第30話『ヌーン国の悪魔』

 城に戻ったダヴィたちは、そのまま籠らなかった。


 なんと、ヌーン軍が陣取っていた場所に、代わるように陣取ってしまったのだ。


 これもグスマンの策である。


「グスマン、大丈夫かな?」


 ダヴィは不安がるが、グスマンはかっかっと笑うばかりである。


「あの奇襲は二度と通じません。前へ前へ押し出していくことこそ、活路を見出すのですぞ」


「しかし、敵は怒るだろう」


「かっかっ。それはもう、大激怒じゃろうて」


 愉快に笑う彼を見て、ダヴィは苦笑いを浮かべた。なんだか、彼の道楽に付き合わされている気がする。


 何といっても、こちらは5千人しかいないのだ。3万人で取り囲まれてしまっては、絶体絶命の事態となってしまう。


 しかしグスマンは酒場にいるかのように、陽気だ。


「大丈夫ですぞ。安心なされ」


「むう……」


 まるで祖父と孫だ。グスマンに優しく諭されるダヴィは、ごまかされた気がして、頭をかいた。


 そこへ、アキレスがやってきた。鋭い目つきをしている。


「ダヴィ様、聞いてもいいでしょうか」


「なんだい?」


「敵に捕らえられた彼らは、いつ助けに行くのですか」


 先日の奇襲で、ダヴィたちに犠牲者がいなかったわけではない。何名かはジャングルで迷い、敵に捕らえられた。アキレスが敵陣で暴れたのも、捕えられた味方の兵士の姿を見つけたからである。


 グスマンは彼にも優しく諭した。


「アキレス様といったか。勇ましいが、それは無理というものじゃ」


「見捨てるのですか」


 彼は冷たい目でダヴィを見ていた。彼の理想は、ダヴィを許さない。


 ダヴィは静かに言った。


「数名のために、全軍を危険にさらすわけにはいかない。捕虜交換の機会があれば、交渉する」


「……そうですか」


 アキレスは体を返して、足音荒く、その場を離れた。


 グスマンがため息とともに感想を言う。


「若すぎますな」


「ああ、そうだね」


「ダヴィ様は年の割に老熟されているからのう。彼が普通なのかもしれません。ですが」


 グスマンはダヴィに忠告する。


「ダヴィ様はお優しすぎます。時には怒りも必要だと、お心得なさいませ」


「……分かった」


 その時、鐘の音が鳴った。敵襲を知らせる音だ。


 ダヴィは南へと走る。


「敵か?!」


「ヌーン軍だよ。でも、あれは……」


 ジャンヌが絶句しながら、陣を囲う柵の向こうを指さした。そこには百人程度のヌーン軍の兵士と、大きな十字架が数基、掲げられていた。


 その十字架を見て、ダヴィも絶句する。


「これは、ひどい」


 十字架には、血まみれの男たちが掲げられていた。手足には落ちないように釘が打ち付けられている。恐らく、捕えられたウォーター軍の兵士だろう。


 その十字架を地面にさすと、ヌーン軍の兵士が叫ぶ。


 不気味な長髪の男であることが、遠目でも分かる。


「見よ!偉大なるピエトロ王子に歯向かったものは、このような運命をたどるのだ!」


 そう言うと、彼は槍を大きく掲げ、それを十字架に吊るされた男の鼻の下から突き刺した。


「ぎゃあああああああ!」


「ひゃははははははは!」


グリグリと槍を動かすたびに、捕えられた兵士は血が混じる唾を飛ばしながら泣き叫んだ。


「助けて!助けて!」


「こいつはひでえ」


「痛そうだあ」


 後から来たライルとスコットも顔をしかめる。盗賊時代もこんな酷いシーンは見たことがなかった。ジャンヌは目を覆ってみないようにしていた。


 やがて鼻がちぎり落ち、男は一層泣き叫ぶ。ダヴィは怒りに震えながらも、冷静に判断して自軍に命じた。


「これは挑発だ!乗るなよ!」


 その時、開門を知らせる兵士の声が聞こえた。ダヴィが大声で尋ねる。


「誰だ?!出てはいけない!」


「アキレス様です!部下の兵士たちと出ました!」


「バカッ!」


 ダヴィが顔色を変えて怒る。しかし、時はすでに遅し。アキレスはほとばしる感情のまま、馬に飛び乗り、走り出ていた。短い髪を逆立て、顔を紅潮させている。


「クソッ!クソッ!」


 捕らえられた兵士は、アキレスが助けられなかった者の一人だ。自分の責任だと、強く感じていた。


 それと同時に、彼は自分の腕で、全員を助けられると、確信していた。


 不気味な男・チェザーレは微笑む。


「ケケ。出てきやがった」


 彼は部下に合図を出すと、捕えた兵士を刺し殺し、スルスルと引いていた。


 その行動に、アキレスは激怒する。愛用する槍を持つ手に、力がこもる。


「おのれ!」


「ケケ。怒れ。怒れ」


 アキレスが追いすがり、徐々に距離を詰めていく。彼の目には、憎き敵の姿しかとらえていない。


 後ろから部下が着いてこられていないことにも、気が付かずに。


「猪武者め。頃合いだ」


 チェザーレは手をかざす。そして近くの草むらから、敵兵が飛び出してきた。


 アキレスは驚くこともなく奮起する。


「なんの、こんな小細工!」


 彼は槍を大きく振り回し、構えを決めた。そして槍を突いてきた敵兵を、逆にその喉元を突き刺し、そのまま槍を振り上げて彼の身体を投げ飛ばした。兵士の死体が宙を舞う。


 それでひるんだ他の兵士を頭から槍でたたき割り、その兵士は鼻から血を噴き出して息絶える。


「さあ!次は誰だ!?」


 敵は手を出しかねて、遠巻きに取り囲む。余裕だったのはチェザーレだけだ。


「大した野郎だ。だがな」


 チェザーレは兵士の死体を投げ飛ばし、アキレスがそれにひるんだすきに、彼の馬の前足を斬った。馬はバランスを崩し、アキレスは地面に転がされた。


 騎士が乗る馬を斬るなど、この時代、絶対にしてはならない作法である。アキレスは目じりを吊り上げて、怒鳴った。


「卑怯だぞ!」


「甘い。甘いな、小僧」


 チェザーレはアキレスの顔を見て、またいやらしく笑った。相手は頭に血が上った子供だ。


 格好の相手。チェザーレは興奮を必死に抑えた。


 その一方で、アキレスは戦意を絶やすことなく、チェザーレに向き直った。


「勝負だ。来い!」


「いいぜ、ケケ」


 二人は向き合い、対峙する。その周りをヌーン軍の兵士が囲み、口々にアキレスに罵声を浴びせる。


 しかし、勝負に徹した時のアキレスの集中力はすさまじい。チェザーレから視線を外さない。


 チェザーレはわざとらしく褒めた。


「おめえは、強えな。幼いころからお師匠さまに鍛えられたって気がするぜ」


「……だからどうした」


「俺はごみ溜めのところから、喧嘩だけで這い上がってきた。気が付けば、王子様のお気に入りになった。おめえとは違う」


「そうか」


 チェザーレは目を大きく開く。


「分かっちゃいねえな。ちげえっていうのは、こういうことだ!」


 突然、チェザーレは腰元に結わえていた袋から、アキレスに黄色の粉をまき散らした。


 視界が閉ざされる。


 アキレスはせき込み、涙が止まらなくなる。


「ひ、ひきょうだぞ!」


「だから甘いっていうんだよ!ここは戦場さ!勝てばいいんだ。貴族様のお試合とは、訳が違うんだぜ」


 アキレスはせき込み続け、膝をついてしまう。その無防備な頭を、チェザーレはこん棒で殴った。


「グガッ!」


「一思いには殺さねえさ。王子の要望もある。じわじわ痛ぶってやるぜ」


 チェザーレは彼の横腹を蹴り上げる。アキレスが必死に抑えながらも声を発するたびに、周りの兵士から歓声が上がる。


 アキレスはやみくもに槍を振り回した。しかし彼には当たらない。また彼のこん棒が、アキレスの頭に振り下ろされる。


「グッ!」


「こらえるねえ。いつになったら、泣きべそに変わるかな」


 アキレスの剃りあげた頭の横に、血が伝った。彼は目を閉じて、動きを止めた。

 

 その時、ヌーン軍の兵士たちから悲鳴が上がった。彼らの囲いを破って、騎兵隊が突撃してきた。


 その中の一人が、チェザーレに矢を放った。


「おっと」


 チェザーレはひらりとかわしたが、アキレスから距離をとってしまう。そこへ他の騎兵が近づく。


「アキレス!」


「……っ!」


 目の見えないアキレスは手を伸ばし、それを騎兵がつかむ。そして彼を引き上げ、自分の馬に乗せた。


「引き上げだ!撤退!」


 彼の号令の下、騎兵隊は元の道を戻っていった。チェザーレは7つに束ね分けた長髪をかきながら、それを見送った。


「騎兵隊だけで来るとはなあ。チョイッとぬかった」


 ウォーター軍が歩兵と共に包囲していく作戦をとってくれたなら、また逃げて罠にはめることを考えていた。しかし彼らはアキレスたちを助けることだけに集中して、騎兵だけでやってきたことは、チェザーレにとって誤算だった。


 だが、彼は満足していた。また彼をいじめられる。それを思うと、ゾクゾクと体が震える。


 最後に聞いた、若い兵士の名を呼ぶ。


「アキレス。また遊ぼうぜ。ケケ」


 一方でアキレスは悲嘆に暮れていた。敵を討てなかった。さらに敵に包囲されて、味方に助けられた。若い彼にとって、屈辱以外、何者でもない。


 目を悔し涙でいっぱいにする。


「アキレス」


 自分を助けた騎兵から声をかけられる。振り向くと、それはダヴィだった。


「ダヴィ様……」


 アキレスは顔を伏せた。命令違反をしてこのざま。顔向けできない。


 ダヴィは静かに言う。


「アキレス。帰ったら話がある。手当をしたら、僕のところまで来てくれ」


「はい……」


 ダヴィはグスマンの言葉を思い出していた。心を鬼にしないといけない。彼は味方を助けたというにもかかわらず、心が重かった。

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