第14話『マセノの正体』

 自分のプライベートが語られているとも知らずに、ダヴィはジョムニと一緒に、老師・マザールの下に行っていた。


 フィレスの屋敷に住んでいるマザールは寝込んでいた。以前大病で体力が一気に落ち、この一年ぐらいは教鞭を取ることは少なくなり、ベッドでよく寝るようになったと聞く。久しぶりにダヴィが会った時には、頬がげっそりとこけていた。


 窓の外で降っている粉雪と同じ色をした長い髭を垂らし、マザールはゆっくりとまぶたを開けて、ベッドの隣に座る二人を見た。


「ゴールド国では失敗したらしいのう」


「はい」


 ダヴィとジョムニがうなずく。素直に失敗を認めた元生徒にマザールは微笑んだ。ダヴィは答える。


「俺の威厳が足りなかったからです」


 マザールは枕の上で首を振った。


「そうではない。その考えではまた失敗するだろう」


「どういうことでしょうか?」


「己を個人ととらえるな。個人には限界がある。その勝手に功績を上げた部下とお主は、強い信頼関係があるのかもしれない。しかし、そこに甘えがあった。個々の関係で命令を行き届かせるのは不可能だ」


「それでは、どのようにすれば」


 マザールは皺だらけの指をシーツの端から出し、ダヴィの顔に向けた。


「お主が国家となるが良い」


 彼は再び腕を下ろし、ぼそぼそと語る。この寝室でも彼の授業は続く。


「お主が国家という強大な機関になれば、ただ個人である部下は従わざるを得なくなる。そしてその部下も機関の一つに組み込めば、信頼関係以上の結びつきが生まれる」


「個人であることを捨てて、組織に自ら縛られる必要があると言うことですか」


「その通りじゃ、ジョムニ。個人であるメリットは実は少ない。個人の自由とは不安定なもの……」


 宮廷から追放されたことがあるマザールは、急に組織の一員から個人になった経験を持つ。その辛さは身に染みている。


「そこに自由はありますか」


 とダヴィが問いかけると、マザールはしっかりと頷いた。


わらべを大自然に解き放つことが自由ではない。家という囲いの中で遊ばせよ。それが幸福な自由である」


 法の力を強めよう。ダヴィは決心した。“黄金の七家”が健在だった時代は、民衆を縛る法律はあったが、王侯貴族を取り締まる法律は皆無に等しかった。あっても漠然とした法が多く、その時々の解釈で簡単に変更出来た。


 クリア国はこの後『王臣法』と呼ばれる法律を定めることになる。そこでは臣下は勿論のこと、国王の自由も制限して、主従関係さえ契約に基づくものと定めた。そして厳重な罰則を設けて、民衆にもその内容が分かって監視出来るように布告する。クリア国が法治国家として確立するきっかけは、この老師の示唆しさが大きかった。


 マザールはここまで語ると大きくむせた。ダヴィとジョムニが慌てると、マザールは手で制す。


「心配ない。ここまで喋り過ぎた。今日は疲れたわい」


「先ほどまで他の客がいたのですか」


 ジョムニはテーブルの上に二つのコップがあることに気づいていた。一つはマザールのもので、もう一つは客のものだろう。


 その問いに答えたのは、ダヴィたちにお茶を運んできたミセス・ジュールだった。


「先ほどまでマセノが来ていたのですよ。二人で長い間話していましたが、あなた方が来ると分かって逃げるように帰っていきましたよ」


「これ」


 マザールはしまったという表情をする。ダヴィはクスリと笑い答えた。


「彼の父親である“ゴールド王”のことでも話しましたか」


「知っていたのか……!」


「ええ」


 あっさりと言うクリア国王に、マザールは目を丸くして感心する。


「それを知りながら、この状況下でもマセノを用いるか。いやはや、お主も大器になったのう」


 老師の驚きの声に、ジョムニも肩をすくめた。膝に置いた青いキャスケット帽をいじりながら文句を言う。


「そうなんですよ! 私は止めているというのに、ゴールド国戦略の機密を平気で話すのですから困ったものです」


「どのような考えなのだ? マセノを信頼しておるからか」


 ダヴィはニッコリと笑った。出された紅茶を飲んでから答える。


「彼が常に怯えているからです。人を騙すほどの勇気を持ちません」


 ジョムニは首を傾げたが、マザールは感じ入るように頷く。彼の観察眼のすさまじさに、元生徒に対して敬意を覚えた。


「良くぞ見た。マセノは不安を抱いて生きてきた」


「国王の息子だからですか?」


「だからこそだ。おぞましい宮廷政治から逃げ出して、ここに来たのだ」


 マセノ=エディンボーグ。本当の名をマセノ=ゴールドという。エディンボーグは母親の姓だ。ダヴィたちの調べでは、侍女だったマセノの母親が若いゴールド王に見初められて、マセノが産まれたらしい。マセノは庶長子(側室の子どもの中で一番年長)であった。


 本来なら王位継承権は無い。しかし生来の頭の回転の速さと、父と母はの両方から受け継いだ美貌で、宮廷内外から人気が高かった。当然、他の子どもやその派閥からの嫉妬を受けた。暗殺未遂は毎年発生して、マセノがフィレスに留学したのは、それから逃れるためでもあった。


「そして自分の母親が亡くなり出奔した。そして俺たちと出会った」


 マザールは頷いた。そして彼なりの見解を伝える。


「マセノは自分の才気を疑っていた。王の子どもだから人が寄ってくるのだと思い込んでいたのだ」


 だから彼は芸術を選んだ。自分が全く触れてこなかった(そして自分で気づいていないが苦手な)芸術にはげむことで、自分の真価を見定めようとしている。


 だが、彼は“王子”なのだ。その称号からは離れられない。


「マセノを助けてやってくれ」


 マザールはダヴィに頼む。自分もマセノの相談を受け続けて来たが、彼の悩みを解消できなかった。


「お主の国とゴールド国が本格的な戦争状態に入ったら、マセノはより悩むじゃろう。罪悪感と劣等感を強く持つ男じゃ。それを助けてやってくれ」


「分かりました。ただし、国益を重視します」


「それでよい」


 そこまで言ってマザールは力を抜き、布団の上にドッと体を預けた。ここまで会話して余計に疲れた様子だ。優しくシーツをかけたダヴィに、マザールは弱々しく発した。


「長く生きすぎた……」


 滅多に聞かない師匠の弱音に、ダヴィとジョムニは顔を見合わせて驚く。二人で目を丸くしながら慰める。


「そんなことを言わないでください。まだまだ生きてもらわないと」


「そうです! ダヴィ様の築かれる世界を見届けてください」


 マザールはふふと笑い、首を振った。


「色んなことを経験しすぎた。そのほとんどが悲しいことだ」


「……シャルル様のことですか」


 最も優秀で、期待していた弟子であるシャルル=ウォーターが、父親のジーン6世たちに寄ってたかって、なぶり殺しにされた。マザールの夢が粉々に砕かれた。彼の遺志はダヴィが受け継いでいるとはいえ、マザールの脳裏からあの悲劇は消えない。マザールは大きなため息をつく。


「世の中は変わった。妙な者も現れた」


「ハリスのことですか」


「そうじゃ。今までの歴史には出てこなかった異物であろう」


 マザールが勤めるフィレスの神学校でも彼の話題は尽きない。「うさんくさい」とか「どこの馬の骨とも分からない」と悪評が勝っているが、中には彼を救世主として崇拝する者もいる。しかし大半の者が彼の正体が分からずに戸惑っている様子だった。


「ハリスは碧眼へきがんで、ゼロにそっくりな外見と聞く。しかし外見のことばかりで、中身のことがあまり聞こえてこぬ。空虚な男であろう」


「俺もそう見ました」


「だが、気をつけるとよい」


 マザールの深刻そうな声に、ジョムニは疑問を感じながら尋ねる。


「それは彼の武勇に、ということですか? 確かに凄まじい武芸の達人と聞きますが」


「そうではない。物事には勢いというものがある。それを恐れるがいい」


 マザールはぼんやりと天井を見つめた。


「シャルルも、その勢いにやられてしまった……時運を逃した瞬間、聖女様は残酷に人を裁く……」


「…………」


「ハリスは人々の盲目的な信仰を集めることが出来る男と見た。一度勢いに乗れば、雲を越えて飛び上がることも出来る。注意することだ」


「はい」


 窓が揺れる。乾いた冷たい風が容赦なく打ちつけ、悲鳴のようにピュウと鳴る。いずれ春が訪れることを知らなければ、人は絶望に陥る。そんな厳しい光景に思える。


 マザールは目をつむり、また息を吐く。


「やはり、生きすぎたようだ……」

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