第19話『春の終わり』

「あれが王の態度か!? 情けない!」


 シャルルの不満が爆発した。


 会議を終えたシャルルは、アルマといくつか打ち合わせをして、自分の屋敷へと戻ってきた。そして自分の部屋に入った途端、こらえていた感情をあふれ出させる。金色の髪を振り乱す。


 不満をぶちまける相手は、ダヴィである。


「ルイに責任があるのは明白ではないか。一国の王として、父親として、なぜ怒って叱らない?! なあ、ダヴィ。そう思うだろ!」


「は、はあ」


 部屋を歩き回りながら怒り続けるシャルルに、椅子に座るダヴィはあいまいな言葉を返す。シャルルにとっては身内の愚痴に過ぎない。しかしダヴィにとってはおそれ多くも国王への批判である。それを、おいそれと同意できない、という処世術を、十四歳のダヴィは会得していた。


 ダヴィは話を変える。


「それは今に始まった話ではありません。まずはニコール=デムの討伐の件を考えませんと」


「……それは、そうだな」


 やっとシャルルは椅子に腰をおろす。指でトントンとひじ掛けを叩く以外に、不機嫌な仕草を見せないところを観察しつつ、ダヴィは本題へと移った。


「ニコール=デムの領土では、ルイ王子も討伐を嫌がるでしょうね」


「理由は」


「かの領土がソイル家には益が大きく、ウォーター国には益が少ないからです」


 つっけんどんなシャルルの質問に、ダヴィはマザールに教わった知識をもとに、答えた。


 ニコール=デムの領土には二つの川が流れている。一つは西へと向かう川であり、この水源が今回の裁判の火種となった。その裁判結果は、デムの領内で使える水量が大幅に制限された。彼の領民にとっては死刑宣告に近い裁きが下り、反乱の火種となった。


 しかしこの川自体は決して大きい川ではない。問題は北へ向かう川である。


「この川の水量は大きく、ソイル家領内を縦断する川へつながります。もしこの川の水源であるニコール=デムの領土をソイル家が獲得できれば、領内南部での農耕への不安が取り除かれるでしょう」


「その通りだ。遊牧民国家である彼らにとって、農耕ができる領土の確保は悲願であるに違いない。しかし俺たちにとっては生産量の少なくて領土である。さてさて」


 ようやく機嫌を回復してきた様子を見て、ダヴィはホッと胸をなでおろす。


 現在、ダヴィが所属していたサーカス団『虹色の奇跡』は、実はここパランで公演している。本来の契約では、この時間はサーカス団で稽古しているはずだ。ところが、シャルルの給仕たちに泣きつかれた。


『シャルル様の機嫌がすこぶる悪い。私たちではどうしようもできないのは、分かるだろう。頼む! シャルル様の相手をしてほしい』


 頼み続ける彼らを断り切れず、ロミーの苦い顔を横目に見ながら、稽古を抜け出してここへと来ていた。


 ここ最近は特にひどい。ある日シャルルの呼び出しを受けても、軽く考えて「稽古が終わってから」と言付けを頼んだことがあった。そしてついつい稽古に熱が入って、深夜になってしまう。


 もう寝ているだろうと、屋敷を訪ねると、ワインを飲み続けてベロベロになったシャルルがダヴィを出迎えた。いつもは白い肌を赤くして、勢い余って小柄なダヴィの身体は抱きしめられた。


『ダヴィ~、おそいぞー。俺は待ちつかれたよ』


 そして一晩中、政治問題などを語られて、寝不足なダヴィは公演で失敗してしこたま怒られた。なぜかは知らないが、一番怒っていたのはトリシャだった。


 そんなことが続くせいで、マクシミリアンとジョルジュからはこんな心配をされる。


『ダヴィ、お前がシャルル様とあやしい関係だっていう噂が流れているぞ』


『えっ?!』


『シャルル様の部屋の中で、一晩中一緒にいたとか。違いますよね、ダヴィ? 変な関係になっていないですよね?』


 学友たちの冗談だろうと思って笑おうとしたが、こちらの会話をチラチラと見るマザールとその奥さんの姿を見て、目まいがした。そして強く、決してそんな関係ではないち、一時間あまり力説する羽目になった。


(シャルル様も早く奥方を見つければいいのに)


 しかしシャルルには色恋沙汰の影も形もない。彼が女性に目がいかないほど、夢中になっている事柄の正体を、ダヴィは察していた。


 とにかく、今は討伐の話である。これはシャルルにとってチャンスだと、ダヴィは考えていた。


「ソイル家の援軍が城に入る前に攻めなければなりません。この軍の編成権はどなたに?」


「良いとこに気が付くな! さすが、ダヴィだ。君が想像するように、編成権は俺に与えられた」


 この時代、軍の編成権はそのまま指揮権を示す。


 今回は王の代理として討伐するのである。それなりに大規模な編成となる。その数は万を下ることはなく、その規模を指揮することは、シャルルにとって初めてのことだ。


 打って変わって満面の笑みとなったシャルルは、ダヴィにどんな編成にしようかと、自分の考えを嬉々として語っていく。無邪気で、それでいて気品がある笑みだ。


(その表情を見せれば、どんな女の人でも好きになるだろう)


と、ダヴィはひいき目なくそう感じた。


 歳を経て、頬がスリムになり、あどけなかった顔が大人びてきたシャルルは、ますます男性として魅力を増していた。国外からも手紙が届くほどの女性人気は、彼の政治的立場を支えるほどになりつつある。


 やがて話すべき事柄が尽きてきたころ、思い出したように、シャルルはダヴィに言った。


「君も準備しておくんだよ」


「何をですか?」


「この戦いを、君の初陣としようと思う。マクシミリアンとジョルジュもだ」


「えっ?!」


 ついに来た。


 シャルルの身近に仕える中で、ある程度覚悟はしていた。しかし、いざとなると体が思わず固まってしまう。それを内心恥じたが、体は正直だ。


 その姿を見て、シャルルは目の前の少年がまだ14歳であることを思い出して、意地悪そうな笑みを浮かべた。


「俺の初陣は十三歳の時だった。どうした? 怖いのかい?」


 バカにされている。そう感じたダヴィは、青年らしい軽率さで勢いよく答えた。


「覚悟はできています! いつでも戦いに出られます!」


「その意気だ! 頼んだよ」


 鼻歌をするシャルルに対して、ダヴィはじっとりと手に汗をかいていた。数年前に聞いたロミーの言葉を思い出す。


『軍事は人を不幸にするんだ』


(ついに、僕は人を殺す)


 そんな葛藤など七年も前に果たしたシャルルは、無責任のように聞こえるほど、軽やかに鼻歌をしながら軍の構想を練り続ける。


 東からの乾いた風が窓を揺らしている。春が終わろうとしていた。

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