第13話『ダヴィの結婚話その1』

 春遠けれど、人の心は温かい。特に身を寄せ合う時は。


 暖炉が赤々と灯る部屋の中で、エラは聖子女・アニエスと一緒にいた。エラは今年で9歳となり、さすがにアニエスの膝に乗ることはなくなったが、椅子をぴったりと寄せて膝をこすり合わせて座る姿は、まるで年の離れた姉妹のようだ。エラは最近の皆の様子を嬉々として話す。


「スコットったら面白いんだよ! この前もおよめさんに怒られて、ライルの家に逃げてきたんだけど、ライルもちょうど怒られて家を追い出されたんだってさ。それでね、パパが『しょうがないなあ』って言って、二人のおよめさんに話をして許してもらったんだって」


「それは大変なことであった」


 アニエスは微笑んで感想を述べる。目が見えない彼女にも、部下の家庭のために奮闘するダヴィの様子が目に浮かんだ。顔の前にかかった銀色の髪を直しつつ、口元を緩める。


「ダヴィも頑張っている」


 ダヴィの話題を出すとアニエスが喜ぶことを、エラは知っている。賢い彼女は色々と知っている。


「ママが帰ってこないから、パパが頑張らないとね!」


「そうよのお……」


 トリシャの残酷な最期を知らないとはいえ、彼女と二度と会えないことを薄々勘付いている。しかしダヴィたちには言わない。アニエスにだけこっそりと伝える。アニエスは彼女の頭を撫でた。


「お主もダヴィを支えねばな」


「そうだね! でも変な話聞いちゃったの」


「変な話?」


 エラは辺りを見渡して誰もいないことを確認すると、アニエスの耳もとに口を近づけてぼそぼそと話す。


「パパ、結婚するかもって」


 エラは秘密を話してクスクスと笑う。そして椅子に座り直して足をブラブラと動かした。


「そういえばね、この前ジャンヌが」


「待て」


 アニエスは話をさえぎる。彼女の表情から先ほどの温かみは消え去り、白磁のような血の気の無い肌が姿を現す。銀色の髪が金属のように冷えた光を放つ。


 少し怯えるエラに、アニエスは雪風のような声で言った。


「先ほどの話、余に申せ」


 ――*――


「お兄様が結婚?」


 ルフェーブの唐突な招集をかけられ、クリア軍の幹部が会議場に集合する。そこで聞かされた話に、ルツが首を傾げる。ルフェーブはうなった。


「ルツ様も知らないか……一体、どこから出た噂なのか」


「その噂の真偽を確かめるために、俺たちを呼んだのか?」


 とダボットが苦い顔をする。次の皮肉な言葉が彼の口から出る前に、ルフェーブは四角い眼鏡をかけ直して答える。


「エラ様を通じて、聖下やカリーナ典女の耳に入られた。“かなり”興味があるご様子だ」


 “かなり”なんてものじゃない。カリーナに急遽呼び出されたルフェーブは、酷く叱責を受けた。普段は冷静なカリーナが金切り声を上げるぐらいにだ。


『聖下はとてもとても悲しまれておいでです。聖下の御心を知りながら、このような事態が生じることは許されません』


『それは……しかし……』


『しかし、ではありません! すぐさま噂を打ち消して、聖下にご報告を。よもや“真実”であってはなりませんよ』


 と抗議を受けた以上、ルフェーブは調べなければならない。無論、聖子女の様子は隠しつつ、集まったメンバーにお願いする。ダボットを始めとした全員がため息を漏らす。


「聖子女様直々の依頼なら仕方ないか」


「エラちゃんの聞き間違いではないかしら」


「その理由で納得するかなあ……」


 スールの見解をジャンヌが否定する。彼女たちが求めているのは確固たる証拠と噂の根絶だ。どのように対処すればよいか。経験のない事態に、皆が首をひねる。


 その時、何の気配も無く、後ろから声が聞こえた。


「調べた」


 ギョッとして振り向くと、オリアナが立っていた。彼女は雪よりも白く冷たい顔をして、淡々と持っていた書面を読み上げていく。


「フィービー=ドラムナ……商人の娘……この城の侍女の一人……20歳……」


 次の文章を読む前に、オリアナの手に力が入る。彼女の表情は一切変わらないというのに、報告書がくの字に曲がる。


「……『ダヴィ様ともうすぐ結婚する。この国の王妃になる』と言っていたらしい……」


「……ありがとう、よく調べてくれたわね」


 ルツがわざと淡々と返答する。長年付き合っている彼女は、双子の妹のはらわたがこれでもかというぐらい煮えくり返っていることが分かる。そのフィービーという侍女はやってはいけないことをやったのだ。スールが思い当たる。


「ああ、彼女ね。顔可愛くてどうかなって思ったけど、性格悪そうだったから止めといたわ」


「へえ? 珍しく手を出さなかったんだね」


「ジャンヌ、私だって選り好みはするわよ。人を雑食の豚のように言わないでちょうだいな」


「それなら思い当たる。確か商人の娘と言ったな。この前のパーティーで、ダヴィ様にずっと話しかけていた太った男がそんな名前だった。なんでも『妹様たちとずっと一緒ではつまらないでしょう。私の娘を是非とも』とか言っていたな」


「始末する」


 速足で出ていくオリアナを、「待って待って待って」とルツが急いで追いかける。彼女たちの足音が消えた後に、先ほど発言したダボットが他の面々に話しかける。


「さて、この機会だ。相談しよう」


「何を?」


「ダヴィ様の結婚についてだ」


 ダボットは髪が後退した広い額に皺を作り、深刻そうに語る。この国には跡継ぎがいない。ダヴィに万が一のことがあれば、誰を担げばいいのだろうか。


「ルツやオリアナでいいじゃないの」


「分かるだろう。あの二人は補佐役が適している。トップに立つ人材ではない」


「それならあたしたちの中から? ダボットはどう?」


「馬鹿を言うな! 納得しない者も多いはずだ。誰を選ぼうとな。『血の継承』というのは平凡に見えて、誰もが一番納得するやり方だ。やはりダヴィ様に跡継ぎを早く作ってもらわねばなるまい」


 一理ある。でもジャンヌは納得がいかない。


「ダヴィの考えもあるし……トリシャの墓参りだってずっと行っているんだよ。それで結婚はちょっとなあ……」


「今は時期尚早じゃないか。せめてあと三年ぐらいは」


「三年? なんで?」


「それは……」


 あと三年で聖子女の任期が切れて、聖子女アニエスは普通の子女に戻る。そうなれば結婚は可能だ。それまで待ちたいというのが、ルフェーブの背後にいる修道院・祭司庁全ての願いである。そうとは知らないスールが鼻を鳴らす。


「そんな悠長ゆうちょうなことを言っているからダメなのよ。恋愛は腐るの。あんたもさっさとミュールに告白しなさい」


「な、なぜ、知っている……」


「あからさまじゃないの。まるで子供の恋愛みたいだわ。ねえ」


 と周囲に確認すると、全員が視線をそららす。ルフェーブは珍しく顔を赤らめた。


「そ、それとこれとは話が違う!」


「あんたも難儀ね。ダヴィ様も次の恋を探せばいいのよ。その方が亡くなった彼女への供養になると思うわ」


「そうかなあ……」


 ジャンヌは口をへの字に曲げて腕を組む。心の中の引っ掛かりを感じる。


 その一方でダボットは現実的に考える。事務的と言えるかもしれない。


「ともかく、ダヴィ様に子供を作ってもらうことが肝要だ。ハリスはすでに十人以上の女性を囲っていると聞いているぞ」


「それはサロメが仕掛けたことで、酒と女で骨抜きにしているという噂だが」


「それでも跡継ぎを作って国を安定化させるという理屈には合っている。最初は側室でもいい。さっきのフィービーとやらを紹介してでも」


「――何の話?」


 再び氷のような声が響く。ダボットは背筋が伸びた。失った左腕の傷がうずき、彼に危険信号を伝える。


「オリアナ嬢か。いや、これは……」


「何の話?」


「……何でもない。タバコを吸い過ぎたようだ」


 ダボットはそそくさと部屋を出ようとする。その背中に、オリアナは声をかけた。


「気をつけて……」


「っ! ……うむ…………」


 ダボットと代わるように、息絶え絶えなルツが入ってきた。


「はあはあ……オリアナ、あなた戻ってきていたのね!」


「ルツ……遅い……」


「あなたが速いのよ! 私はドレスなんだからね。……それにしてもダボットは大丈夫? 顔が青かったわよ」


 一同が声を無くす中、オリアナが「タバコの吸い過ぎらしい」と返答すると、ルツは「そうなの?」と首を傾げた。


「それで、まだ話はあるの?」


「いや……噂の出どころは分かった。解散しよう」


 ルフェーブのひと声に救われて、オリアナとルツを除く三人はため息交じりに部屋を出ていく。ジャンヌは廊下に出た後、ダヴィのことを想った。


「ダヴィは結婚出来るのかなあ」


 若い君主のプライベートな問題にクリア国の重臣たちは悩む。心穏やかなのは、人知れず微笑んだオリアナだけだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る