第9話『毒花』

 以前来た時も冬だったと、ダヴィは思い出した。


 あの時と同じように、ソイル国の首都モスシャの家々には、白い雪がこびりつく。標高の高いアルプラザ山脈で雪雲がはばまれるとはいえ、細かい雪が北風の吹きつけられ、屋根や壁に引っ付くのである。薄い雪化粧をした家々を見ながら、強烈な北の風にこごえるのが、ソイル国の冬の景色である。


 馬に乗りながらモスシャの大通りを進むダヴィたちの前に、騎兵が一人現れた。茶色い短髪に、口の周り全体に髭を蓄えている。


「お父ちゃん!」


「ジャンヌ!大きくなったな!」


 ジャンヌは父・ロレックに馬を近づけた。ロレックはバンダナごとジャンヌの頭を荒っぽく撫でる。


「痛いよ、お父ちゃん!」


「心配したんだぞ、このくらい許せ!まったく、身長も伸びて、胸は……そこまでだな」


「うっさいなあ!」


 ジャンヌはロレックの肩をこづく。ロレックは変わらない娘の様子にケラケラと笑った。


 そしてようやく笑いを収め、ダヴィに向き直る。


「ダヴィ様、アンナ女王の使者として参りました。城までご同行願います」


 ダヴィたちはロレックに連れられて、王城に入った。そして謁見えっけんの間に通される。ソイル国に来たことがないジョムニやアキレスはもちろんだが、ジャンヌたちもこんな王城の奥に来たのは初めてだ。緊張して、周りをきょろきょろと見る。


「……なんだか空気が重いね」


「肌に合わねえなあ……」


「……こわいよお」


 大きな扉が衛士たちの手で開き、見上げるほど天井が高い部屋に通される。赤い絨毯じゅうたんの先に、より赤い女性が座って、こちらを見つめていた。


「いらっしゃい。ダヴィ」


 ダヴィは再び、赤い魔女に会う。


 ひざまいた彼らに、アンナ女王は微笑んだ。彼女の赤い目は彼だけをとらえている。


「ダヴィ、2年半ぶりぐらいかしら。少し背が伸びた?」


「ええ、あのころと比べますと、少し」


「色々なことがあったそうね」


「ええ……」


「部下も増えたこと」


 前回の訪問では、ライルとスコットしか部下がいなかったが、ジャンヌとアキレスが加わった。そして、彼女は車いすの上で、帽子を取って頭を下げる少年に目をつけた。


「彼もあなたの部下?」


「いえ……彼は友人です」


 まだ部下になっていないことを考慮して、ジョムニをそう紹介した。ジョムニはその答えに、心の中で満足しながら、自己紹介をする。


「ジョムニ=ロイドと申します。フィレスより参りました」


「フィレス……確か、あなたのサーカス団もそこにいたわね。恋人は元気?」


 やはり彼女の情報網はけた違いに広い。ダヴィは驚きを隠しつつ、答えた。


「はい。元気にしております」


「そう……それは良かったこと……」


 赤い目が細くなる。彼女の眼光に射すくめられ、ダヴィは妙な威圧感を感じた。


 女王はその白い頬に肘枕をして、ダヴィに言う。


「私のスカウトが届く前に、来てしまったようね。どういう用件で来たのかしら?」


「イスル商会の代理で参りました。ソイル国における交易を承諾していただきたく、お願いに上がった次第です」


「そう……」


 彼女はそれに許可するとも何とも言わない。ただ首を少し傾け、彼の顔を見つめるばかりだ。


 妙な沈黙の後に、女王は口を開く。


「久しぶりにあなたとゆっくり話したいわ。一緒にいらっしゃい。他の者たちは部屋を用意させたから、そちらに」


「分かりました」


 ダヴィは女王について行き、他の5人は衛士たちに連れられて、王城内の部屋へと案内される。


 部屋に着いて衛士が去った後、初めて会ったアンナ女王のことを、口々に感想を言う。


「きれいきれいとは聞いていたけど、あんなに美人だったなんて、あたい知らなかったよ!」


「ベッピンさんだなあ」


「堅物のアキレスだって、そう思うだろう?」


「まあ、その、今まで見たことがないお方だった」


「なにさ、その感想?」


 要するに『今まで見たことがないぐらいの美人だった』と言いたいのだが、素直に女性を褒められないアキレスは、首に手を当てて曖昧あいまいにごまかした。その様子に、一同は笑う。


 ライルは冗談を言う。


「まったくだ。ダンナも人が悪い。あんな美女を怖いって言うなんて」


「……いや、怖いお方でした」


とジョムニがつぶやく。4人が首をかしげて、ジョムニに質問した。


「どういうことだい?」


「事前に調べた通りのあの情報力、そして権力を拡大し続ける実力……気が付かれましたか?私たちの周りにいた衛士や侍従たちが緊張していたことを」


「緊張?どうして?」


「ロレックさんに話を伺いましたが、パーヴェル王子との争いが激化しているらしいです。この王城内でも殺傷沙汰が絶えないようだと。その中で、あの護衛の少なさで、平然としている。異常な精神力です」


 一方で、パーヴェル王子はいつも数十名の兵士で護衛させているという。それが普通だろう。血の池の中で踊る、血よりも赤いアンナ女王の姿が、ジョムニの脳裏に浮かぶ。


「で、でもよお、お前さんはああいう権力者の方が好きなんじゃないか?型破りで、有能なやつを好む女王の方が」


 ライルが意図せずに女王をかばう。しかしジョムニは冷笑して、首を振った。


「好き?まさか!彼女は使えないと分かった瞬間に、部下であろうと捨てるでしょう。彼女は毒花です。あの美しさと香りに魅かれた人を苦しめる、近づいてはいけない存在ですよ」


 ――*――


 暖炉のある応接間に通されたダヴィは、アンナと対面するように座った。窓から入ってくる光は少なく、パチパチと鳴る暖炉の火に照らされる。壁も天井も家具も、そして目の前の女性も赤く見えすぎて、目がくらみそうになった。


 さて、とアンナが口を開く。


「シャルル王子は残念だったわね」


「はい。宰相まで出世されましたが、無念です」


「出世?フフフ、私には随分とあやういものに見えたけど」


「…………」


 あのシャルルの栄光の中で、亡命を勧めてきたのはアンナだった。あの時、彼女の目はすでにあの暗殺劇を予見していた。


 ダヴィには、シャルルのどこが悪かったのか、いまだに分からない。それを彼女に尋ねる。


「シャルル様は焦ってしまったのでしょうか?」


「焦った?いいえ、彼は遅すぎたのよ。私なら……」


 アンナは自分の赤い髪をいじりながら、冷たく笑う。


「権力を握った瞬間に、国王とヘンリー王子を殺していたわね」


「うっ……」


 父と兄を殺すと、事もなげに言う彼女に、ダヴィは息を飲んだ。確かに、彼女ならそれを実行するだろう。


 そして、彼女はこの国でそれを実現している。この凍る大地に潜む悪意を、日々感じている彼女は笑う。


「人はみにくく、欲には素直よ。シャルル王子は信じすぎてしまったの。部下を、父親を、そして自分を……」


「自分すら、信じるなと?」


「人間を油断させて罠にはめるのは、いつだって、その人自身」


 ところで、とアンナは話を変えた。


「あなたはこれからどうするのかしら?」


 ダヴィは座り直し、背筋を伸ばす。そして宣言した。


「僕は自分の国を持ちます。そしてシャルル様と誓った理想の政治を目指します」


「……とても困難な道よ」


「それでも、やります」


 ダヴィのオッドアイが輝く。彼は本気だ。それが分かった時、アンナは高らかに笑い始めた。喉の震えと一緒に、彼女の首についた鈴が鳴る。


「あなたは昔から、正しい道を行くのね。誰かに導かれるように」


 アンナは立ち上がり、ゆっくりとダヴィに近づく。そして座ったままの彼の顎を、下から撫で上げた。体を硬直させたダヴィが見上げる。それを見つめる彼女の目が燃える。


「ああ、ダヴィ!私の理想を超えてくれるのは、いつでもあなただけ」


「あ、アンナ女王……」


「アンナと呼びなさいと言ったでしょう。2人っきりの時はね」


 いつの間にか、周りにいた侍従たちがいなくなっている。アンナの冷たい手がダヴィの頬に触り、その親指でダヴィの唇をなぞった。自分の心臓の鼓動が早くなることに気づく。


 ダヴィは小さく開いた口で、やっと言葉を出す。


「は、ハワード様やウィルバード様は?」


 たどたどしく彼の言ったことに、アンナは口角を上げた。そして身をかがませ、彼の金の輪がぶら下がる片耳に、口を近づける。


 お互いの頬が触れ合った。


「2人ともいないの」


「えっ」


「ハワードは遠征に、ウィルバードは他の街でお仕事よ。だから……」


 赤い唇が動き、ダヴィの耳にささやく。


「これからしばらく、夜は長いわよ」


 彼女の首元から甘酸あまずっぱい香りを嗅ぐ。彼女の吐息が耳にかかる。


 暖炉にくべた薪木がぱちりと弾ける音が聞こえる中、ダヴィの意識は赤い花にからめとられていく。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る