第32話『ミラノスの戦い 上』
決戦場を事前に決めたことは、両軍にとってメリットがあった。
クロス軍にとっては、防御に適した山岳地帯から、ダヴィ軍を引っ張り出せる利点がある。兵装・補給にしても、ダヴィ軍よりは断然優れている。平野では勝つ自信が多分にあった。
ダヴィ軍にとっても、教皇軍との共闘が見込めるため、平野での戦いは望むところだ。さらにクロス国の首都・ミラノスに近いことで、そのまま落とすことも可能となる。
いずれにしろ、この戦いで最後になることは、どちらの軍も覚悟していた。
「いよいよだ」
「ええ、そうですね」
ダヴィとジョムニが会話する。肌から熱を奪うようになった風が、彼らの黒髪を撫でた。
ミラノスの東部、南北に道が分かれる街道沿い。ダリアの花が片隅で咲く秋口、ダヴィ軍1万5千、クロス軍3万、そして教皇軍2万が
その陣の配置を見て、ダヴィは首を傾げる。
「教皇軍、遠すぎはしないか?」
ダヴィの指摘した通り、教皇軍だけが南に離れている。それは参戦するというよりは、にらみ合うダヴィ軍とクロス軍を監視しているように見える。
ダヴィは心配する。
「教皇軍は参陣しないとなると、兵力はこちらの方が劣っている。厳しい戦いになるぞ」
「ご安心ください。たとえそうなっても、クロス軍の士気は低く、戦勝を続けている我々が有利です」
「どうかな……」
追い詰められた時、生物は意外な力を発揮するものだ。自分たちで最後の決戦を選んだクロス軍が、この戦いにかける思いは相当なものだろう。
眉間にしわを寄せるダヴィの顔を見て、ジョムニはいつものように微笑む。
「大丈夫ですよ。この日のためにしっかりと訓練を重ねてきたのではないですか。それに、ダヴィ様の心配を払しょくするのが、私の役割です」
とジョムニは言って、青いキャスケット帽の下から、鋭い視線をのぞかせる。
「万が一のために、スパイを潜り込ませています」
――*――
伝統に則り、挑発をし合って、戦闘は始まった。
クロス軍は古来からの伝統、ファランクスの陣形をとる。隙間を
「古の戦場を見ているようです」
とジョムニは、ショーを見ているような気楽さで言った。戦術の教科書に載っている通りに、忠実にかたまり、ダヴィ軍の雨のような矢の攻撃を、耐え抜いて進撃してくる。
ダヴィは展開を命じた。
「右翼と左翼に進軍を命じる。クロス軍を側面から崩す!」
ファランクスは防御に優れているが、柔軟性・機動性は低い。相手がファランクスを仕掛けてきた場合、挟み込んで攻撃するのも、教科書に載っている『正しい戦術』である。
右翼のアキレス、左翼のミュールは命令を受け、即座に攻撃を開始する。
「押し出すぞ!」
「てめえら、仕事だ!」
ダヴィ軍の半数が、アキレスとミュールを先頭にして、左右へと展開していく。全く突き崩せなさそうな密集集団を、一枚一枚皮をはがすように、兵士たちを討ち取っていく。アキレスのパルチザンの斬撃と、ミュールの自分を
ところが、ダヴィたちの思惑通りにいかない。敵の左翼と右翼がそれぞれ対応し、彼らの進撃を
「馬鹿め、そう上手くやられてたまるか!」
半分に切られた髭を撫でる。彼も必死だ。
ジョムニはダヴィの隣で、この戦局を解説する。この状況も、彼の予想の中にあった。
「こちらの機動力が不足しているのが原因でしょう」
急造のダヴィ軍には、訓練の時間が圧倒的に足りていない。その中でも育成に時間がかかる騎兵は、部隊として編成することさえ難しいぐらいに、数が不足している。これでは、いくらアキレスやミュールが鼓舞しようと、敵の攻撃をすり抜けて回り込めない。
結局、ダヴィ軍は挟み込むことが出来ず、クロス軍と正面から戦う構図が出来てしまった。そうなれば、最もつらいのが、一番圧力を受ける中央軍だ。
「くそったれ!貧乏くじだぜ!」
「ひえええ、もうカンベン!」
ライルとスコットは悲鳴を上げながら、ファランクスの突撃を受ける兵士たちを指揮する。しかしクロス軍は歴戦の貴族や騎士が多い。ダヴィ軍がやっと付けた傷も、あっという間に兵士を補充して埋めてしまう。ファランクスに隙間が生まれない。
ジャンヌは馬上で弓矢を放ちながら、この苦境に顔をしかめる。
「あたいらだけが戦っているじゃないか。あいつらはどうしたんだい!」
ジャンヌが言う「あいつら」とは、もちろん教皇軍のことである。
教皇軍は動かない。
「嫌な予感が当たったか……」
ダヴィは南を眺める。川を隠すように布陣する黒い集団は、一向に動く気配がなかった。
その指揮官の一人、先日教皇に呼び出されていたスキンヘッドの将軍、アンドレ=ヴァレントンは、ジッと北を眺めていた。馬上から見る戦場は、両者とも互角の戦いをしている。
「ヴァレントン様、クレブス様より伝令です」
こちらも教皇に呼び出されていたキツネ目の男、ベルナール=クレブスも、この戦場に参戦している。その彼からの伝令と聞いて、アンドレはじろりと目を向ける。
「捨ておけ」
「は?」
「どうせ『早く攻撃させろ』と言ってきているのだろう。この軍の指揮権は私が握っている。勝手な行動は許さんと、そう伝えろ」
駆けていく伝令の背中を見つめながら、アンドレは苦虫を嚙み潰したような顔をする。
(まったく、血の気の多いやつは困る)
彼には信仰心はない。この戦いで敵を殺すことで聖女が喜ぶと、狂信者たちは言うが、知ったことではない。彼に与えられた役割は『いかに少ないリスクで、多くの利益を獲得するか』にある。
この時点では参陣するのは早い。それに、教皇からは状況に応じて、『攻撃する対象を変える』ことも許可されている。
(さてさて、せいぜい傷つけあってくれよ)
この戦いのカギを握る傍観者は、タイミングを見計らっていた。
ダヴィもその可能性に気が付いていた。
「教皇軍がこちらに攻めてくることも考えられる。そうだろう、ジョムニ?」
ジョムニは頷く。絶対的な優位に立つ教皇軍としては、どちらに味方しようとも、イニシアチブを取れる。最悪の場合、教皇軍はダヴィ軍を壊滅させ、クロス国から感謝と報酬をもぎ取ることも可能なのだ。
外交上の道義的には、反則行為にあたる。しかし戦場では何が起こるか分からない。
「早く決着をつけなければ」
ダヴィは教皇軍を気にしながらも、目の前のクロス軍に神経を集中させる。
――*――
戦闘開始から1時間が経過しようとしていた。両軍に疲労の色が見え始め、足が止まり始める部隊も出てくる。
その中で、戦局はダヴィ軍に傾きつつあった。
「どういうことだ……なぜ、押し切れん!」
カラッチ公が怒鳴る。握っていた指揮棒を折りそうになる。
クロス軍自慢のファランクスが、ダヴィ軍の壁に阻まれている。自分たちよりもよほど薄いはずなのにだ。
「負傷者はすぐに下がらせるんだ。ここで食い止める!」
ダヴィの声が戦場に
ライルとスコットが息を吹き返したように働く。
「ダンナはファルム軍の猛攻にも耐え抜いたんだ。へなちょこのクロス軍なんて、屁でもねえや」
「おいらたちも頑張るぞお」
ダヴィ軍の士気が上がる。ダヴィの素早い対応に、クロス軍の足が止まる。
その
「再度回り込むぞ!」
「押し返せ!」
彼らの進軍を阻んでいた部隊を蹴散らし、彼らは左右から再び包囲運動を開始する。じりじりとだが、クロス軍は三方向から攻められるようになった。ファランクスの陣形が、ゆっくりと崩れ始める。
乱れた厚い鎧の隙間に、ジャンヌの矢が飛ぶ。壁が一枚、また
「この勢い、止めるんじゃないよ。あたいらも続くんだ!」
陽が中天に差し掛かる前に、もはやクロス軍の敗色が濃厚になってきた。ダヴィとしては、あとはどう勝つかだ。
その時、伝令が飛んできた。
「ダヴィ様!教皇軍が動きます!」
「なんだって!?」
ダヴィは南に顔を向ける。今までピクリとも動かなかった巨大な影が、近づいてくる。
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