングポーズをとった。


「てめえもやるじゃねえか」


「まだまだ、これからだ!」


 お互いの拳が交わされる。月明かりに照らされた廊下で、風を切る音が何度も聞こえた。周りの男たちは入り込むことが出来ない。2人の拳が早すぎて、彼らから見えないのだ。


 2人の戦い方は極端に違った。アキレスは息が続く限り攻撃を続け、時折攻撃してくるものには、体をひねってかわす。


 一方で、ミュールは防戦中心だ。アキレスの拳をガードし、隙をついてカウンターを狙う。何度も攻撃を受ける両腕は、骨が折れるのではないかと思うほどの音を立てるが、彼は顔色ひとつ変えない。


 やがて、彼らの戦いを止めたのは、アキレスの後ろからかけられた、ダヴィの声だった。


「アキレス!止めるんだ!」


「うっ」


 アキレスはミュールの攻撃をかわすと、2、3歩と後ろに下がる。ミュールは唾を吐いて、今度はダヴィを睨む。


「もう一度、聞く。てめえら、何者だ」


 ダヴィはアキレスの前に出た。その姿を見て、ミュールはその目に魅かれる。


(宝石のような眼をしてやがる)


 内心驚くミュールを前に、ダヴィは考える。そして彼は賭けに出た。


「僕の名は、ダヴィ=イスル。この街を救いに来た」


 普通だったら、鼻でわらうか、逆に怒るだろう。領主に通報して、彼らを捕えようとするはずだ。


 しかし捕らえられたのは、ミュールの心の方だった。真っすぐ見つめてくるダヴィのオッドアイの不思議な輝きに、彼は息を飲む。


「俺たち……助ける……?」


 ミュール=ジョアッキ。後世『勇気の塊』と評される、有史屈指の歩兵部隊指揮官は、こうして生涯の主君と出会った。

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