第20話『何十回目かの妹の襲撃と父の手紙』
会議からしばらく後、ニコール=デムの領土へ派遣する軍隊の出陣の日を迎えた。首都パランからシャルル率いる本隊が出立し、道中で諸侯の軍が合流する手はずになっている。
その出陣を翌日に控え、サーカス団の宿泊地では、ダヴィがこの戦いのためにシャルルが用意してくれた鎧や剣を入念に点検している。自分の貯蓄をはたいて買った高級な油を、念入りに塗り込んでいく。それを何度も何度も行ううちに、あたりはすっかり暗くなっていた。
その様子を、トリシャが覗き込んでいた。そのことに気づかず、薄暗い天幕の中でダヴィの作業は続く。
(忙しそう)
彼女は十六歳になっていた。
次世代の歌姫として売り出し始めていた彼女は、高価な象牙のカチューシャを長い金髪の上に飾り付けている。肌はうっすらと小麦色に焼けていて、折れそうなほど長くて細い脚を、スカートの中に隠す。数年前よりも顔立ちはより大人びて、サーカス団には彼女への恋文が絶えず届いては、動物たちの餌として処分されていた。
そんな彼女の心を今占めているのは、弟のような彼への心配である。意を決して彼に声をかける。
「もう寝ないと。明日は朝早いのでしょ?」
「ああ、トリシャか。……うん、もう少し」
鎧の継ぎ目までしっかりと油を塗りこむ彼の隣の椅子に、トリシャは座った。両手で自分の頬を包み込んで、その肘を膝に乗せる。
その視線はただ、ダヴィの横顔を見つめている。
ふと、彼の黒い頭頂部を見た。
「もうたんこぶは治ったの?」
「うん、さすがにね。大分かかったけど」
たんこぶは、団長ロミーにつけられた。ダヴィが戦いに出ると報告した時、ロミーは激怒して彼の頭をグーで殴った。
『お前は人殺しになるんだよ。分かっているのかい?! こんな子供が命かけるなんて、おかしいじゃないか。顔も見たくないね。さっさと出ていきな!』
その後、ミケロやトリシャにとりなしてもらっているが、まだ会うことは出来ない。それでも、ダヴィは楽観的に考えていた。
「この宿営地を出て行けとは言われてないから、いつかは許してくれると思うんだ」
「まあね」
気に留めずに点検を続ける彼に対して、(大分肝が太くなってきたわね)と感じた。これも彼の成長のひとつだろう。
もう一人、いや二人、怒っていた人の件も聞いてみた。
「妹さんたちの方は許してくれそう?」
「うーん、どうだろうな。そっちは分からない」
彼が出陣すると、どこからともなく聞きつけた彼女たちが、ダヴィのもとへやってきたのである。
ただし、この不意の突撃自体は珍しくはなかった。父親がパランに滞在している時に限るが、それでも年に数回は必ず会いに来ていた。
ところが、今回は様子が違った。
ダヴィがシャルルの屋敷へ向かっていると、その屋敷の門の前に妹たちが待っていた。抱きつかれると思って、身構える。
しかしながら、いつものように突撃してこなかった。静かに口を開く。
「お兄さま、お父さまから手紙を預かってきました」
十一歳になり、腰まで茶色の髪を伸ばしたルツが、手紙を渡してきた。ダヴィが受け取ろうか迷っていると、ルツ自身がその手紙の封を切って、広げた状態で渡してくる。
「さあ、読んでください。そしてわたしたちと一緒に来てください!」
その手紙には、父親の丁寧な筆跡が綴られていた。戦争ごっこは止めて戻ってきなさい、という内容が、長々と書かれている。
ダヴィは小さく息を吐いて、そしてその手紙を破った。
「お兄さま!」
「兄さま……そんなことしたらダメ」
肩まで茶色の髪を伸ばして、前髪をぱっつんと切りそろえたオリアナが、ルツと一緒に非難の声を上げる。
ダヴィは怒る妹たちに対して、首を振った。
「僕はあの家に歓迎されていない。帰ったとしても、つらい思いをするだけだと思う」
「わたしたちがいるから大丈夫です!」
「君たちの母親のミーシャさんはどうだい? 僕を今でも嫌っているだろう」
「…………」
嘘がつけない二人は、黙ってしまう。確かにダヴィが売られる前は、彼女たちの母親であり、ダヴィにとっては継母にあたるミーシャ=イスルに、辛く当たられていた。
父親は何度も自分を買い戻そうとして、数回は自ら交渉に来た(ダヴィは会うことを拒否したが)。しかし継母から心配されているとは思えず、実家に戻っても暗い未来しか待っていない気がする。
ダヴィはダメ押しに、妹たちを説き伏せる。
「僕はもう大人だ。自分の道は自分で決めるよ」
「…………」
妹たちはうつむいた。もしかして泣いているのか、とダヴィは少し焦った。
ところが、顔を覗き込もうと近づいた時、彼女たちに両腕に飛びつかれる。そしてそのままぶら下がって、大声で叫ぶ。
「いーやー! お兄さま、戦争に行かないで!」
「いっちゃ、ダメ」
「ルツ! オリアナ!」
何度も腕を動かしても、しがみついた手を全く放そうとしない。いい加減、腕が疲れてきた時、屋敷の門扉が開き、長身の美男子が現れた。
「何事だい?」
シャルルが仁王立ちになって、わちゃわちゃと騒ぐ三人の前に立ちふさがった。その顔を見て、ダヴィが察する。
(ああ、心底面白がっているな)
満面の笑みのシャルルに対して、ルツとオリアナは腕にぶら下がりながら、不敵にも睨みつけた。
「邪魔をしないでください! 家族の一大事なのですから、知らない人は口を挟まないでください」
「どっか、行って……」
「二人とも! そんな口の利き方をしては」
焦るダヴィの前で、シャルルは大げさに天を
「ああ、私もまだまだ知名度が低いな。この国の王子だというのに」
「えっ! 王子さま?」
「……ホンモノの王子さま?」
妹たちは驚いて、ダヴィの腕から手を放して降りた。目を丸くする少女たちに、シャルルは改めて挨拶した。
「俺がシャルル=ウォーターだ。俺の屋敷の前で、俺の大事な部下に何の用かな」
「お兄さまはこの王子さまに仕えているのですか?!」
「う、うん」
「びっくり」
初対面の人には驚きさえ感じさせるほど、美しい容姿で彼女たちに微笑みかける。ルツは見とれたが、オリアナは静かに言った。
「……兄さまの方がカッコいい」
「そ、そうですわ! お兄さまが一番です!」
「おまえたち……」
「おやおや、ふられちゃったな。でも」
シャルルはダヴィの手を引いた。そして彼の頭をなでながら、彼女たちに宣言する。
「ダヴィはあげないよ。俺に一生仕えてくれるのだから」
「えー! ズルいです!」
「むう」
むくれる妹たちでも、王子さまには反論できない。捨て台詞を残して、近くに止めていた馬車に飛び乗って去っていった。
「いつかお兄さまには、私たちと一緒に住んでもらうんですから!」
「がんばる……!」
この数年後、彼女たちは自ら家を飛び出して兄についていく。しかしこの時は高笑いをするシャルルとため息を漏らすダヴィを見ながら、悔しそうにして帰っていくしかなかった。
三日前の出来事である。
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