第15話『ハリスの招待状』
「お鼻、痛いの?」
ひょこりと扉の影から小さな顔が出てくる。応接間の椅子に座っていたトーマスは、その小鳥のような声に気づいた。
「どなたかな?」
「エラよ。知らないの?」
と飛び出てきた少女は、太陽の光を集めたような金髪をわざとらしくかき上げて、えへんと腰に手を当てる。その様子に、トーマスは笑った。
「申し訳ない、お嬢さん。儂はお客さんなのだ」
「えっ、それは……い、いらっっしゃいませ」
と今度はドギマギして、スカートの端を持ってお辞儀をする。すまなそうに眉尻を下げている。純粋な子供だと感じた。
エラはトーマスにゆっくりと近づく。そしてこの城の主人になったように、プリプリと怒る。
「お客さんを待たせるなんて、パパは失礼だわ!」
「パパ? どなたの娘さんかのう」
「パパは王様なのよ」
「ほう」
結婚はしたことがないと聞いた。それに、あまり似ていないように見える。トーマスは包帯を巻いた顔を撫でて、エラを見つめる。一方で、エラはその包帯を見つめていた。
「お鼻、大丈夫?」
「これかな? これは古い傷じゃよ」
「きず?」
エラは背伸びをして、普通とは異なる、平らなトーマスの顔に手を触れようとした。トーマスは驚く。
「こらこら、あまり触るものじゃないぞ」
「しずかに!」
エラは小さな右手を、トーマスの鼻の部分に当てた。彼女の高い体温が伝わり、じんわりと癒されるようだった。
「古いきずはやさしく撫でてあげなさいって、お姉ちゃんが言ってたもん」
「…………」
トーマスは思い出していた。自分の娘を。目の前で燃やされた家族の笑顔を。
(生きていたら、今はどうなっていただろうかのう……)
深い皺が刻まれた目じりに、じんわりと涙が浮かんだ。彼の表情に対し、エラは優しく微笑んでいた。
――*――
トーマスは当然、遊びに来たわけではない。小麦の収穫が終わった残暑厳しい初秋、彼はハリスの書状を持ってきたのだ。
『今後の世界について議論したい。我が国へご招待する』
という趣旨の手紙である。ダヴィはミラノス城にいた重臣たちを集めて、早速会議を開いた。
「彼の目的はなんだろう?」
「議論をすると、記載していましたが」
とアキレスが首を
「それなら手紙を交わせばいいだけの話です。ファルム国の情勢が不安定な中で、わざわざそこに呼びつける理由があります」
「ジョムニ、君はなんだと思う?」
「恐らく、権威付け」
ジョムニは鼻で笑うように言った。見え透いた魂胆だ。
「この書状の他に、一応ファルム王の“委任状”もありますが、実質的にはハリスがダヴィ様を呼びつけることになります。一国の王を呼び出すことが出来るほど、ハリスには実力があると、世界に知らしめることが出来ます」
「馬鹿馬鹿しい」
とルツが苦い表情を浮かべた。『ハリスを王の代理人とする』というファルム王の委任状も、彼が無理に頼んで貰ってきたものだろう。周囲の人間を使って、自分の権威を強化する。ハリスの手法には、誠実さが感じられない。
さらに言えば、この会談予定場所はファルム国の首都・ウィンではなく、ハリスに与えられたベルム城だ。あまりにも露骨である。
「断るべきです、お兄様。このままハリスに利用されては、お兄様の名誉が傷つきます」
「ルツさんに言う通りです。さらに言及すれば、これが罠である可能性もあります。危険です」
「ふむ……」
ダヴィが書状を眺めながら黙り込むと、今度は低いしわがれた声が聞こえた。
「行くべきでしょう」
全員が視線を向ける。まだ体重が戻らない痩せたダボットがいた。最近余計に寂しくなった頭髪を見せながら、意見を述べる。
「ハリスを肥え太らせ、ファルム国を荒らすことが大事と考えます。ここは奴に協力してやりましょう」
ハリスに片腕を斬られたダボットの意見は重い。ジョムニは彼の中身のない左袖を見ながら、反論する。
「ダボットさん、これが罠である可能性もあります」
「それは無いだろう。ハリスは“清廉潔白”さを売りにして、民衆の支持を得てきた。ここで卑怯な真似をすれば、一斉に貴族たちは非難して、奴は自滅する」
それでも不安を感じるのであれば、ベルム城ではなく、その近くの草原で会談を行うべきだ。そして近隣の貴族と密かに連携を取るべきだと、ダボットは話した。ルツは疑問に思う。
「ねえ、ダボット。あなたはどうして、ハリスに肩入れするの?」
その質問に、ダボットは少し笑って首を振る。
「流石の俺でも、腕を斬られた相手は憎い。決して肩入れをしているわけではないぞ。それよりも俺が気にしているのは、ファルム国の強大さだ」
「確かにファルム国は強く、彼らが本気になれば、今の我々では到底勝ち目はありません。ですが、ハリスがファルム国を導いた方が怖いのでは?」
「怖くはない」
とダボットはジョムニに返答する。彼は元貴族だからこそ、貴族のしぶとさを理解している。
「数百年の間、領民とむずび付き、土地に根付いた貴族はしつこいぞ。仮に我々の実力がファルム国を上回り、ファルム王を倒したとしても、ファルム国を制圧するには百年はかかるだろう」
「それを潰すためのハリスか」
「その通りです、ダヴィ様。奴は自分の理想のために全てを潰すでしょう。そして入道雲のように膨れ上がり、雷雨を落とすかもしれません。ですが、それは一瞬のこと。奴が自滅した後、貴族たちが弱体化したファルム国に、我らが乗り込めばいいだけです」
「うん……」
ダヴィはそこまで明快に予知できない。ハリスが今までの政治世界において異質過ぎて、彼の存在価値が読み切れていないのだ。ダボット以外のメンバーも同様で、一抹の不安を覚えていた。
「ダボットさんの意見も尊重するべきですが、この会談はいかない方が良いと思います」
「俺も同意見です。奴は好きではない」
というジョムニとアキレスの意見に続いて、ルツがさらに懸念を示した。
「それに……“もう一人”の出席予定者が気にかかります」
「そうだね……」
ダヴィは書状の一文に目を通した。そこにはハッキリと、ダヴィが良く知る女性の名前が書かれている。
『アンナ=ソイル女王にもご出席を求めています』
――*――
夏を過ぎたばかりなのに、こんなにも肌寒いのか。マリアンは薄着で来た自分を呪った。
日差しがある外はともかく、このモスシャ城の薄暗い中は一段と冷えている。これが冬に近づけば、城内で凍死者が出るかもしれないと、彼女は謁見の間でジッと立ちながら、そんなことを考えていた。
その時、カツカツと廊下を歩く音が聞こえる。
「アンナ女王陛下のおなりです」
マリアンが頭を下げる。屈強なハワードを連れたアンナ女王が現れ、マリアンの前を通って、一段高い場所に設置された椅子に座る。今日も赤いドレスに、赤い髪を垂らしていた。
部屋の空気が一段と冷えた気がする。マリアンは重くなった口を開いたその時、アンナ女王の鋭い声が響く。
「神学校を追放された、過激な娘か」
調べられている。マリアンは体をこわばらせる。彼女の掘り返されたくない過去を、的確に指弾され、マリアンは何も言えずに黙った。その様子に、アンナ女王は薄ら笑いを浮かべる。
「要件は聞いた。私を招きたいと」
「は、はい……ファルム王の代理として、我が主・ハリス=イコンが、あなた様とお会いしたいと」
「それはハリスの願いか? それとも、“サロメ”とやらの入れ知恵か」
「…………」
再びマリアンは沈黙する。どこまで調べられているのか。先ほどまで寒かったのに、背中に汗が伝った。役者が違う。
それでもマリアンは役目を果たそうと、固い笑顔を無理に浮かべた。
「いずれの知恵であろうとも、ハリス様が決断されたことです。世界の運営を陛下とお話ししたいと考えているのは確かです」
「そのことに、そなたは賛同しているのか」
「えっ……」
一瞬、空気が止まる。心に秘めた思いを突かれて、マリアンは目を泳がす。アンナ女王はニヤリと口角を上げた。
「まあよい。その点はそなたらが考えるべきことだ。私の関心はただ一つ」
「…………」
アンナ女王は赤い瞳を向けて、マリアンのとび色の瞳を覗き込む。
「ダヴィは来るのか」
マリアンは腹に力を込めて、言い放つ。
「陛下がいらっしゃれば、必ず来ます」
「面白きことを言う」
アンナ女王は微笑む赤い唇に、細くて白い手を当てる。彼女のぷっくらした唇を指で突きながら、彼女は考える。
そして、彼女は決めた。
「ダヴィに会おう。ついでにハリスにも」
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