第10話『リバール攻防戦 下』
薄雲に月明かりは隠され、鎧の隙間から入り込む北風に身が縮まる。昼間の戦闘の疲れを感じながら、重い体に付着するものを感じる。
「雪か」
見上げた顔に冷たいものが付く。陽が登れば、この辺りは銀世界となっているだろう。無論、それは彼らにとって苦しい状況でしかなく、ため息は煙のようにもやとなって、そして消えた。
ゴールド軍がこんな夜更けに行動しているのは、クリア軍に悟られないため。ナミュ・シャトワ・リージュの三領主が秘密裏に会談を行うためだ。
三台の馬車が到着する。その中から男たちが降りてくる。いずれも厚手のコートに身を包んで丸く見える。彼らは真ん中に置かれた椅子に座って、松明の光に照らされたお互いの顔を見た。どの顔にも笑みはない。
「さて、どうするか」
この中では最年長のナミュ公が話し出す。シャトワ公が脂肪がのった顎をかきながら愚痴をこぼした。
「これほど強いとは思わなかった。あれしきの低い城壁だというのに、まさかたどり着くことすら出来ないとは」
どこか他人ごとのように話す彼に対して、ナミュ公がたしなめる。
「しっかりしてもらわねば困る。貴公の部隊が陸地から攻め立ててもらわねば、我が水軍も満足に攻めることが出来ぬ」
「何を言うか! それを言うなら、そっちも守り切られておるではないか! 我が国の伝家の宝刀である『大船突撃』を駆使してもこの結果とは。しかも船ごと獲られるなど聞いたことが無いわ!」
「次は三隻用意する。いずれにしろ、互いに
「その結果がこれではないか! 何か知恵は無いのか?」
「あのう」
今まで黙っていた年若のリージュ公がおずおずと提案する。
「ここは一回退くのも手だと思うが……」
ナミュ公とシャトワ公の眉尻が吊り上がる。同時にリージュ公を責める。
「馬鹿なことをおっしゃられるな! まだ戦いは始まったばかり。ここで退いては我らの名誉が傷つくというもの」
「左様。ここまでの戦いでも、死者のほとんどが“奴隷兵”とはいえ、多額の戦費を費やしている。このまま帰るわけにはいかない」
「し、しかし『損切り』という言葉もある。奴らの強さは予想外だったのは確かだ。一旦引き上げて、陛下に支援を求めてからでも遅くはないかと……」
「それこそ浅はかな考えだ。陛下が我らを煙たがっているのは承知のはず。支援するとはとても思えん」
ゴールド国でも有数の実力を持つこの南部三大貴族は、合わせればゴールド王を勝る実力を持つ。これまでの歴史ではお互いに仲が悪く諍いが多かったが、今回はクリア国という強大な敵に立ち向かうため協力している。とはいえ、合力した彼らにゴールド王が手を貸すほど、歴史的な確執は浅くない。
リバールという喉元に刺さったトゲを、独力でどうにかしなければならない。ナミュ公は二人に向かって宣言する。
「国元から増援を用意しつつ、明日以降も攻め続ける。大丈夫だ。我らが力を合わせれば」
「どうにかなるって? それは甘くないか」
急に聞こえてきた声に、三人の貴族と部下たちは振り向く。彼らがかざした松明の光の中に、傷だらけのいかつい顔が浮かんだ。彼の顔は不敵に微笑んでいた。
「誰だ!」
「おっと、俺をご存じないか」
剣を鞘から抜き、肩に担ぐ。殺気走るゴールド軍の兵士を睥睨しながら言い放つ。
「クリア軍の切り込み隊長、ミュール=ジョアッキとは俺のことだよ」
「クリア軍……!」
「さあ! 始めようぜ!」
ミュールのかけ声で、クリア軍の兵士たちが彼の後ろから現れる。ゴールド軍は慌てふためく。
「い、いったい、どこから!」
「考える暇なんかねえ」
襲いかかってきた兵士二人を斬り捨てて、ミュールがナミュ公に迫る。ナミュ公は震えながら剣を抜こうとした。
「遅えよ!」
ミュールの剣が闇にきらめく。ナミュ公の皺だらけのそっ首があっという間に宙を舞った。ミュールは血を浴びながら次の獲物に視線を向ける。
「ひいいいいいい!!」
シャトワ公が太った身体をゆすって逃げる。護衛の兵士たちが前に立ちふさがり、必死に守ろうとする。ミュールの虎のような視線はシャトワ公の背中を
「逃がすか!」
ミュールは地面に捨てられていた剣を拾い、思いっきり投げた。剣は空気を舞い踊り、馬車にやっとたどり着いたシャトワ公の背中に突き刺さる。「ぎゃああああ!」という悲鳴を上げて彼は倒れたが、周りの兵士が担いで無理やり馬車に乗せた。
「もう一人は?!」
リージュ公はすでに消えていた。彼の馬車が遠くへ去っていくのが見える。ミュールはペッと唾を吐いて、部下に命ずる。
「引き揚げだ! 敵の援軍が来ねえうちにずらかるぞ。抜け穴塞ぐのを忘れるなよ!」
――*――
ミュールの報告と、敵の軍勢の撤退を確認して、アキレスたちは頭を抱えた。
「完勝だな」
と満足げに微笑むミュールを全員が睨む。彼の頭をスールが扇子で叩いた。
「いって」
「これだから男は野蛮なの! どうしてくれるのよ」
「どうするって、勝ったんだからいいだろう」
「なんでそんなに血の気が多いのよ。その股のやつ、ちょん切ってやろうかしら」
「うっ」
ミュール以外の男性陣も自分の股を押さえる。スールはあきれ顔で窓から南の空を眺める。
「あーあ、ダヴィ様とジョムニになんて言おうかしら」
ジョムニが心配した事態となった。この完敗はゴールド国全体に衝撃を走らせ、民衆の端々に至るまで、滅亡の危機を感じさせた。当然、ゴールド王の周辺も雷を撃たれたように目を剥いた。
「このままでは滅びます!」
とマケインが叫ぶ。クリア軍を連れてきた張本人が何を言うか、と白い目を向けられたが、彼の言葉は正しい。このままではクリア軍に首都まで攻められる。「ナミュ公は戦死し、シャトワ公は負傷してベッドから起き上がれないらしい」「リージュ公は恐怖で城から出れないらしいぞ」と気が沈む噂が飛び交う。この国の三分の一の防衛力があっという間に壊滅したのだ。人々の絶望は甚だしい。
ゴールド王は決断する。
「なりふり構っている場合ではない」
青い顔をして居並ぶ重臣たちに宣言する。
「他国に頼る」
ゴールド王は口ひげを震わせて命令を下す。
「ファルム国には私自身が手紙を出す。マケイン、そなたの領国は北にある。あらゆる手段を使ってソイル国に接近しろ」
「しかし、彼らにも見返りが必要ですぞ」
「国を削る覚悟もある。何城か譲ってもいい。そう伝えるのだ!」
このゴールド王の決断で、大陸東方は一気に燃え上がった。各国の情報網が加速して形成され、世界の注目が集まる。クリア国にとって悪い方向へ進みつつあった。
その一方で、リバールの戦場では、ある出会いがあった。
「おい! 船の中に誰かいるぞ!」
「生きているのか?」
「生きている!」
ゴールド軍がリバールの城壁にぶつけて、そして放棄した船をクリア軍は探索していた。中には大勢の奴隷たちの死体があった。漕ぎ手として閉じ込められ、戦いに巻き込まれて死んだのだ。
その死体の山から兵士が、小さい身体を引っ張り出す。
「黒い肌だな」
「本当に生きているのか?」
船底に横たわる黒い少年はかすかに息をしていた。キズだらけの身体が、甲板から注がれる日光に照らされる。まだ十に満たない年だろうか。クリア軍の兵士たちは顔を見合わせる。
「どうする?」
「どうするって言ってもなあ」
「…………」
「あっ、ノイ様!」
急に後ろから現れた巨体に、彼らはギョッと驚いた。慌てて数歩下がる。
ノイは少年をじっと見ていた。そしてかがんで息があることを確かめると、彼は少年を肩に担いだ。
「助けるのですか?」
「…………」
ノイは無言でジロッと兵士を見る。彼らは「し、しつれいしました」と敬礼して硬直した。ノイは彼らを気にすることなく、少年と一緒に船を出ていく。
戦場に残された武器や旗の残骸、そして死体に白い雪が積もる。春はまだ遠い。
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