第27話『世界の王』

 ダヴィ軍はクロス軍に大勝した。本隊が壊滅したことで、参陣した貴族たちは退却し、ナポラに攻めてこようとしたクロス軍は、姿形もなくなった。


 ナポラの街は大勝利に浮かれた。翌日、広場には酔っぱらった人々が集まる。


「ハハハ!もっと飲め!」


「おう、ミュール。おめえが飲んでねえじゃねえか」


「さあ、おいらと飲み比べだ」


「よし!」


 ミュールとスコットが腕を組んで、がぶがぶとコップのビールを飲んでいく。周りのライルや男たちが拍手して、2人をはやし立てる。


 先日、ダヴィが挙兵した広場に、再び大勢の人が集まり、酒や食べ物を浴びるように飲み食いしていた。たぶん、暗くなってお互いの顔が見えなくなるまで、この騒ぎは続くのだろう。


 アキレスは顔をしかめて、その光景を眺めていた。ジャンヌがその彼に近づく。


「アキレス、なんて顔しているのさ」


「そうは言うが、ジャンヌ、これは気が緩みすぎだ」


 アキレスは言葉を失った。山盛りの食べ物をのせた皿を片手に持ち、モグモグと口を動かしていた。数日前と一緒だ。


 違うのは、その隣に金髪の少女がいることだ。


「エラ様まで……」


「アキレス!たべる?」


 白い顔中にソースをベットリとつけて、エラが微笑む。その笑みはますます母親のカトリーナに似てきた、とアキレスは感じた。


 でもジャンヌと並ぶと、なんだか出来の悪い姉妹を見ているようだ。アキレスは持っていた布で、エラの口元を拭いてあげる。


「ほら、エラ様」


「ありがと。ジャンヌにもやってあげて」


「い、いいよ、あたいは。貸して!」


とジャンヌはアキレスから布を奪って、自分の口を拭いた。アキレスは呆れる。


(今年で15歳だというのに。もう少し女らしくならないものか)


 トリシャに言われて茶色の髪は整えているが、肌はガサガサだし、弓の鍛錬で手はボロボロだ。肩や背中は男のように筋肉がついて、ますます固くなっている。こんな2歳年下のジャンヌの将来を心配する。


 バンダナを巻いた男勝りの少女は、彼を睨む。


「なにさ」


「なんでもない」


 彼女が化粧し、恋する時がくるのか。アキレスはため息をついた。


 その彼にエラが手を振り回して、怒っていた。


「ジャンヌをいじめちゃ、ダメ!」


「いじめてないですよ、エラ様。でもダヴィ様やルツ様の近くにいた方が良いんじゃないですか、教育上」


「どういう意味さ!」


 アキレスにそう言われると、エラは口を尖らす。


「パパもルツおねえちゃんも、おしごとだからダメって」


「はあ、そうですか」


「アキレス、あそんで!ヒマでしょ」


「えっ、ヒマ……」


 これでも広場を警備していたと思っていたアキレスはショックを受け、ジャンヌはケラケラと笑う。


「ご指名だよ、アキレス。遊んであげてよ」


「かたぐるまして!」


「わ、わかりました」


 アキレスはエラを肩に乗せて、彼女の指示通りに、広場へと向かっていった。当然、参加者はもっと盛り上がり、祭りは続いていく。


 その様子を、ダヴィは城の窓から眺めていた。


「盛り上がっているな」


「今日だけでしょう。士気が上がるのは良いことです」


 同じ部屋にいたジョムニが答える。ダヴィはこの成功をもたらした彼に尋ねる。


「それで、この後はどうする?クロス王がこのまま引き下がるとは思えない。きっとまた攻めてくるだろう」


「すでに手は打っています。鍵は、先日推薦したルフェーブが握っています」


「ルフェーブが?」


 ジョムニはダヴィに戦略の基本を問う。


「ダヴィ様がある男と喧嘩することになりました。ダヴィ様はとてもじゃないが、その男には勝てない」


「残念だね」


「その時、ダヴィ様はどうしますか?」


 ダヴィはサーカス団やマクシミリアンと喧嘩した時のことを思い出す。その時はいつもトリシャやジョルジュに助けを求めていた。


「うーん、自分が強くなるのが一番だけど、味方を作って助けてもらうのが早いかな」


「その通りです。この場合でも、味方をつくりましょう」


「誰を?」


 ジョムニは微笑む。彼はこの作戦にも絶対の自信を持っていた。


「この世界で最も強いお方、『世界の王』というべき方ですよ」


「『世界の王』?」


 ――*――


『……私がロースに赴くのは、心を洗うためである。正円教の本拠地であるこの街に入ると、白い僧服を着た修道士や修道女に出会うことが多く、讃美歌や祈る声が聞こえる。教会の上層部には色々な噂はあるが、この町に住む人々や神に仕える神父たちは無垢そのものだ。屈託のない彼らの笑顔に挨拶されると、財布の中の寂しさを忘れ、ただ手を合わせることが最も正しい行為に思えるのだ……』(アルバード2世旅行記より抜粋)



(また、ここに来るとは)


とルフェーブは苦々しく思った。自分を追放した教会の総本山に来るのは、気が引ける。


 白い僧服を着るルフェーブが通るたびに、修道士や修道女が振り返る。高い身長に、灰色の長い髪をたなびかせる姿は、衆目を集める。


 案内役に連れられて、ロースのサン・ゼロス教会の廊下を進む。ルフェーブはそもそもこの教会が大嫌いであった。金権主義におぼれた祭司庁を代表する建物で、その趣味の悪い豪華さに、唾棄だきしたくなる。


 この教会は2代前の教皇ボニーティウス1世が建てたものだ。彼は商人出身であり、実家の財力を駆使して、教皇の座に上り詰めた。「金で正円教を買った男」と裏では悪口を言われている。それ以来、ルフェーブにとって嘆かわしいことに、祭司庁では賄賂わいろが横行し、清廉せいれんさは失われた。


 そして、いま彼が会おうとしているのは、その悪名高い教皇の孫にあたる、現教皇である。


「よく来たな、ルフェーブ=ローレン」


「……ご機嫌麗しゅう、猊下げいか


 ルフェーブは下げたくない頭を下げる。この教会の最上位に座る教皇・アレクサンダー6世が、その姿に目を細める。


 教皇は小さな口を開く。


「教会を追放されたお前が、一体何の用だ。許しを乞うと言うのか?それならば、分かっているだろう」


(……金か)


 教皇自らが賄賂を要求する。信仰心のかけらもない、とルフェーブは内心でまた罵倒する。


 とはいうものの、彼にはするべきことがある。ルフェーブはその本音は四角いメガネの奥にしまい、恭しく言った。


「お気持ちはありがたいのですが、これは私の身から出たさび。しっかりと反省してから、聖女様に許しを乞うつもりです」


「聖女様か」


 アレクサンダー6世は鼻でわらいかけた。彼は窓の外から、隣の古い教会を横目で眺める。あの中で、聖女の化身である聖子女は、今日もせっせと祈っていることだろう。


 ルフェーブは口を開く。ジョムニと打ち合わせ通りの言葉を発する。


「世界が教皇様を見くびっていることが、口惜しく参りました」


「見くびっている?」


 そんなバカな、とアレクサンダー6世は首を傾げた。先日のウォーター国の暴走の件も、ファルム国の王権を定めたのも、教皇である。今の世界は教皇を中心に回っていると言っていい。


 しかし、ルフェーブは悲しそうな表情を崩さない。


「クロス王の行動がその証拠です」


「どういうことだ?」


「クロス王の権威は教皇様に支えられていると言っても、過言ではありません。それなのにクロス王は愚かにも、教皇様の許可なく兵を挙げて敗北し、教皇様が大事に思われている民衆を死に至らしめたこと、残念でなりません」


「…………」


 アレクサンダー6世は当然、クロス王の動きは把握している。この内乱にどのように介入し、利益をあげるか考えていたところだ。


 ルフェーブは心の中で顔をしかめる。こんなことを言いたくはない。しかしダヴィやジョムニと約束した、自分の悲願である教会改革を少しでも推し進めるためだ。彼は教皇に提案する。


「クロス国は教皇様が治めるべきだと思います」


「なに?」


「『神の国』を拡大させ、理想の国を築くべきでしょう。教皇様に今足りていないのは、領土と軍事力です。現在の7大国の一角ともなれば、教皇様の権威はますます高まるはずです」


 教皇は絶句した。いくら自分の権力を拡大したいとはいえ、そこまでのことを考えていなかった。ルフェーブの提言は、自分の予想をはるかに超える。


 しかし、どうだ。現時点でも教皇領という直轄地は保有している。運営上、何の問題もない。それにクロス国は王権が極めて弱い国だ。クロス国の貴族たちも、無能な国王につくか、権威ある教皇につくか、それは明らかだろう。


 ルフェーブは最期の一押しとばかりに、言う。


「我が主君、ダヴィ=イスルも、神の国樹立のための『邪魔もの』排除に、微力ながら協力すると申しております。教皇様の御心のまま、働きましょう」


 教皇は肘枕をついて、じっくりと考える。


 やがて、その口元に笑みが現れた。ルフェーブは成功を確信した。

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