第14話『スールの信条』

 動物たちが冬眠の準備を始め、虫たちが役割を終える晩秋。ダヴィはミラノスに拠点を移した。山間部と異なり、平野を流れる強い風に、新しい生活を感じる。


 そんな風が窓を叩く音を聞きながら、スールは紅茶を楽しんでいた。東のゴールド国で生産された最高級品。その芳醇ほうじゅんな香りを楽しむ。


「ああ。やっと、こういう楽しみが出来るようになりましたわ」


と彼女が話しかけるのは、同じように椅子に座って対面するダヴィにだ。黒いドレスの下から、白い素足を組みかえる。彼女の性嗜好を知らなければ、誤解しているところだろう。


 ダヴィも紅茶を楽しみながら、椅子に背をもたれ、フウと息を吐いて力を抜く。耳を飾る金の輪の片方が、彼の肩に垂れる。


「すまないね。気が休まらなくて」


「私を避難所に使わないでくださいまし。ご存じでしょうが、最近は特に忙しいのですわよ」


とスールは文句を言う。丸い眼鏡の奥に見える大きな瞳に、非難の色が浮かぶ。ダヴィは言い訳する。


「まあまあ。ちょうど話もしたかったことだし、いいじゃないか。この間は修道女を口説いて、怒ったカリーナ典女をなだめてあげたじゃないか」


「ぐっ……それを言われると、何も言えないじゃありませんか。……まったく、贅沢なお悩みですこと。色々な女性からアプローチをかけられるのが大変で、ここに逃げてこられるなんて」


「アプローチって……そんな大層なものじゃないよ」


とダヴィは言うが、アプローチをかけられているのは間違いなかった。ここに越してきた聖子女から度々面談を求められ、それに対抗するように、オリアナが子供に戻ったように甘えてくる。さらにゲリラ戦以来、外での遊びに興味津々なエラが、何度もピクニックに連れ出そうとする。このミラノスに来てから、多忙な仕事以外でも、ダヴィは様々な女性から求められている。


 疲労の色を露わにして頬づえをつくダヴィを見ながら、スールは紅茶をすする。


(随分とお疲れですこと。ダヴィ様が女性だったら、ベッドで癒してさし上げるのに)


と危ない考えを持つと同時に、聖子女の動きが気になった。


(どういうおつもりかしら? ダヴィ様の同情を買うなら、もう十分だと思いますのに。……高潔なお方の頭の中は理解できませんわね)


とスールは首をひねる。恋の匂いに敏感な彼女でも、幼い頃から植え付けられた先入観が、聖子女の想いを気取らせない。ましてや、自分に関しては鈍感なダヴィが気づくはずもない。


 スールは気を取り直して、ダヴィに資料を見せた。仕事モードに戻る。


「これが私が考えているロース統治の草案ですわ」


「ありがとう。……修道院に権限を残しているね。これなら反発も少なそうだ」


「半独立という形で収めさせます。いざという時のために、衛士など治安維持の権限はこちらに接収します。先日の事件がありましたから、スムーズに委譲するでしょう」


「そうだね。……これはこの方向で良い。カリーナ典女に相談してくる。それともう一つ、貴族の扱いについてなんだが、考えてくれたかな?」


 ダヴィが心配しているのは、降伏してきた貴族の処遇だ。先日のシリルの戦いで勝利した後、多くの貴族が降伏した。まだ抵抗を続ける貴族は現在、ダボットやアキレス、ミュールが攻め込んでいる。彼らが白旗を上げるのも時間の問題だ。


 その貴族の処遇について、ダヴィは悩んでいた。この時代、知識層は少ない。彼ら貴族をむやみに切り捨てるのは勿体もったいないと考えていた。そんな彼に、スールはもう一つの資料を渡す。


「『貴族特例法』と名付けました。内容は降伏貴族に一代限りの屋敷と生活費を支給します。その代わりに、能力に応じた仕事をしてもらいますわ」


 スールは貴族たちが断れない状況を利用して、彼らを使役する手段をあみ出した。降伏した貴族を首都の屋敷に閉じ込め逃げられないようにする。そして政治経験がある頭脳を活かして、半強制的に文官に取り立てるのだ。この政策が後に、官僚制度を作り上げる。


 ダヴィはスールに尋ねる。


「貴族の特権はどうする?」


「ああ、法律上の特権ですか? それは廃止します。一般の民衆と同じ法律を適用します。それは私も、ダヴィ様も同じですわよ」


 法の下では平等である。それが『世界の形を決めた女』と呼ばれた法律家・スール=ニコラウスの信条だ。それにはダヴィも同意する。


「貴族も民衆も変わらない。仕事は相応に褒められるべきだし、犯した罪は公平に裁かれるべきだ。それは正しいと思う」


「その通りです。そこに差別があれば、政治は根本から揺らぎます。納得が出来ない法律は守られるはずがありません」


 スールは後に「法律とは、国と民衆との約束」と言い残した。国の中で法律は一つであり、そこに忖度があってはならない。この方針は異教徒懐柔・女性の地位向上にも用いられた。


 珍しく真面目な雰囲気の彼女を、ダヴィは茶化す。


「その法律には、みだらな恋愛も罰すると規定したのかな?」


「……『恋愛は自由』と明記していますわ」


 スールはしれっと答える。彼女の作った法案では、近代法にしては珍しく、同時に結婚できる夫や妻の数を限定していない。その理由は、彼女の趣向から推して知るべしである。それが規定されるのは、彼女の死後だ。


 そんな答えにダヴィが苦笑させられていると、扉をノックする音が聞こえてきた。


「どなたですか?」


「ジャンヌだよ。ダヴィ、いる?」


 扉が開くと、ジャンヌが顔を出す。そして紅茶を飲むダヴィを発見して、ジトッと目を細めた。


「あー、こんなとこにいた! 探したんだよ」


「どうしたんだ? 政務はあらかた片付けたけど」


「さっき連絡があったのさ」


とジャンヌは部屋の中に入ってくる。スールは彼女の変化に気づいた。


「あら? 髪に油を塗っているのですね」


「え? ああ。ちょっとね……」


 バンダナの下からのぞく茶髪は、確かにテカテカと光っている。肩口で外に跳ねる毛先にも、丁寧に塗り込んでいるのが分かった。彼女らしくない変化だ。


「この頃忙しくて、手入れしてなかったんだよ。それをルツやオリアナに注意されちゃって。……あたいらしくないけど」


「そんなことはないよ。女性は髪がキレイな方が良い。ジャンヌは髪の色も良いんだから、整えたらすごく大人っぽくなったよ」


とダヴィは、いつも身だしなみに気を使っていたトリシャを思い出しながら言う。


「えー、そうかなあ」


とジャンヌは眉間にしわを寄せて見つつも、その頬は緩んでいた。ダヴィは滅多に見ない女性らしい顔に微笑ましさを感じる。しかし同時に、その髪から漂う匂いに気が付いた。


「変わった匂いだね」


「あら、ほんと……あなた、その油はどこで買いましたの?」


とスールが立ち上がり、ジャンヌの髪を近くで嗅いで尋ねる。ジャンヌはキョトンとしながら答えた。


「普通の露店だよ。これが今の流行だって言われたから」


「……これは相手を興奮させる油ですわ。情事に使うためのアイテムですわよ」


「えっ?!」


と飛び上がらんばかりにジャンヌは驚く。そしてチラリとダヴィを見た。


「か、かがないでよ! 顔をそむけて!」


「わ、わかった」


 しかし匂いはごまかせない。気恥ずかしさにジャンヌは顔を真っ赤にしながら、早く部屋から出ようと、本題に戻った。


「ファルム国のお偉いさんが会いたいんだって! その使者が来たんだよ」


「それを伝えに来たのか」


「早く行って!」


と急かされて、ダヴィは部屋を出ていった。その際、ジャンヌは素早い身のこなしで、ダヴィから距離を取る。


 そしてようやく部屋の扉が閉まった。ホッと息をつくジャンヌに、スールが尋ねる。


「ねえ、ジャンヌ」


「なにさ。もっと嗅がせてくれなんてお願いは、お断りだよ」


「それもありますが……もうそろそろダヴィ様への言葉使いを改めたらいかがですか?」


「え?」


「敬語を使っていないの、あなただけですわよ」


とスールは苦言をていする。まだ顔見知りだけの少数で構成されていた頃は良かったが、現在ダヴィの部下は大幅に増えた。彼女が知らない兵士や文官も加わった。


 こんな状況でも、ジャンヌは平気でため口でダヴィに話しかける。これではダヴィの威厳は無くなってしまうし、対外的な体面も悪い。このままでは、外交の場に彼女は同席できない。


 ジャンヌは薄々気づいていた問題を指摘されて、ウッと言葉を詰まらせる。スールは追い打ちをかける。


「せめて“様”と付けたらいかがですか。もしくはライルやスコットのように別の言い方をするとか」


「だ、だって、今更恥ずかしいじゃないか」


「これはあなただけの問題ではありません。ちゃんと全体のことを考えてくださいな」


「うう……」


 ジャンヌはしなだれる。反論の余地ない正論が胸に刺さる。


 しかし彼女は変えたくなかった。この特別な言葉遣いが、自分とダヴィの距離を縮めると信じている。もっとも、ジャンヌ自身は自覚していなかったが。


 腕を組んで悩むジャンヌ。その姿に、スールはうずいた。


「……良い匂いですわね。ねえ。ベッドがある部屋で、もっと嗅がせてくれないかしら」


「はあ? やっぱり、そっちの方向じゃないか! あたいの言葉よりも、あんたの性格を直しなよ!」


「嫌ですわ。だって一緒に寝たら、皆ハッピーになれるのですから。やましいことはしていません」


「あんたの自信が羨ましいよ!」


とジャンヌは扉を勢いよく開けて、出ていった。最後にべっと舌を出してみせながら。


 スールは静かになった部屋で、また席につく。そして温くなった紅茶を口に運ぶ。


「まだまだ子供ですわね」


 スールの言う通り、この国はまだ生まれたばかりだ。彼女は再び仕事机に戻り、筆をとる。そして赤ん坊のようなこの国の育成方針を、心血注いで考えるのだった。

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