第3話『未知の国・ウッド国』

「エラ、良い子だから、お部屋を出てちょうだい」


「いや!」


 教皇がウッド国に逃げた事実を確認したダヴィたちは、早速対策会議を開こうとした。ミラノス城の庭先のマロニエの木に薄黄色の花が咲き始めた、初夏の出来事である。


 ところが、思わぬ障害が彼らに立ちふさがる。


「エラ。これから俺たちはこの部屋でお話しするから、他の部屋で遊んでくれないかな」


「いやっ!」


 金色の髪を乱して、エラが横に首を振る。会議室の一番の上座、つまりダヴィの椅子に取りついて動こうとしない。


 彼女はもう七歳。成長の早い女の子ともあって分別が付き始める頃だが、今日はわがままな幼子おさなごに戻ってしまっていた。


 エラは自分なりの理由で抗議する。


「だって、パパたちが『かいぎ』をすると、いつも忙しくなるもん。エラと遊んでくれなくなるもん」


「エラ、それは……」


 妙に賢くなったものだ。ダヴィは自分の娘のような存在の彼女の成長を微笑ましく思ってしまう。その一方で、教育役を主に担当しているルツは、目じりをつり上げる。


「いい加減にしないと、怒るわよ!」


「いやー!」


「まあまあ、ルツ姫様。そんなに怒っては美しいお顔が崩れますよ。ここは僕にお任せを」


 とマセノが前に出てくる。洒落者らしく、今日も束ねた髪からは、香水の匂いが漂う。彼はエラの前に跪くと、懐から何かを取り出した。


「エラ姫様。これ、何でしょうか?」


「お花?」


 マセノが右手の指先に掴んでいたのは、黄色い花が咲いた野草で作った指輪だ。彼はそれをエラの細い人差し指にはめてあげた。エラの目が輝く。


「キレイ! どうやって作ったの?」


「教えてあげましょうか? ご要望とあらば、僕と一緒に中庭へ」


「マセノ! あんた、エラも対象なのかい?」


「そんなまさか。将来有望ではありますが、僕が口説くには早熟すぎる。嫉妬しなくても大丈夫ですよ、お嬢さん」


「へ、変なこと言うな!」


「うー……」


 エラは悩んでいたが、指輪の魅力に負けて、椅子から降りてマセノの手を取った。マセノはダヴィに告げる。


「エラ姫様をお預かりしますよ」


「助かるよ。でも、いいのかい?」


「まだ新参者ですからね。会議に出席する資格があるかどうかも怪しいことは自認していますよ。ほら、そこのでくの坊! 君も同じだよ。一緒に行くぞ。護衛ぐらいは出来るだろう」


 マセノはダヴィの傍に控えていたノイに命令する。ノイはダヴィの顔を確認して、ダヴィが頷いたのを見て、マセノについて行こうとした。


 それを見て、エラが両手を上げる。


「肩車して!」


「え? この男にですか? それは危ないですよ」


「大丈夫! 優しい目をしているもん」


 ノイは黒い顔の中に浮かぶ大きな目を、エラに向けた。そして黙って彼女を肩に担ぎあげた。「キャー」と喜ぶエラの声と、「天井に頭をぶつけないようにな」と注意するマセノの声と共に、彼らは廊下へと出て行く。そして徐々に足音が遠ざかっていった。


 とりあえず、エラの機嫌が悪くならずに追い出せて、ダヴィたちはホッと息をついた。ルツはマセノの手腕に感心する。


「女性の扱いは天下一品ね。エラまで手なずけるなんて、見直したわ」


「エラ様が物怖じしない性格だからですよ。彼の功績ではありません」


「あら? 妙に否定するわね、ジョムニ」


「別に。まだ信用していないだけです」


 少しむくれ顔のジョムニは、さっさと車いすを動かして、自分の位置へと動く。ルツは首を傾げながら、彼女も自分の場所へと座る。


 ようやく会議が始まった。


「ウッド国か。また変なところに逃げ込んだな」


「どんな場所か知っているのか?」


 とアキレスが尋ねる。ミュールはオールバックの黒髪をかき上げながら、顔をしかめた。


「森の悪魔が潜んでいる、不思議な不思議な国さ」


「なんだそれ?」


「爺さんから聞かされた古い言い伝えだ。なんでも、クロス国の旅人がウッド国の森に迷い込んだら、森の悪魔に捕まって、一生出れなくなるって話だよ。実態が知れない、遠くに感じるお隣さんさ」


「あら? それはおかしなこと。私たちは何度も行っていますわよ」


 とルツが言い、オリアナに同意を求める。オリアナは頷いた。ミュールは眉間にしわを寄せる。


「おいおい、どういうことだよ。俺たちが知らない国に、何で行けるんだ?」


「お前たちは船で行ったんじゃないか。父親の商船で」


「ええ、そうですわよ。他の港と違って木造の変わった港でしたから、よく覚えていますわ」


 ルツはダボットの指摘に頷く。そしてジョムニが解説を加えた。


「ウッド国は港しか開かれていない、閉ざされた国なのです」


「どういうことだ?」


「国土の大半を占めるヴィレン大森林の中に、大きな道が通っていないのですよ。そのため交易や外交は全て首都・ワシャワの外港で行われます。クロス国の庶民が『未知の国』と呼んだのも無理はありません」


「なんでそんな変なことをするんだあ?」


 スコットが単純な質問をする。ジョムニが青いキャスケット帽の下に笑みをのぞかせる。人に何かを教えるときの顔は、本当に嬉しそうだ。


「全て防衛のためです。進軍スピードを遅らせて、少ない兵力を駆使して、視界の少ない森の中で叩く。それがウッド国の伝統的な戦術です」


「森の中に潜む異教徒の戦術を真似たらしい。過去、クロス国などから侵略されたが、ことごとく跳ね返した。兵力は少ないが、農民兵なのに忍耐強くて森に詳しい。まさに“無敗”の国だ」


 ダボットも解説する。広い額に皺を寄せる。よほど難しい国なのだろう。


 今度はダヴィがジョムニに質問した。


「政治体制はどうなんだい?」


「極めて保守的です。昔から重臣たちによる合議制を採用しており、ウッド王と二つの名家・ヴァース家とアンジュ家が国制を司っています。この体制は百年以上続いているらしいです」


「私もウッド国の法律を調べたことがありましたが、古風も古風。農民たちの連帯責任制など、庶民への強圧的な支配を続けていますわ。だからこそ体制の維持を続けられたと言えましょう」


 とスールが扇子で仰ぎながら答える。黒いドレスを着ている彼女にとって、この部屋は少々暑い。


 ライルが太い腕を組みながら「じゃあよお」と会話に参加した。


「ほっときゃあいいんじゃないか? そんな攻めにくい国なら、攻めなきゃいいんだ。逆に攻められたとしても、そんな古めかしい国に負ける俺たちじゃねえぜ」


「そうはいかない。教皇は必ず捕まえなければいけない」


 ルフェーブが声に力を込めて発言する。彼のメガネに苦悩の色が浮かんだ。


「現在、祭司庁と修道院では新たな教皇を選定しようと動いている。しかし、それには教皇の証である『ロッド』が足りない。これを教皇の手から奪わねばならない」


「それに……教皇が生きている限り……何かを仕掛けてくる。また聖子女様が襲撃されることもありうる……」


 教皇の反乱画策に対処してきたオリアナが付け加える。国内政治安定のためにも、明確なる敵は排除しておきたい。ダヴィは二人の言葉に頷いた。


「トリシャを殺し、皆を苦しめた教皇を許すわけにはいかない。絶対に捕えよう」


「では、お兄様。いかがなさいますか?」


「まずはウッド王と交渉の場を設ける。それで駄目なら攻め込み、教皇を引き渡すように脅迫するしかない」


「それは甘いです」


 発言したジョムニに、一同の視線が集まる。ムッとした表情のアキレスが尋ねる。


「ダヴィ様の考えが間違っているというのか」


「間違ってはいませんが、優しすぎます。私はウッド国を併呑へいどんするべきだと考えています」


 ダヴィはギョッと目をむいた。他の者も驚き、ドヨドヨと言葉を交わす。


「そこまでする必要があるのかい」


「ダヴィ様。ファルム国はおとなしくなりました。しかし“今だけ”です。『金獅子王の角』を全滅させられて恨みはありましょうし、世界政治の主導権を取り戻そうとすることは十分に考えられます。それに、ファルム国が攻めてきたら、ファルム国と同盟関係のウッド国はまた敵に回るでしょう。二方面作戦は避けなければなりません」


 ジョムニはバンッと机を叩く。彼は戦略を司る責任者として強く主張する。


「我々はまだ弱小国家です! 将来のファルム国の脅威に打ち勝つためにも、ウッド国を併合して将来の敵を排除し、力を蓄えなければなりません! それが私たちの生存戦略です!」


 もしジョムニの足が動いたなら、彼は立ち上がっていただろう。しかし彼の熱意は伝わった。ダヴィは強く頷いて応える。


「むやみな戦争は起こしたくない。しかし生き残るためには、なりふり構っていられない。ナポラでの攻防戦でそれは学ばせてもらった」


 ダヴィは全員に方針を伝える。彼のオッドアイが輝いた。


「交渉に応じない場合、ウッド国を攻め滅ぼす! 全員、そのつもりで動いてくれ」

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