解説⑥『正円教の盛衰』
正円教は農耕民族の苦悩から生まれた。
金獅子王が登場するよりも前の時代に、正円教は生まれた。その頃、馬を操る狩猟民族の圧倒的な戦闘力に、農耕民族は酷く
彼らは壁の中で救いを求めた。当時の人々が書いた石板にはこのように書かれている。
『壁の外には馬に乗った悪魔どもがいる。…………それでも、私は壁の外に行きたい』
そして彼らが生み出したのは、
こうして彼らの心は一時的に、夢を見るという
この聖女信仰という一神教の誕生は、彼らの歴史を大きく動かした。聖女への強力な信仰心は、祭司への忠誠心へと変わり、強固な集団を作り出した。その結果、結束力が弱い狩猟民族を駆逐して、世界の覇権を握っていく。
この農耕民族を統率した祭司はその後、政治を司る王と儀式を司る聖子女に分かれた。この時期としては金獅子王の時代の直前と思われ、金獅子王がその存在を完全に分けた。そして彼は聖子女の下に祭司庁と修道院という組織を作り、正円教の教義を固めた。
だがそれから、正円教が飛躍的に発展したかと言えば、そうではない。黄金の七家が狩猟民族を駆逐しながら領土を拡大していく中、正円教は半ば忘れられた。正円教の本拠地ロースと王たちが離れたために、聖子女らの影響力が届かなくなったからだ。交通網の整備が遅れたため、国内の信仰自体も各王に委ねられた。司教や司祭の任命権も王たちが握り、正円教の影響力はロース周辺に留まり、各国から徴収された寄付金で細々と親交を守った。
その過程の中で、ソイル国の二重円教やヌーン国の円一文字教という教義を異なる宗派が生まれたのも、正円教の影響力の弱さが関係している。
その正円教に変化が起きたのは、金歴440年代である。クロス王家でお家騒動が発生し、各国も介入して、どうしようもなくなったことがあった。その時、祭司教皇が仲裁に入り、各国の利害関係の外にいた男をクロス王とした(その男は御者をしていたため、クロス王は『御者の王』と蔑まれることになる)。クロス王はこの行動に感謝し、ロース周辺の領土を寄進した。その結果、教会、特に教会経営を担当する祭司庁は、各王に頼らずに自立できるようになった。
それからというもの、各国で紛争や諍いが起きるたびに、祭司教皇が仲裁・調停する役割を担った。その働きへの感謝として、領土や財産を貰っていった。特に内紛が多かったファルム国やクロス国では影響力を強め、最終的には王が握っていた司教や司祭の叙任権を獲得した。こうして財力と権力を持った祭司庁は、各地の司教・司祭を通じて、民衆を直接支配するに至る。
そして金歴500年代になると、この祭司庁の権威をもっと強めようとする祭司教皇が現れた。大商人出身のボニーティウス1世である。金の力で選挙で勝利して祭司教皇の地位を手に入れた彼は、権威欲が
『右手に太陽を、左手に月を握る王となる』
彼と彼の息子のベネディクス5世は積極的に権威拡大を図った。中には自ら煽って騒ぎを大きくしたものもあった。ウォーター国のアンリ王暗殺も教皇の
そしてベネディクス5世の息子・アレクサンダー6世は、祖父と父の事業の集大成として、クロス国を滅ぼした。ダヴィ=イスル王の配下で、その滅亡をそそのかした「神を操る男」ルフェーブ=ローレン卿は彼を批判する。
『聖女になろうとした。当然、天罰が待っている』
その言葉通り、当時の聖子女・アニエスがアレクサンダー6世に激怒して、ダヴィと手を結んで討伐した。赤龍の戦いで大敗北して、百年かけて築いた権力を失った。その莫大な財産や権威はダヴィ王に引き継がれた。
さらに祭司庁はルフェーブにより解体され、今日まで続く合議制の決定方法へと変化した。教会は聖子女と修道院を中心とする、古代以来の純朴な信仰へと立ち戻り、俗世への政治的影響力を手放した。
現代の老人たちは、教皇の暴走を教訓として子供たちに教える。
『どんなに大きい鷹でも、太陽には上れない。欲はかかずに、人生ほどほどが良い』
『でもダヴィ王はどうなのさ』
『龍は別だよ』
(解説:歴史家・ルード=トルステン)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます