第12話『暗流動く ~ファルム国の場合~』

 ゴールド国の使者はファルム国の首都ウィンにも入った。元々交流のある二国である。ゴールド王の使者は直接ファルム王に会った。


「何卒我が国に入ったクリア軍を押し出して頂きますようお願い申し上げ――」


「ハリスに聞くと良い」


 と言ったきりファルム王は謁見の間を出ていく。唖然とする使者の下に、一人の女性が近づいてきた。


「イオ=ワシュトと申します。ハリス様の下で仕えております」


「はあ」


 血の気の無い真っ白な肌に、髪の毛も眉毛も無い。瞳だけに色が付いている。


(不気味な女だ)


「ゴールド国の状況、ハリス様にお伝えします。お聞かせくださいませんこと?」


 ――*――


 イオが部屋に入ると、巨漢のペトロが椅子に座っていた。刺青いれずみが入った顔を見せて鋭い視線を向ける。


「ゼロ様は?」


 イオは最近ハリスのことを「ゼロ」と呼称していた。ハリスはゼロの生まれ変わりだから、それをより強調するべきだと考えたのだ。彼女と彼女が教化した信徒がそう呼ぶ。ペトロは答える。


「別荘だ」


 またか、とイオはため息をつく。この頃ウィンを離れて別荘に行くことが多い。


「どのようなお考えなのでしょうか?」


「『都会の喧騒を離れて』とハリス様が言っていたが、面倒なことがお嫌いなのだろう。もしかしたら政治が肌に合わないのかもしれない」


「なるほど! あのお方に政治のような汚れ仕事は似合いませんこと。我らが代わりに行いましょう」


「それでもこの寒い時期に、あの森の奥に行くお考えは理解できないが……あの蜘蛛女も一緒だ」


 蜘蛛女とはサロメのことである。彼女はハリスと離れることなく、彼を操り続けている。


「マリアンもトーマスもいない。大事な話なら後にしろ」


「……いいえ。あなたとお話ししましょう」


「む?」


 イオはペトロにゴールド国の件を話した。その上で彼に真意を打ち明ける。


「今後ゼロ様が世界を統一される際に、最も障害となるのがダヴィです。その想いをお持ちなのは、あなただけでしょうこと」


 実は、ハリス陣営のメンバー間で最終的な目標は異なっていた。ハリスやマリアン、トーマスはファルム国の改革だけを目指していたが、イオやペトロは世界統一を目論む。サロメも目標だけはイオたちと同じだが、主導権争いで対立する以上、彼女を頼るわけにはいかない。だからイオはペトロに近づいた。


「いずれダヴィは最も害悪なる男となります。同盟だからと悠長なことは言っていられません。今すぐ手を打たねば」


「それについては俺も同感だ」


 ダヴィに力を付けさせるわけにはいかない。ゴールド国をこのまま吸収させては、自分たちの野望の障害となる。ペトロは考える。


「この国をまだ手に入れていない。俺たちの軍を動かさず、牽制しないといけない」


「いかがなさいますか?」


「例の“海賊”を使おう。奴らもハリス様に略奪を禁止されて不満がたまっているはずだ。それと、サロメをけしかけて、旧ウッド国の反乱分子を動かす」


 ――*――


 方針が決まり、二人はハリスの別荘へと向かった。到着したのはちょうど昼食時。からりと晴れた空を見ながら、彼らは番兵の間を通って別荘へと入った。


 屋敷に入ると、中からハリスの陽気な声が聞こえる。


「さあ! 飲め飲め!」


 声が聞こえた食堂へと入ると、むわっとした酒の匂いが彼らを襲う。鼻の筋に皺をつけて鼻穴を狭める。


 食堂の中では若い男女が顔を真っ赤にして、数え切れない酒瓶を空にしていた。そして乱れた服で踊ったり、ふざけ合ったり、喧嘩したりしていた。理性の無い騒がしさの中心で、ハリスはこの騒ぎを煽っている。


「これは……昼間から随分とお飲みだな」


「正確には昨晩からですわ」


 と後ろから声が聞こえた。振り返ると、サロメがゆっくりと近づいてきた。彼女は扇を鼻の前に当てて露骨に酒の匂いを嫌がる。


「最近、こんなバカ騒ぎがお好きみたいで」


「この周りの連中はなんだ?」


「ほとんどが貴族の跡取り。酒とパーティーしか能のない連中よ。皆、ハリス様に取り入るために必死ね」


「こんな奴ら近づかせてどうする? 愚図ぐずを集めて海に流すなら有意義だが」


「面白いこと言うわね。でも大丈夫。彼らも役に立つ。父親たちの情報を握っているわ。それを引き出したら、わらわが捨てる」


 もう彼らも操っているのだろう。黒い唇で微笑む彼女の言葉から自信がのぞく。ペトロは苦々しい表情を隠しつつ、彼女に耳打ちした。


「ゴールド国のことは聞いているか?」


「ええ。もちろん」


「クリア国を牽制する許可を頂きに来た。手助けしろ」


「許可、ね……」


 含み笑いをもらすサロメ。彼女はゆっくりと部屋に入り、ハリスのところへと向かう。


 ハリスは酔客の中心で笑いながら酒を飲んでいた。持っていた酒が無くなると、後ろにいるメイドを呼ぶ。


「おい! 次を持ってこい」


 彼の青い目で見られると大抵の侍女は怖気づく。平然と、にこやかに給仕するのはただ一人。


「さあ、ハリス様。次をお持ちしましたわ」


 黒髪をだんごにまとめて愛想を振りまく小柄な女性、クロエが、トレイに酒瓶を載せて持ってきた。彼女は快活そうに走り寄り、酒瓶をテーブルに置いた。


 その時、彼女は不意にバランスを崩し、そのままハリスの膝上に乗ってしまった。彼の胸に顔と体を当てて、彼女は上目遣いで謝る。


「あっ、申し訳ありません! ご無礼を!」


「いや、別にいいよ……」


 彼女のうなじに視線が行く。自分の胸の中にすっぽりと収まった彼女から汗ばんだ匂いを嗅ぐ。ハリスは思わず唾を飲んだ。


「すぐにどきますから」


「大丈夫。このまま楽しもう」


 片腕で彼女の小さな体を抱く。こういう庇護欲をそそる女も良いもんだ、とハリスは内心感じて、彼女の身体の感触を楽しむ。


 クロエは薄っすらと笑った。首筋につけた興奮剤入りの香水が役に立った。彼女の満足げな吐息がハリスの胸板をくすぐる。


 その二人のもとへ、サロメたちが近づいてきた。


「サロメ! 来ていたんだね」


 ハリスは慌ててクロエをどかした。そして居住まいを直し、それでも余裕を装う。


「君の一緒に楽しもうよ!」


「おたわむれはほどほどに。色んな女性に手を出す男は、わらわは嫌ですわ」


「ご、ごめん……」


 サロメはクロエがいたハリスの膝上に座る。自分の匂いを代わりに付けるように、びったりと体を密着させる。ハリスの鼻の下が伸びる。


「そんな顔をなさらないで。お楽しみは今晩、ね。今は大事な話をしに来ました」


「大事な話?」


「ダヴィが東のゴールド国でイタズラしているそうよ」


 ペトロとイオがゴールド国の苦境を話す。ハリスの感情をくすぐるために、ダヴィを大悪人に仕立て上げて語る。ハリスの眉間にしわが寄る。


「それはひどい」


「ね、ひどいでしょう。らしめてあげましょう」


「でも同盟を組んでいるし」


 サロメは彼の耳へと口を寄せて、耳たぶを舐めるように語りかける。


「わらわたちがやったと分からなければ良いのですわ。海賊のネルサンとウッド国の生き残りを使います」


「大丈夫かな?」


「大丈夫。全てわらわに任せて。ハリス様のために頑張りますわ」


 彼女の吐息に脳がとろけて思考が奪われる。本来はマリアンやトーマスの意見も聞くべきだろう。しかしハリスは酒に浮かされたこともあり、彼女の提案を全てのみ込んだ。


「分かった。ダヴィに罰を与えよう」


「許可して頂いてありがとうございます。これでハリス様の威光は東方世界にも広がるでしょう」


 フフフ、とほほ笑んだサロメの隣で、ペトロは下唇を噛んだ。相変わらずハリスはサロメの言いなりだ。自分たちの最大の敵は彼女ではないか、という気もしてくる。この二人の仲を斬り裂くために送り込んだというのに、何をやっているのだ、とクロエをにらむしかなかった。


 しかしながら、イオは別の光景を見ていた。


(おや?)


 クロエの表情がおかしい。『ダヴィ』と名前を出した途端に彼女の顔から愛想の良さが消え、目じりは吊り上がり、口は真一文字に閉じられる。奥歯を噛みしめているのだろうか。青筋がうっすらと浮かび、悪鬼の顔が表に出る。


 感づいたイオは内心微笑んだ。


(これは、これは……面白い)


 彼女がダヴィを恨んでいるなら、これを使う他ない。イオは良い道具が見つかったと言わんばかりに、口の中に唾がたまるのを感じた。


 クロエは観察されていると知らず、目に黒い炎を灯す。


(ダヴィ。お前だけ幸せにさせてなるものか)


 酒の匂いがただよう別荘の中で、人々の想いは錯綜さくそうする。この思念の渦が世界にどんな影響を及ぼすか、まだ誰も知らない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る