第10話『兄との相撲』

 冬晴れの高い空がモスシャの上にそびえ、小さい太陽が薄い青の中に浮かんでいる。冷たい北風が、人々に今が冬であることを思い出させる。


 この気分のいい日に、1人だけ不満そうに街を歩く少女がいた。長身のスコットが人ごみの中から、彼女の茶色い頭を見つける。


「ジャンヌ~」


「スコット!ちょうど良かった。ちょっと聞いてくれよ」


「なんだい?」


 モスシャの大通りを歩きながら、トリシャは朝の出来事を伝える。それは、王城内を掃除する侍女と話した時のことだ。


「ダヴィったら、昨日も一昨日も、自分の部屋に帰っていないんだって」


「ええ?そうなの?」


「そうよ!あの女王と話しこんでいたみたい。まったく、どこで寝たのやら」


 勘の良いジョムニやライルなら、この話を聞いた瞬間に察するが、鈍いジャンヌとスコットは首を傾げながら、彼の心配をするばかりであった。


 それにしても、とジャンヌはスコットに聞く。


「他の2人はどこに行ったのさ。あのジョムニって子は動けないからいいけど、あいつらは仕事があるでしょ。どこをほっつき歩いているの?」


 彼らが任されたのは、イサイがモスシャで商売するための拠点探しである。市場近くで空いている物件を捜索しているのだ。一方でダヴィとジョムニは資料を基に、売れそうな商品や買い得の物品を調査している。


 ジャンヌは、坊主頭をポリポリかくスコットを睨んだ。


「ま・さ・か、サボっているんじゃないだろうね!」


「サボってなんかいないよお。2人はおっちゃんに誘われて、相撲ってやつをしているよ」


「すもう?」


 ジャンヌが興味を持ち、スコットにその“相撲”が行われている場所まで案内させた。そこは市場の中心に位置する広場で、大勢の人だかりができている。


 その群衆の端で、上半身裸で座り込むライルがいた。


「ライル!」


「おお、ジャンヌ。ちくしょう!負けちまった!」


と悔しがるライルは肩で息をし、こんな冬の寒い時期というのに、彼の肌には汗が浮かんでいる。スコットが相棒に声をかける。


「なんだよお。『賞品は俺のものだ』って頑張っていたじゃないかあ」


「ありゃダメだ!あんな大男に勝てっこねえよ。せいぜい土俵の上を逃げまどって、時間稼ぎするだけさ。それも捕まえられて、あっという間にお終いよ」


「どひょう?」


「その人の山をかき分けて、見てみな」


 ようやく呼吸が整ったライルが服を着て、2人を連れて人の中に分け入っていく。それを抜けると、相撲の様子が見えてきた。男同士で取っ組み合っている。


「真ん中の地面に、大きな丸が書いてある。あれが土俵さ」


「それで、どうするのさ?」


「今、あいつらが組んでいるだろ?相手をそのまま土俵の外に出すか、地面に転がせば勝ちさ」


 こういう荒っぽい勝負事はジャンヌも好きだ。小さい拳を握り、とび色の目を輝かせる。


「面白そうじゃないか!あたいもやりたい!」


「ムリムリ。力と身長がある相手にはかなわねえよ。アキレスでも優勝できるかどうか……」


「あっ、アキレスだよお」


 スコットが指さす方には、土俵の周りで座り、試合をじっと見ている上半身裸のアキレスの姿があった。そして目の前でやっていた試合が終わると、彼が立ち上がり、土俵に入る。


「アキレス!負けんじゃないよ!」


「俺たちの代わりに、賞品を取ってきてくれ!」


「がんばれ~!」


 アキレスはジャンヌたちに黙って片手をあげ、相手に向き直る。今度の相手はアキレスより頭半分大きく、腕も一回り太い。


「おうおう、ここまで良く勝ち上がったじゃねえか、異国のあんちゃんよお。だけど、ここまでだぜ」


「…………」


 2人がスタート位置で構え、審判が頃合いを見て手を上げた。大男がアキレスに突進してくる。


「うりゃあああ!っと、うわっ!!?」


 アキレスは大きく空いた男の脇の下をくぐり抜けてかわすと、男の足をポンッと跳ね上げた。自分の勢いに負けた大男が、一回転して地面に叩きつけられる。大きな喚声かんせいが上がり、審判が片腕を上げる。


「勝者!アキレス=ヴァイマル!」


「よっしゃー!アキレス!」


「でかした!」


「ばんざーい!」


 アキレスはフッと短く息を吐き、土まみれになった大男の片腕を引いて、立たせてやった。負けた男が笑いながら尋ねてくる。


「あんた、強いな。随分若そうだが、いくつだい?」


「16だ」


「まさか?フハハハハハ!……本当か?」


「ああ」


 信じられないと目を丸くする大男。アキレスの無駄のない引き締まった体と、いくつもの傷は、彼を歴戦の戦士に見せていた。しかしながら、こう見えても、彼はまだ成長期。数年後にはこの大男の身長を抜かすことになる。


 再び、土俵の外に座ったアキレスは、昔の記憶を思い出していた。


(さっきの技、兄によくやられていたな)


 この相撲という競技を、実はアキレスは知っていた。元々遊牧民が発祥のこの競技を、父・モランが兵士訓練に役立つと導入していたためである。当然のことながら、彼の息子であるマクシミリアンとアキレスも相撲に取り組み、庭先において兄弟でやっていた。


 ところが、この相撲で、アキレスは一度も兄に勝ったことがなかった。一度もだ。マクシミリアンが指を失ってからやっても、簡単にコロコロと転がされてしまう。


 猪のように突撃を繰り返すアキレスに、マクシミリアンはよく笑った。


『呼吸が大事なんだ、アキレス。タイミングが合えば、自分より大きい相手にも勝てる』


(呼吸か……)


 次は決勝戦だ。土俵の逆側から、対戦相手が立ち上がる。アキレスと同じぐらいの背丈の男だった。


「アキレスー!さっきより弱そうだよ!やっちゃえ!」


とジャンヌが叫んでくる。それを聞きながら、アキレスも土俵に立った。


「はじめ!」


 審判のかけ声で、試合が始まった。ところが、両者はにらみ合ったまま動かない。


(こいつ、分かっているな)


 お互いに間合いを取ったまま、硬直している。この男、先ほどの試合では、相手が攻めてきたところをうまく避けて転ばしている。アキレスと同じ戦法だ。


 アキレスはこの状態に懐かしさを感じていた。何度も戦場に出て成長したアキレスは、むやみに突っ込むことを止めて、マクシミリアンとこのようににらみ合うようになったことを思い出す。


(こんな時、兄上は……!)


 アキレスが動き、距離を詰める。


「ばかめ!」


 意を得たと言わんばかりに、男が素早く動いてかわそうとする。しかしながら、アキレスはその動きを読み、彼の懐に入り込んだ。そして彼の両腰を持つ。


(アキレス、人の重心は腰だぞ)


 兄の教えを思い出す。アキレスは相手の重心を不安定にさせることを意識して、体全体で押し込め、相手の腰を横に傾けた。


「うおっ!!」


 抵抗できないまま、男の身体が傾き、なすすべなく地面に倒れ伏す。今日一番の歓声が巻き起こる。


「やったー!アキレス、やったー!」


「見事だぜ、アキレス!」


「やった!やった!」


 観ていた3人も一様に喜ぶ。アキレスは透き通るような青い空を見上げた。


(やっぱり、兄上にはまだ勝てそうにないです)


 優勝者には、ライルが望んでいた金品や宝石類ではなく、武器が贈呈ぞうていされた。2人がかりで大きな槍を持ってきた。


「これは?」


「パルチザンってやつだ。重いぞ。お前さんに扱えるか?」


 通常の槍は細長い穂先をつけているが、パルチザンは幅広大型な三角形の穂先をつけている。刃に重量が集約されていることで、敵へのダメージが増える仕組みになっている。その重量のかたよりから、馬上で扱える人は皆無に等しい。


 ところがアキレスはいとも簡単に持ち上げると、頭上でブルンブルンと回転させた。周りが驚く中、息を切らさずに、スッと構える。


「悪くはない」


「お、おう……」


 こっちは大人2人で持ってきたというのに、なんでこの若者は簡単に持てるのだろうと、主催者側は驚嘆する。一方で、アキレスは今持っていた槍が痛んでいたので、この賞品には喜んだ。


(これも兄の贈り物かな)


と新しい武器を手にして、アキレスは珍しく鼻歌を歌いながら、ジャンヌたちに取り囲まれて、任務へと戻っていった。


 ――*――


 まだ日が昇っていない未明。ダヴィはロウソクの光を頼りに、服を着替えている。早く部屋に戻らないと、ジャンヌたちに気づかれてしまう。そう思い、焦りながら上着を羽織はおった。


 そのダヴィの背中に、しなだれかかる裸体があった。


「ダヴィ」


 服越しに感じる二つの乳房の感触と、まだ熱っぽい体温、そして白い両腕と一緒に首にまとわりつく赤い髪の毛に、ダヴィはドキリとした。昨夜、散々嗅いだ果実のような体臭が、また香ってくる。


 一糸いっしまとわぬ女王は、ダヴィの肩に顎を乗せて、口を開いた。


「ねえ、お願いしたいことがあるの」

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