第21話『初陣の朝』

 妹たちの襲撃を思い出して、ダヴィは苦笑する。


「甘えたがりなんだよ。もう少し成長してくれれば、収まるよ」


「そうかしらねえ」


 また会話が途切れる。


 キュッキュッと、鎧を磨く音が天幕に響く。ランプに照らされたダヴィの横顔を見ていると、トリシャは、彼がどこか遠くに行ってしまう気がした。


 なんだか、胸が痛くなる。何か会話の糸口を見つけようと、無理やりに質問する。


「帰ってきたら何をしてほしい?」


 ダヴィは磨く手を止めて、しばらく考える。そして再び磨き始めると同時に、口を開いた。


「トリシャのグラタンが食べたい」


「あたしの?」


 彼女は首をかしげる。金色の髪が傾く。確かにこの前作ってあげたが、サーカス団の皆には不評だった。なんでもしょっぱかったらしい。遠慮しないガサツな男たちは、舌をベーと出してその味を表現していた。


 普段料理しないからしょうがないかと、彼女はその不評も納得していた。でも、それを彼は食べたいと言う。


「あたしのでいいの? もっと美味しいものをおごってあげるのに」


「トリシャのがいい」


 彼の耳飾りが揺れる。その口調がまだまだ子供らしく、トリシャは「変なの」と呟きながら笑った。


 安心した。彼はまだ、あたしの知るダヴィだ。


 気を取り直したトリシャは、椅子から立ち上がった。そして大きく息を吸う。


「一曲歌ってあげるわ」


「今から?」


「そうよ。特別だからね。戦場で落ち込んだら思い出して」


 ダヴィは磨いていた雑巾をそばに置いて、トリシャに正面を向いて聞く体勢を作った。


 彼女は彼の頭をくしゃくしゃと撫でて、歌の前に言葉を送った。


「ダヴィ。昔、ビンスにいじめられていた時、私が言った言葉を覚えている? 喧嘩の勝ち方ってやつ」


「うん。覚えているよ」


 ビンスたちに殴られて泣いていた時、トリシャは彼の肩をパチンと強くたたいて励ましたのだ。


『ケンカに勝つには、体格や腕力は必要ないの。相手よりもほんの少しの勇気を出せるかどうか。さあ、グズグズしないの! もう一回戦ってきなさい!』


 これはね、とトリシャは種を明かす。


「私がこのサーカス団に入って初めて参加したお芝居の中で、ヒロインが言っていた言葉なの。この言葉で、私も救われたわ。最後は気持ちでどうにかなるものよ、世の中って」


 さてと、とトリシャはお客さんの前でやるように、スカートの端をもってお辞儀をして、背筋を伸ばした。


「負けても、私が歌ってなぐさめてあげるから、ちゃんと帰ってきなさいよ。いいわね」


「うん」


 トリシャは普段お客さんの前ではやらない歌、ダヴィも聞いたことがない歌を歌い始めた。ゆっくりとした柔らかい曲調のその歌は、子守歌のようだ。


(ずっと聞いていたい)


 胸が熱くなる。そして名残おしく曲が終わるころには、ダヴィはもう一度聞くために、必ず帰ってこようと決意した。


 ――*――


 首都パランの大通りで、ささやかな出陣式が行われた。シャルル率いるウォーター軍は北へと進軍していった。早朝、斜めに差し込む日光に照らされ、兵士たちの長い影が街を縞模様に変えていく。


 その影の中に、ダヴィの細い影を見つけた。トリシャは手を組んで静かに祈る。聖女様に、彼を無事に帰ってこさせてくださいと。


「まったく、行っちゃったね。嫌なもんだよ」


 なんだかんだ言って見送るロミーに、トリシャは密かに笑った。それに気が付いたのか、ロミーが彼女の頭をぐりぐりと乱暴に撫でた。それから、頭に巻いたスカーフを締め直す。


「さあ、稽古だよ。帰ってきたあいつらを、楽しませる準備をしないとね」


「それに、料理の練習もしないと」


「うん? 何か言ったかい」


「なんでもないわ」


 サーカス団の宿泊地に戻るトリシャは、彼に追い越されないように頑張ろうと決心した。ダンスも歌も料理も、弟分の彼を驚かせてやるんだからと自分を励ます。

 

 もう見えなくなったはずのダヴィの影が、彼女の心の中では見えている気がする。

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