第31話『前祝いの席で』

 明後日の出陣に合わせて、ナポラの城は忙しさを増していた。城外での決戦とはいえ、ミラノス城を攻め落とすことも想定している。攻城戦のために、多大な補給物資も用意しなければならない。


 兵士や侍従たちが走り回る城の中で、ダヴィは自室にいた。椅子に座って、目の前の『抗議者』に対応している。


「また、おしごとなのね!」


 エラがプンスカと怒る。なんだか、その様子がトリシャに似ていて、ダヴィはクスリと笑ってしまう。それを見て、エラはますます怒る。


「わらわないの!エラはおこっているの!」


「ごめん、ごめん」


 ダヴィはエラの金色の頭を撫でる。こうすればいつも大人しくなってしまうのだ。エラは頬を膨らませながら、黙って撫でられていた。


 そんな憤然とする姫は、ダヴィに要求する。


「おしごとおわったら、エラにごほうびちょーだい!」


「ご褒美?」


「そう!エラといっぱいあそでね、パパ」


「分かった。みんなでピクニックに行こう」


「やったー!」


 機嫌が一転して良くなったエラは、満面の笑みで走り出していった。彼女が去った後、ダヴィは考えていた。


「ご褒美か……」


 ――*――


 ダヴィは出陣前の軍議後、会議室に集まる全員に対して、提案した。


「「「褒美を与える?」」」


「そうだ。これまで皆には頑張ってもらった。この戦いが終わった後、当然、勲功に応じた金品は与えるが、それとは別に、僕個人として君たちの働きに報いたいと思う。遠慮なく言ってほしい」


とダヴィは笑みを浮かべながら言う。突然のことに、皆は顔を見合わせた。


 代表して、ルツがダヴィに尋ねる。


「それは今、決めなくても、よろしいのですね」


「ああ、そうだよ。クロス王を倒した後に会議を行うから、その時に言ってもらいたい」


 解散後、ダヴィ以外のメンバーが廊下を歩きながら、相談し合っていた。


「急に言われてもな」


「おいらは酒にしようかな」


「おめえは簡単でいいな。この際だから、もうちょっと形に残るものにしろよ」


「酒が一番だあ」


 ライルとスコットの後ろでは、ミュールも悩んでいた。


「何を頼むか。ダヴィ様個人にして頂くとなると、難しいな」


「なら、ダヴィ様の芸はどうだ?」


「芸?サーカスのか?」


「馬乗りの芸だ。あれは見事だぞ」


 だろ?とアキレスは、隣のジャンヌに声をかける。しかし彼女の返事は曖昧あいまいなものだった。


「え?うん。それはすごいけど、あたいはバンダナを買ってもらおうかな」


「バンダナ?」


 彼女の茶色の三つ編みの髪に巻かれた、緑のバンダナ。彼女が草原を駆けまわっていた時から身に着けていたそれは、確かにボロボロになっていた。


 しかし彼女は何度も新しいバンダナ買っていたはずだ。それなのに、なんでそれを巻いているのだろう。アキレスは尋ねると、ジャンヌは小さく呟く。


「……だって、ダヴィがこのバンダナがいいって……」


「なんだって?」


「な、なんでもないよ!別にいいだろ」


「ジャンヌのバンダナなんて、どうでもいいだろ。どうせ外で泥だらけになって、汚れるだけさ」


「ライル、うっさい!」


 一番後ろを歩くルツとオリアナは、期待に胸を膨らませ、喜色を頬に浮かべる。


「どうしましょう。服もきつくなってきましたし、お兄様とデートしながら、ショッピングに付き合ってもらおうかしら」


「じゃあ、私はそのデートの相手を変わってもらいましょうか、ぐふふ」


「そんなことをしたら、絶対に許さないわよ、スール!」


「お似合いの服も、下着も、買ってあげましょうか~」


「イヤ!そうでしょ、オリアナ」


「私は……ふふ……」


 オリアナは静かに笑っていた。その顔から、ルツは目をそらした。何を想像しているか、姉妹と言えども分からない。スールでさえも話しかけることを諦める。最近は、彼女はルツにはちょっかいをかけるが、オリアナには手を出そうとしなくなった。


 そんなことを皆が話している中、ダヴィと一緒に部屋に残るジョムニとルフェーブは、彼の提案を褒めた。


「ちょうどいいタイミングでした。クロス王を打倒すればひと段落ですし、これで士気も上がることでしょう」


「民衆も同じように褒美を求めているかもしれません。正円教の高名な司教を連れてきて、催事を執り行いましょう」


「そうだね、検討してくれ。君たちも何かしてもらいたいことがあったら、遠慮なく言ってほしい」


と言ったダヴィに、逆にジョムニが尋ねる。


「ダヴィ様こそ、何かされたらいかがですか」


「僕が?」


「ええ、君主なのですから、少しばかりのわがままは宜しいかと」


 ダヴィは顎に手を当てて考えた。そして頭をかき、耳についた金の輪を揺らしながら、答える。


「それなら、ひとつやりたいことがある」


「なんですか?」


 遠い地に置いてきた恋人を思いながら、照れ臭そうに言った。


「トリシャを迎えたいんだ。そして、結婚したい。僕の夢のひとつだよ」


 ――*――


 戦場に赴く前に、部下の士気を上げるのも、指揮官の重要な役割である。


 ミュールは主要なナポラの部下十数人を集めて、酒盛りを開催することにした。酒場のテーブルを囲んだ男たちに向かって、彼は立ち上がってコップを持ち上げる。


「いよいよ、ここまできた。俺たち民衆の想いを世界に知らしめ、俺たちをしいたげるクロス王を倒す時が来たんだ!次の戦いでは俺たちが先陣を切り、必ずダヴィ様に勝利をもたらそう!」


「「「おう!」」」


「勝利を祈願して、今日は飲むぞ!乾杯!」


 力強く、コップがぶつかり合う。ミュールたちは気勢を上げて飲み始めた。彼が兵士から慕われている理由の1つに、彼が蓄財をしなかったことが挙げられる。彼は褒美としてもらった金品を、惜しみなく部下に分け与えてしまうのだ。この癖は生涯直らず、度々困窮する彼の姿が裏話として、歴史書に記載されている。


 この地方特産の黒ビールの在庫が、みるみるうちに無くなっていく。酒場には他の客もいたが、ミュールは酒の勢いで、彼らの分まで奢った。この傷だらけの指揮官に、酒場の客の誰もが親しみを感じる。


 その客の中に、1人で飲んでいる男がいた。ミュールは陽気に笑いながら、彼に近づく。


「よう、じいさん。飲んでるか!」


「じいさん?」


 その男はギロリとミュールを睨む。前から頭頂部にかけて禿げた頭を上に向け、ほうれい線がくっきりと刻まれた頬を歪めた。


「初対面で失礼なやつだ。俺がそんな歳に見えるか」


「おっと、わりい」


 確かに、よく見ると、肌つやは良い。後頭部にしか残らない髪とほうれい線のせいで、大分歳を取っているように見えるが、もしかしたら30代かもしれない。


 ミュールが素直に謝ると、彼は鼻を鳴らして、酒をあおる。


「いい気なものだ。まだ終わっていないというのに」


「そう言うなって。前祝いっていうのも、いいじゃねえか」


「それは何の前祝いを言っているのか。クロス国の滅亡か?それとも、この国の平和か?」


 ミュールは酔った頭で一生懸命考え、たどたどしく答える。


「えーと、どっちもだが……」


「ふん。一緒のわけがないだろう。本気でそう考えているのなら、ここの領主のダヴィ=イスルも馬鹿なことよ」


「なに!?」


 ボルテージが上がり、ミュールは彼の襟首をつかむ。太い腕で、彼の身体を持ち上げ、怒鳴った。


「ダヴィ様のどこが馬鹿だ!?」


「クロス王の打倒は、戦乱の始まりに過ぎない。それすら分からないから、馬鹿と言ったまでだ」


「ああ?てめえ、ふざけたことぬかすな!」


 部下が慌ててミュールを止める。「そんなやつ放っておいて、こっちで飲みましょう」と無理やり引きはがし、息荒いミュールを彼から遠ざける。


 男は椅子に座り直す。少ない後頭部の髪を撫でながら、ぶつくさと言うのだった。


「あの強欲な教皇が、この程度で満足するはずがない。ダヴィ=イスル、危うい橋を渡っていることに、いつ気づくのやら……」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る