第11話『暗流動く ~ソイル国の場合~』

 リバールでの完勝の一報を聞き、ダヴィは頭を抱えながらミュールをミラノスへ呼び出した。


「俺は褒めないぞ、ミュール」


 ウキウキ気分で登場したミュールにダヴィは冷や水を浴びせる。目を丸くする彼に、隣にいたジョムニも車イスの上から非難する。


「寝た子を起こしてどうするのですか! 今までの戦略が水の泡です!」


「で、でもよお、俺は目の前の敵を倒して……」


「ミュール」


 まさかこれほど怒られるとは思っていなかったミュールに対して、ダヴィは審判を下す。


「君は失敗した。あの三領主を倒すのは小利だ。それに目がくらんで、大利を捨てた。君の罪は重い」


「いや……それは……」


「ファルム国との国境を守るダボットの手伝いをしてくるんだ。今後、ゴールド国に関わることは許さない」


「…………」


「ミュール」


 今度は少し優しい声で、ダヴィは諭す。


「大局を見る目を養うんだ。ダボットに教えてもらってくれ」


「…………はい……」


 ミュールは肩を落として部屋を去っていた。残ったジョムニが彼の背中を見ながら呟く。


「彼は変わるでしょうか」


「変わるよ。彼にはその才能と意欲がある。さて……」


 現実の情勢は悪化している。ゴールド国がなりふり構わず外交をし始めた。真綿で首を絞めるぐらい慎重に、ゴールド国を手に入れようとしていたダヴィたちにとって、この戦局は予想外だ。彼らの独壇場だった東方世界は、これから各国の思惑が入り乱れるだろう。


 ダヴィとジョムニは苦い顔をしてお互いを見た。


「次善の策は用意していますが……これから大変になりますね」


さいは振られたんだ。じたばたしてもしょうがない。出目でめを待とう」


 ――*――


 ソイル国。ここは大陸で最も春が遅い場所。肌を見せれば霜が襲いかかるほど外気は冷える。枯草は雪の下に埋もれるか、北風に飛ばされる。穴を深く掘らなかった迂闊な動物たちは、冬眠中に凍り、息絶える。


 人々の動きも緩慢かんまんになり、家の中でジッと春を待つ。血なまぐさい政争も動きを止め、この国に静寂が訪れる。死の冬が最も平和というのは、この国特有の悪い冗談の一つだ。


 ゴールド国の使者が訪れたのはそんな時だった。


「豊富な資金をご用意しております。クリア軍を追い払って頂けたら、国境を変えることも検討いたします。何卒……!」


 と頼み込んだ使者が去り、早速アンナ女王は重臣たちを集めた。硬い表情で並ぶ彼らを前に、椅子に座る女王は笑みをこぼす。


「ダヴィは失敗したわね」


 重臣の筆頭、宰相・ウィルバード=セシルが三本にまとめて編んだ白髭を撫でて応じる。


「『鹿追いて、虎に気づかず』。よくある話ですな」


「虎で済めばいいけど」


 薄ら笑いを浮かべる二人に、武官を代表してハワード=トーマスが発言する。


「ご命令とあらば軍勢を連れてゴールド国に入りますが」


「それはまだ早いのでは? 我が軍はウォーター国への侵攻を開始しています。しかもパーヴェル王子の残党は少なくなったとはいえ、まだ跋扈ばっこしています。今、東西両面の作戦を進めるのは困難ではないかと」


 と重臣の一人となった近衛兵団長のロレック=バクスが話すように、ソイル国の政情は複雑だ。パーヴェル王子敗死後も、アンナ女王への抵抗勢力はまだまだ存在し、潜在的に反発する貴族も多い。騎馬を操って先陣を切らない女性が(しかもアンナ女王は馬に乗れないのだが)遊牧民である自分たちを指揮することに、沈黙の不快を感じている。そのため彼女への暗殺計画の話はあとを絶たず、粛清は定期的なイベントのごとく行われる。


 ウィルバードは深い皺を動かす。


「それでもクリア国の伸張は抑えるべきだろう。この侵攻でも我らを随分と利用したそうだしな」


「フフフ……」


 世界中に諜報網を張り巡らしているアンナ女王たちは当然、ダヴィたちがどのようにゴールド国を騙したか把握している。それにソイル国をだしに使ったことも知っている。


 当初ソイル国としてはゴールド国にすぐに手を出すつもりは無かった。それよりもダヴィとハリスとの同盟を基盤に、他国からの干渉を防ぎ、自国の安定化を最優先に考えていた。だが、ここまでクリア国の攻勢が急であることと、その策略に自分たちが使われたことに、良い思いはしていなかった。


「少し遊びましょうか」


 女王は赤い唇を舌で舐める。彼女は命じた。


「今回接触してきたマケイン=ニースに使者を送りなさい。彼を軸にゴールド国内の指示を集めましょう」


「最終目標はいかがしますか?」


「ゴールド国の属国化がベスト。そうでなくても北部だけでも手に入れれば上々。クリア国の伸張を抑えるのが主な目的よ」


「御意」


 その決定に、重臣の一人が懸念を表明する。


「ダヴィ王と対峙されるおつもりですか?」


 女王は首を横に振る。彼女の長い赤い髪が揺れる。


「牽制はするけど正面から戦うことはしない。彼はメインディッシュよ。まだその時ではないわ」


「まるで恋する乙女ですな」


 と軽口をたたいた彼に、アンナ女王は赤い瞳を歪めて微笑む。


「そうよ」


「え?」


「彼を愛しているわ。殺したいぐらいに、ね」


 と言うと女王は席を立って部屋を出ていく。その後をウィルバードとハワード、ロレックが続く。他の重臣たちはお辞儀をして見送った後、口々に言葉を交わした。


「先ほどのご発言、いかなる意味だろうか」


「分からぬ。陛下のお言葉はいつも複雑で恐ろしい。今でも国王陛下を世話しているらしいし……」


 アンナ女王はまだ夫のカーロス4世を世話していた。そもそも植物人間になった彼を世話していた理由は、自分の命令が彼の命令であるかのように振舞い、自己の権力を不可侵なものにするためだった。ところが国内に敵がいなくなり無用の長物となった今でも、彼を一人で甲斐甲斐しく世話しているという。この様子は公然の秘密となったとはいえ、彼女をより不気味な存在にさせていた。


 重臣たちは肝を冷やしながら噂する。


「美しき陛下には毒が多すぎる。その餌食にならないように注意しないと」


 一方で廊下を歩くアンナ女王は、後ろについてくるウィルバードに話しかける。


「ゴールド国はファルム国にも救いを求めているでしょう。ハリスはどう動くかしら」


「彼らとしてもクリア国の伸張は食い止めたいでしょう。同じように手を打ってくるはず。彼らの性格からすれば、もっと直接的な手段に出るかもしれませぬ」


「面白くなりそうね」


 女王は次にロレックに話しかけた。


「ロレック、娘とは連絡を取っているかしら」


「え? ジャンヌのことですか? いやあ、最近はめっきり……」


「取っておくことね。親子は仲良くしなさい」


 それだけ言って、彼女は自室へと入っていた。ロレックは髭面の強面に似合わない不安そうな表情を浮かべて、他の二人に相談する。


「今のはどういうことでしょうか? ダヴィ王の下にいる娘から情報を聞き出せということでしょうか?」


「陛下のことだ。色々お考えだろうが、悪い話ではない。複雑に考えなくてもいい」


「お前の娘を、ダヴィとの外交の糸口の一つにするかもしれないが、今は気にすることはないだろう」


「そうですか……」


 どうにも納得しない様子のロレックの肩をハワードはポンと叩く。この中では彼が一番女王の傍にいる。


「案外、日常のダヴィを知りたいだけかもしれない。陛下はああ見えて純情なお方だ」


 部屋に入ったアンナは、椅子に座るカーロス4世の前でゆっくりと踊った。ダヴィの前で見せた異教徒の踊りだ。カーロス4世が不意にうめく。


「あら、ごめんなさい。あなたには不快だったかしら」


 機嫌がいい時しか踊らない。アンナは動かない夫の伸び放題の髭をつねった。彼はさらに「うう……」とうめく。


「まだ死なせないわよ。私の世を見なさい」


 そして彼女は窓の外を見る。あの時も、ここから彼と一緒に眺めた。


「やっと直接関わることが出来るわ」


 ダヴィが勢力を伸ばすのを待っていた。自分と対等にぶつかり合える時が来たのだ。彼女は心臓の鼓動が大きくなるのを感じる。


「もっと私を感じさせて、ダヴィ」

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