第28話『世界の時計の針が動いた日』

 これが世界の岐路となった、と歴史家は言う。


 これまでの数百年間、世界は「黄金の七家」に分割され、統治されてきた。それが世界の形。それが世界の姿であった。


 ところがその調整役を担っていた教皇、つまり正円教が、その世界を壊し、表舞台に上がろうとしている。教皇は、クロス王が統治権の譲渡に反対すると同時に、クロス国中にクロス王追討命令を発した。それから一月も経たないうちに、クロス国はおろか、周辺国は大混乱に陥った。


 そのシナリオを描いたジョムニは、馬車の中で微笑み、目の前のダヴィに語る。


「これで『黄金の七家』が統治するという常識は崩れ、ダヴィ様は大手を振って独立することが出来ます」


「なんとも奇抜な手段だったけどね」


「でも、独立すると言っても、ダヴィ様は教皇の下につくのでしょう?だからこうして、ロースに向かっているのですから」


と同じ馬車にいるスールが口をはさむ。黒いポニーテールの髪を撫でながら、ため息をついた。


 彼女は本来、別の馬車に乗るはずだったが、貞操の危機を覚えるルツとオリアナの反対を受けて、ダヴィたちの馬車に乗ったのだ。


 彼らは今、教皇に臣従を誓うために、ロースへと向かっている。


 ジョムニはやはり、自信ありげな笑みを見せる。


「それでも、クロス王に従うよりも大分いい結果です。教皇に従うことをためらう周辺貴族を打倒できますし、あわよくばクロス国北半分を確保できます。まあ、その手段も考えていますけどね」


 ジョムニは少し胸をそらした。ダヴィは最近、ジョムニがこういう発言をするとき、彼の目が輝くことに気が付いた。


 四角い眼鏡を拭き終えて、それをかけたルフェーブも発言する。


「いち早く味方になることを表明したことで、教皇の心証は良いはずです。その手足となって動けば、ある程度のわがままも許されるでしょう」


「手足となって動くって、相変わらず、男は情けないこと」


 スールは丸メガネをくいっと上げる。今日の彼女の服は、ハレの日とあって、いつもよりもフリルが多い黒いドレスだ。足を組んで、そのつま先で軽くルフェーブを蹴る。


 白い僧服を着るルフェーブは、その足を蹴り払った。


「弱者の戦術というものがある。つまらないプライドで、身を亡ぼす愚か者にはなりたくないのでな」


「誇りがない人は畜生と一緒ですわ。いかに高潔そうな僧服に身を固めていても、臭い男の匂いは漂ってきますわ」


「やかましい口を閉じるといい。浅はかさがうつる」


 2人はにらみみあい、メガネの奥の目が険しくなる。もうすぐ、この狭い馬車の中で取っ組み合いになる寸前で、ダヴィが慌てて口を開く。


「ま、まあ、いい方向に進んでいるから、大丈夫だよ。まずはクロス王を倒して、国を一から作らないといけないし、やることは多いんだ」


 ジョムニも助け船を出す。


「それよりなにより、これからの教皇との会談を成功させないと」


「……分かっているわよ」


「……ふん」


 馬車の窓から、アキレスが顔を出してきた。彼は外で護衛の任務に当たっている。


「そろそろ教会領に入ります。迎えが来ていると聞いていますので、ご準備を」


「分かった」


 ――*――


 荘厳そうごんな音楽が、巨大な教会を震わす。何台ものパイプオルガンが響き渡る。ダヴィはうっとりと聞き入りそうになるのをこらえて、金刺繍をほどこした白い絨毯を歩いていく。


 ダヴィは紺のドレススーツを身にまとい、自分で磨いた革靴でゆっくりと進む。


 絨毯の端には司教が立ち並び、その最奥には教皇・アレクサンダー6世が座る。


 彼は形式的な笑みの中で、ダヴィの特異な姿に、少しばかり驚いていた。


(左右違う色の目に、両耳に金の輪を下げている。噂通り、変わったやつだ)


 貴族とはまるで違う、と教皇は思ったが、悪い感情は抱いていない。頭の悪い使えない貴族連中より、大分マシだろう。


 ダヴィは教皇の前でひざまづいた。教皇は立ち上がる。そして静かに言った。


「正円教の守護者、ダヴィ=イスルよ。悪徳名高いクロス王を打ち倒し、聖女に勝利と栄光をもたらすと誓えるか」


「お誓いします」


 ダヴィははっきりと宣言する。教皇は近習を呼び、ダヴィへの贈り物を持ってこさせる。


 それは台の上に置かれた、きらびやかな金の王冠であった。


「太陽と月、そして聖女の名において、ダヴィ=イスルをナポラの正統な支配者と認める」


 教皇は王冠をダヴィの頭に乗せた。ダヴィはその重さをずっしりと受け止める。


 参列するダヴィの部下から、一斉に万歳の声が上がる。手を大きく上げて、喜びを全身で表現する。


「バンザーイ!ダヴィ様、バンザーイ!」


「やっと、ダヴィ様が王に……」


 大声で叫ぶミュールの隣で、アキレスが声をつまらせる。クーデターでシャルル王子とアキレス自身の家族を失ってから約2年、それからの苦労が報われる日がやっと来たのだ。


 ライルやスコットもわんわん泣いて、喜んでいた。


 ジャンヌも目をうるませていた。が、右隣でキョロキョロと視線を動かすスールが気になって仕方ない。


「どうしたのさ」


「おかしいですわ。絶対にいらっしゃると思ったのに」


「誰が?」


「聖子女様です。彼女を見るためにやって来たというのに」


「あのねえ……」


 あきれるジャンヌの左隣りには、ルツが立っていた。彼女はハンカチで目元を抑えて、涙を拭いていた。


「こんなに早く、お兄様がご立派になられる姿を見ることが出来るなんて、夢のようですわ」


「……ねえ、ルツ」


「どうしたのですか、オリアナ?」


 その隣にいたオリアナが、絨毯の反対側に並ぶ、司教たちの姿を見つめる。


「なんで、あんなに、静かなの……?」


 一言も発さずに、ダヴィの戴冠を眺める姿を、十数名の司教たちが見つめる。彼らの白い僧服は微動だにしない。


 それはジョムニも気になるところだった。後ろで車いすの手を持つ、同じような僧服を着たルフェーブに話しかける。


「正円教の儀式というのは、静かにしてないといけない決まりがあるのですか?」


「儀式中に、私語はつつしむというのは、一般常識だろう。それに準じているだけだと思う」


「…………」


 ジョムニは再び、まだ跪いているダヴィと、その前で立つ教皇の姿を見た。ダヴィは目を閉じて王冠の重さを感じており、教皇はその姿に微笑んでいた。


 この時、もしダヴィが顔を上げていたら、もしくはジョムニが様々な経験を積んでいたら、歴史は変わっていたかもしれない。


 しかし、この時はダヴィの視線は下を向いていたし、ジョムニは若すぎたのだ。


 教皇の顔に浮かんだ笑みの怪しさに、ダヴィたちは誰も気づくことが出来なかった。

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