第16話『三奇主のベルム会談』
金歴553年秋、ファルム国北部の草原は背の高い雑草が赤く染まり、冷たくなり始めた風に揺れて、全景を金色に染める。この光景は太古の昔から変わらないはずだ。
この名も無き草原が、歴史上に名を刻まれる日が訪れた。世界の行く末を占う会議が、この地で行われることになる。
主催者はハリス=イコン。出席者はダヴィ=イスルとアンナ=ソイル。王侯貴族たち既存の支配層とは異なる、全く新しい支配者たちである。
他の君主や貴族は排除されて、彼らだけで話し合われる。その異様さに世界は注目し、そして恐れを抱いて見守る。
この会談を地名から名を取り、『三奇主のベルム会談』と後世の歴史家は命名した。
――*――
視界が開けて草原に、ダヴィら一行は訪れた。周囲を偵察してきたアキレスが馬を走らせてきた。草むらを馬脚がかき分ける。
「周囲には草を刈っている農民しかおりません。伏兵はいません」
「この辺りの城の動きはどうだい?」
「ご心配なく。動きはありません」
とジョムニが答える。ダボットには「問題ない」と言われたが、ダヴィは万全の準備をしていた。この周囲の貴族には貢物を送って、事前に支援を求めている。なにかあっても、逃げ延びることは出来るはずだ。
ダヴィはこの草原を見渡した。秋の色に染まりゆく草木を撫でる風の音以外聞こえない。一番乗りだったか。それにしても、ハリス側が事前に待っていても良いのに、と思っていると、傍にいたノイが指さす。
そちらの方向を見ると、黒い馬車が草木をかき分けていた。その馬車を先導する騎士の鼻筋に大きな傷がある。見覚えがある。ハワードだ。
「ソイル国か」
やがて馬車がダヴィの傍に寄り、そして馬を切り離して、馬車を固定させる。彼女が馬嫌いと知っているダヴィも愛馬ブーケから降りて、彼女を待った。
そして馬車からゆったりと赤いドレスが出てくる。馬車を降りて、草原に立つ。一面黄緑の光景に似つかわしくない赤い姿は、自然と衆目を集めた。
今では対等な立場だ。ダヴィはお辞儀することなく、微笑んで挨拶する。
「お久しぶりですね、アンナ女王」
アンナもその赤い唇を微笑まして答える。
「久しぶり、ダヴィ王」
その時、南から騎馬の集団が姿を現した。目を凝らして見たが、その数は少ない。
「ハリスでしょう」
とジョムニが見解を示す。それは正しく、大男のペトロを先頭とする集団が姿を現した。
ダヴィとアンナが下馬しているところを見て、黄金の髪を風に乱したハリスも馬から降りる。そして二人の前に立ち、爽やかに挨拶した。
「やあやあ、よくぞ参られた、我が国に」
(“我が国”ときたか)
彼は一介の騎士でしかない。ダヴィは思わず苦笑しかける。それと同時に、女王が言った。
「“ハリス殿の国”であるなら、それなりの礼儀を示すべきではないかしら」
「む?」
ハリスは意味が分からず、隣に来たペトロを向いた。ペトロはハリスに耳打ちをすると、彼はようやく理解して笑った。
「大丈夫! あちらに草木を斬って、広場を作っています。せっかく城内で用意をしていたというのに、ねえ」
と城外での会談を依頼したダヴィをなじる様に言うが、ダヴィとアンナは返答せずに、それぞれの馬車と馬に向かった。ハリスは慌てて自分の馬に戻っていく。
ダヴィたちが案内された先には、草木を踏み固めた上に、布地の天幕がいくつも設営されていてた。先ほどアキレスが見た農民たちが準備していたのだろう。
「さあ、中に」
とハリスに誘われて、ダヴィはアキレスを、アンナはハワードを連れて、天幕の中に入った。天幕の中には机と三脚の椅子が並べられていた。ここを会談の場所とするのだろう。
「どうぞ、座ってくれ」
と言って、ハリスはためらうことなく一番奥の椅子にどっかりと座った。ダヴィとアンナはチラリと視線を合わせて、それぞれの椅子に座る。アキレスとハワードはそれぞれの君主の後ろにたち、ハリスの後ろには、ペトロが立った。
早速、ハリスが口火を切る。
「よく来てくれた。お二人とも、今日は存分に語り合おう!」
(おや?)
とアキレスが違和感を持つ。ハリスの青い瞳の視線は、ほとんどアンナに向いていた。時々、全身を舐めるように見つめる。
(結構な女性好きと見える)
ところが、アンナの方はというと、ダヴィの顔ばかりを見つめている。その赤い瞳で、ダヴィのオッドアイを射すくめていた。ダヴィはそれに気づいているのだろう。視線を合わせづらく、あさっての方向を向いたり、目を閉じたりしていた。その苦労に、アキレスは内心苦笑した。
一方で、ハリスの主張、もとい演説は進んでいく。彼の演説は自分への粉飾を繰り返す冗長なものだったため、抜粋すると
「俺たちは世界を分け合って統治するべきだ。俺は中央を、アンナは北を、ダヴィは東を」
と述べていた。途中からダヴィやアンナを呼び捨てにしていたのは、彼の自尊心の表れだろうか。アキレスやハワードは反応しかけたが、ダヴィとアンナは無視している。
そして長い演説が終わり、ようやくハリスに意見を求められた。
「どうだ! これから一緒に、世界を繁栄させようじゃないか」
「…………」
興奮しているハリスとは対照的に、ダヴィとアンナは沈黙したままだ。目も合わせない二人に、ハリスはしきりに目を動かし、ドギマギしている。
そしてようやく、アンナの赤い唇が動いた。
「私はすでに北辺を治めている。そなたに言われずとも」
「いや、それは」
「そもそも、そなたとは初対面である。信用できない」
ハリスは後ろのペトロを見た。話が違うと言いたげだった。
(先ほどの演説も仕込まれたか。これもサロメの策略か)
それにしては薄弱な提案だ。とてもアンナを説得できると思えない、とダヴィは感じた。
ふと気づくと、ハリスがこちらを見つめていた。弱々しい視線からすると、こちらに賛意を求めている様子だ。ダヴィは一呼吸して、そして話し出した。
「これは、ファルム王のご意志ですか」
ハリスはむきになって、大声を出す。
「あ、当たり前だ! 俺は王の代理にで来ているのだ。これが証拠に――」
「それにしては、先ほどのご主張は『ファルム王と』というよりは『自分と』同盟を結んでほしいと、言われているようだった」
「それは……」
もごもごと口を動かすハリスに、ダヴィは鋭く言う。
「俺は『ファルム王の代理』と会いに来たのだ。ハリス殿がそうでなければ、この会談は意味がない」
「くっ……」
ハリスの後ろにいたペトロが、ダヴィにぎょろりと視線を向ける。
「その発言、ハリス様を
「控えろ。お前に発言は許されていない」
とハワードがぴしゃりとたしなめる。その途端に、ペトロの全身が強ばり、怒気がふき出すように感じた。ハワードとアキレスが腰に下げた剣を掴む。一気に空気が悪くなる。
その時、天幕の外から入ってきた人物がいた。長い影を三人に垂らし、甘い声を出す。
「皆さま、白熱していらっしゃること」
「サロメ……」
長い黒髪の女性、ウッド国を食い物にした謀略家、サロメ=アンティパスがいた。再びダヴィの前に姿を現す。絡みつくような視線は相変わらずだった。
「お久しぶりですわ、ダヴィ王」
「…………」
サロメはペトロを目で抑えつつ、ハリスの肩に手を当てた。ハリスが彼女に情けない視線を向ける中、彼女はダヴィたちに言う。
「お早いですが、お食事の準備が出来ております。この会談は重要なもの。明日、再び議論致しましょう」
――*――
「クソが……」
ハリスは荒れていた。今一つ盛り上がらない夕食を終えて、自分のベッドがある天幕に入り、酒を飲んでいる。椅子に座る彼の足元には、空の酒瓶がいくつも転がっている。
夕食の間、ダヴィとアンナは傍にいた。ハリスがわざわざ離して座らせたというのに、アンナの方から席を移動して、ダヴィの隣に座ったのだ。そして刑法理念について楽しそうに語り合う。ハリスは全くついていけなかった。
アンナの視線が常にダヴィに向いていることが、とても気に入らなかった。
「それほど“王”が好きか」
自分に無くて、ダヴィにあるものが憎らしい。口に含んだ酒が苦い。それでも、コップに酒をまた注いだ。
その時、彼の座った眼に、黒髪の女性が天幕に入ってくるのが見えた。彼の罵声が飛ぶ。
「サロメ! これはどういうことだ!」
彼女は黒い唇を三日月に曲げる。彼の罵倒など、全く意に介さない。
「さてさて、ご陽気な様子ですわね」
酒と怒りで顔を赤くするハリスに、サロメは近づき、彼の手からコップをするりと取った。そして彼のたくましい膝の上に座り、その中身の酒をグッと飲んだ。彼女の黒い唇の端から、濁り酒の雫が垂れる。
サロメはハリスの耳に唇を寄せた。
「思い通りに行きませぬか」
「二人とも、俺の言うことを聞かぬ」
「わらわがいなかったからですわね」
「…………」
まるで何もできない赤子のように言われるのは癪だが、サロメの体温が彼の荒れた心を癒していく。青い瞳を、彼女の白くて細い顔に向けた。
「どうしたらいい」
サロメは甘い声で囁く。彼の耳の穴をくすぐる様に伝える。
「わらわが二人を説きましょう。全て、あなた様の意のままに」
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