第22話『初めて同士』

 貴族の財力は、その兵士の格好で分かる。


 この時代の兵士の多くは、農閑期の農民を徴兵して集めていた。当然、彼らは武器や防具を持っていない。それを用意するのは、徴兵した側の貴族の役割である。


 貴族が着る隙間すきまのない甲冑と異なり、農民たちに支給される防具は簡素だ。民間の加工技術が低いこの時代、鉄製防具は高価であった。最低限、頭と腹部は兜など鉄で覆っていたが、その他の部位は分厚い革で守っていた。


 ところがこれで十分、事足りるのである。


 彼らに支給される剣や槍も粗末で、多くが刃こぼれしていた。酷くなると、刀身にとがった部分すら少ない。そんな剣や槍では革の防具を貫けず、防具の隙間を突いて攻撃するのがもっぱらである。


 そんな防具や武器にも当然優劣はあり、素人目にもすぐに分かった。粗末な防具だと留め金がはまらなかったり、武具の持ち手がすり減っているなど、それらを支給された兵士たちをかなり不安にさせた。


 この点、シャルル直属の軍勢は、他の軍の兵士たちから羨望せんぼうのまなざしで見られている。


 鉄製の武具や防具は人の顔が映るほど磨かれていた。革の防具はよく雨にさらされて生乾きの嫌な匂いがするのだが、シャルル率いる兵士からは塗られたオイルのにおいが漂っている。これはシャルルの功績ではなく、彼のバックについているアルマ=リシュの財力が要因として大きい。


 そんな整備された軍隊が、強くなり始めた日光を浴びながら、長く伸び始めた春小麦畑に挟まれた道を行軍していく。


 マクシミリアンは慣れた手つきで手綱を引き、ダヴィが乗る馬に自分の馬を近づけた。


「よう、さすがに馬の扱いはうまいな」


 マクシミリアン以上に上手なのが、ダヴィである。彼はやろうと思えば、馬の前足を上げさせて、なおかつ手綱を放せた。しかしダヴィは謙遜して答える。


「この子がおとなしくて良かったよ」


「そのセリフ、ジョルジュにも言ってやれよ。あいつ、見るからに老いている馬に乗っているのに、いつ暴れるんじゃないかと、ずっとビクビクしているぜ」


 マクシミリアンがにやにやとして、親指でジョルジュを示した。背筋を曲げて恐る恐る手綱を引いている。シャルルの真似をして伸ばした黒髪が、彼の心臓の音を表して跳ねている。その姿は、馬にお伺いを立てているようだ。


 ダヴィが心配して、彼に近づく。そして彼の馬の手綱を引いてあげた。


「さっきから何も飲んでいないでしょ。今のうちに水を飲みなよ」


「す、すみません」


 ようやく両手を放すことが出来たジョルジュは、ズレた眼鏡をかけ直し、肩から下げていた水筒を口に持ってきた。そして生き返った心持ちで、ホッと息をつく。


「情けない。こんなに苦労するなら、もっと練習しておくのでした」


 と殊勝しゅしょうなことを言うが、彼の父親のアルマを見ると、彼もたどたどしい手つきで馬を操っている。残念ながら、生まれ持った血筋のせいかもしれない。


 そんな失礼なことを考えていたダヴィは、彼の首にかかっているペンダントに気が付いた。


「それ、どうしたんだ?」


「これですか? 妹が初陣の祝いにくれたのです。聖女様の姿が彫られています」


 ジョルジュが見せてくれた銅製のペンダントには、小さな聖女様の姿が描かれていた。こうしたお守りは世間一般に普及しており、円の中に長い髪の女性を描くのである。あらゆる災厄から守ってくれると伝わる。


 妹と聞いて、しばらく前に会った彼女の姿を思い出した。


「ああ、クロエちゃんが作ったのか」


 まだ宮廷に働きに出る前、クロエは度々ジョルジュの弁当を届けに、マザールの家を訪ねてきていた。黒い髪を頭の後ろで丸く束ね、ちょこちょこと小柄な体で動く姿は、誰から見ても愛らしい。いつもは渋い顔のマザールも、彼女の笑顔を見ると相好そうこうを崩した。


 ところが彼女はダヴィを見るたびに、兄のジョルジュの後ろに隠れてしまうのだ。マクシミリアンには遠慮なく話しかけるのに。


「まだ僕を嫌っているのかな」


「まったく、とんちんかんなことを言って。クロエがわざわざ私の弁当を自分で持ってくる意味を分かっていないのですか」


「え?」


 クロエがかわいそうだ、と彼女の兄はため息をついた。理解できないダヴィは、彼の手綱を持ったまま、首をかしげるしかない。


 そんな二人のそばに、マクシミリアンが寄ってきた。


「なんの話をしているんだ?」


 父親から譲り受けた自慢の槍を肩に担いで、笑顔でやってきた。色気づいた彼の髪型は、数年前の丸坊主から、横髪を刈り上げたツーブロックに変わっている。その点は彼の父・モランから苦い顔をされていたが、武術の腕前は認められるほどに力をつけた。


 やっと、その腕前を披露できる。その彼にとって、この初陣は待ちに待った機会だ。


「なにか作戦を立てようとしても、無駄だぜ。俺より戦功をたてられりゃしねえよ」


 思いっきり上から目線の彼に、ジョルジュがムッとして言い返した。


「なに言っているのですか。あなたたちの役割は伝令役じゃありませんか。先頭で戦うわけではありません」


 伝令役とは、戦場を駆けずり回り、現場の様子を指揮官に伝え、指揮官の指令を各部隊に届ける騎馬兵である。馬の扱いが上手い者が担当し、ダヴィとマクシミリアンはシャルルからその役目を任ぜられていた。騎乗が下手なジョルジュは、シャルルのそばで護衛として働くと決まった。


 それでも、マクシミリアンは戦功を立てる気満々である。


「すきを見て敵を倒せばいいんだよ! 伝令役が戦ったらいけないなんて軍令はないぜ。馬に乗るのはダヴィの方が上だが、武術じゃ俺の方が段違いさ。見てろよ!」


「勝手に言ってなさい!」


 四年一緒に学んでいても、相変わらず相性が悪い二人は、戸惑うダヴィを残して離れていった。ジョルジュはたどたどしく手綱を握って離れていく。


 いつになったら、言い争わなくなるのだろうか。ダヴィが頭をポリポリとかいて悩んでいると、下から声が聞こえた。


「ダヴィ……なのか?」


 見てみると、若い兵士がこちらを見上げている。その態度を、隣の年配の兵士が注意する。


「おい! この方はシャルル様の側近様だぞ。馬に乗っているのを見て、分からないのか」


「あ、いや、すみません。つい……」


 気になったダヴィは自分から話かけてみた。


「どなたですか?僕の知っている人?」


「いえ! 知り合いではなくて、ファンってだけで」


「ファン?」


「オラ、虹色の奇跡のファンなんです!」


 青年の名はトーリ=ノエルという。黒い髪を後ろで縛って兜から出している彼は、農家の六男坊でまだ十六歳だと告白した。受け継ぐ財産を望めるわけもなく、わずかな元手でパランまで出てきた。ところが、ろくな職にありつけず、今回の募兵に一縷いちるの望みをかけて応募したと言った。


 そんな都市部で孤立していた青年を励ましたのが、サーカス団『虹色の奇跡』である。


「オラは公演があるたびに見に来てました。オラよりも年の若い役者が活躍しているのを見て、勇気づけられたんでさあ! あなたも見てました!」


「ありがとう……そんなに、活躍していないけど」


 トリシャやピエロのビンスは押しも押されぬ人気役者となったが、半分を勉強に費やいしていたダヴィは当然芸の上達は遅かった。ただ、数年前のように馬から転げ落ちる失態はしなくなり、馬上芸人の一人としてサーカス団の公演を飾っていた。


 そんな端役はやくのダヴィの顔と名を、サーカス団の大ファンのトーリはしっかりと覚えていた。興奮のあまり、言葉の端々はしばしに方言が出る。


「こんなところで会えるなんて、光栄です! もしかして戦場でも公演をするのですか?!」


「そうじゃないよ。僕も戦うんだ」


「戦う? なんでかい?」


 細かい説明は飛ばして、自分がシャルル王子に仕えていると話した。それをどんな意味にとったか分からないが、トーリは同情するような目つきでダヴィを見上げた。


 そして戦いに向かう不安を口にする。


「オラ、武器を手に取るのも初めてで。金欲しさに武器を持っていますけど、とても怖いんです」


「僕も怖いよ。でも、戦わないと」


「本当に戦わないといけないんですか? 後ろにいたら、敵に会わずに済むんじゃないですか?」


 シャルルのそばにいて、大分毒されたのかもしれない。彼のように誇らしくありたいと考えたダヴィは、その考えがと感じた。


 だから、トーリの考えをはっきりと否定する。


「でも、戦わない自分の代わりに戦う人がいる。そんな情けないことはしなくないよ」


「強いんですね。やっぱり、カッコいいな」


 黄緑の海を作り出す春小麦の上を、小鳥が飛び回る。あと二か月もしたら収穫だろう。まだ身をつけていない小麦の種を、小鳥たちは恋焦がれているのかもしれない。


「オラが村の小麦も実っているかなあ」


 似合わない防具で着飾った奴隷出身の少年と農民出身の青年に、どんな運命が待っているのか。夏前の太陽はただ無口に輝くだけである。

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