第32話『公演中の密談』

 女王がサーカス団に来訪した時、空は雨が降り出しそうだった。団長・ロミーは一般客の入り口とは別に、裏口から女王の馬車を迎えた。その周りに騎兵たちが並んだ。


 この時、ダヴィは感動した。緑と赤の目をキラキラと輝かせる。


(これが、遊牧民の馬か!)


 無駄な脂肪がなく、筋肉の筋が馬脚に浮き出ている。そして何より、体が大きい。サーカス団の馬と比べても二、三割は大きい。顔つきも鋭く、タテガミは燃え上がる炎のように風に揺れている。走ったどんなに速いだろうかと、馬乗りのダヴィは興味津々に観察していた。


「こら! 見てないで、手伝えよ!」


 ビンスに叱られて、一緒に赤い毛布を地面に敷く。それを、公演を行う大きなテントまで敷き終わり、団員たちは毛布の端に立ち並んだ。


 ここで騎士たちはわざわざと馬を馬車から外し、遠ざける。ようやく馬車の扉が開いた。


「女王陛下、おなーりー!」


 騎士の一人にうながされ、サーカス団員一同は地面に片膝をついて、首を垂れた。カツリカツリと、馬車を降りる音が聞こえた。


「このサーカス団の団長と案内役、前へ」


 視線を下に向けたまま、ロミーとダヴィがするすると前に出て、再びその場で膝をついた。視界の端に、女性のスカートと足が見えた。


「顔を上げよ」


 女性の低い声に命じられ、ダヴィは彼女の顔を見上げる。


(ふわっ)


 心の中で息を飲む。十四歳の彼が初めて出会う、美しさであった。


 ドレスの赤さに負けないぐらい真っ赤な髪を、腰まで伸ばす。その中で肌と顔の白さが浮き出だしている。出るところは出て、細く締まった身体がドレスの奥に見える。首には小さな鈴をつけた飾りが光っていた。


 そして目じりが少し上がった、赤く強い目が、ジッとダヴィを見つめていた。


「女王陛下、こちらの二人が団長と本日の案内役です」


 彼女の後ろから、馬車を降りてきたシャルルが、二人を紹介した。素晴らしい装飾の服を着こなす彼と並ぶと、余計にその光景に心が奪われる。


 ぼーとしていると、わき腹をロミーに小突かれた。小声で叱られる。


「こら、あんたも挨拶なさい」


「お、お初に、お目にかかります! ダヴィ=イスルと申します!」


「ふうん」


 声を上ずらせて挨拶した彼を見て、女王が声を漏らした。彼の耳飾りを見て、気づく。


「ニコール=デムの城を落とした少年とは、あなたのことかしら」


「えっ」


 女王は微笑んだ。その笑みに、また心を奪われる。


 彼女はダヴィの返事を待たずに、ロミーに案内されてテントへと向かった。その後ろを、全身白い老人と、ミケロやモランよりも大きい騎士が、続いていく。ダヴィはその後ろ姿を見送った。


 リン、とどこかで鳴った。少し耳障みみざわりのような気がした。


「ねえ、ビンス。何か聞こえない?」


「あ? なんの話だよ」


 突然、ダヴィは背中の皮をつねられた。振り返ると、頬を膨らました金髪の少女がいた。


「いたい!」


「み・す・ぎ! まったく……ビンス、行くわよ」


「お、おう」


 トリシャがダヴィをにらみ、ビンスと共に、先にテントへと向かった。背中をさするダヴィの肩を叩く人がいた。彼は振り返る。


「怒られちゃったな、ダヴィ」


「シャルル様……」


 今日のシャルルはいつも以上に着飾り、美しい金髪は輝きを増している。まるであの女王の魅力と張り合おうとするようだ。


「男として、気持ちは分かるけどね。……それにしても、やっぱり恐ろしい。彼女の諜報網はどこまで伸びているのか」


 ダヴィが落城させるための策を立てた事実は、口外されていない。しかも対外的には、ダヴィは罰せられて、謹慎させられたのである。今日にいたっては、ダヴィはサーカスの衣装を着ている。


 それにもかかわらず、女王はダヴィを正確に評価した。知りすぎている。


 ダヴィたちもテントに向かう途中、シャルルに質問した。


「シャルル様、会談はいかがでしたか?」


「ああ、何事もなく終わったよ。内容は予想通り、ニコール=デムと彼の領土の交換だった。返事は明日に延ばしたが、恐らく父は承諾するはずだ」


「それだけですか?」


「ああ、その通りだ。女王自身が出張ってくる内容じゃない。恐らく本命はこれからだ」


 ダヴィは、見慣れているはずのサーカス団のテントが、恐ろしく見えてきた。


 ――*――


 木造の二階建ての客席は、いつも通り、満員となっていた。


 しかし今日は、いつもと様子が違う。客席の一角が空けられ、薄い天幕で覆われた高い席が設けられていた。開演前、人々の関心を集めている。


 しかしながら開演してからは、観客の目はサーカス団『虹色の奇跡』に、くぎ付けとなった。


 迫力満点のライオンの火の輪くぐりを始め、器用な象の玉乗り、舞台上を跳ねまわる馬の曲芸、様々な道具を披露するピエロのパントマイム、緊張感たっぷりの空中ブランコなど、驚きと感動を客に与え続ける。


 そして、このサーカス団の最大の見せ場であるのが、最後に披露される、歌劇である。


「珍しい。サーカス団が歌劇をするなんて」


「この『虹色の奇跡』の公演の中でも、人気な演目ですよ」


「この歌劇『プルター川の涙』は、特に人気を集めた演目です」


 シャルルとダヴィの解説に、女王は微笑んで感謝を表した。


 本日の主人公は、ロミーだ。彼女の娘をトリシャが演じ、ビンスがロミーの愛人を演じる。愛憎劇の中で、ロミーやトリシャらが歌をテント中に響かせる。最初のサーカスの公演で拍手し疲れた観客たちは、うっとりと、その歌に聞き入っていた。


 ダヴィは、女王の横顔を見ていた。そこからは、何の感情も読み取れない。耳に光る装飾が鈍く光る。


 ようやく彼女が口を開いたのは、最後のシーン、ロミーが死んだトリシャを抱いて、泣きながら歌っている途中だった。


「これは悲劇なのかしら」


「そうですが、お気に召さなかったですか?」


「いいえ。ただ、これを悲劇と言えるだけ、幸せな民衆ね」


 彼女は舞台を観ずに、観客の表情を見ていた。涙をこぼす彼らの姿に、彼女は微笑んだ。ダヴィは、ゾクッと、鳥肌が立つ。


「シャルル王子、あなたはこの国をどうしたいの?」


「どう、とは? 良くしたいとは思いますが」


「どの立場で?」


「王子として、です」


 ふっと音が聞こえた。それが彼女の口かられたものだと気づいたのは、少し後のことだった。


「王として、ではなくて?」


 シャルルは、女王の目を見つめた。こちらに向いていた彼女の目が、光った気がする。彼は臆することなく微笑んで、当たり障りのない返事をしようとした。


「私には、兄が二人おります。異変がない限り、私が王を継ぐことは……」


「その異変を起こそうとしているのではなくて? 私の国の襲撃を度々撃退するのも、そのための布石でしょう」


「…………」


「リシュ公と一緒になって、新興貴族を懐柔している動き、分かっているわ」


 暑くないはずなのに、シャルルの額に汗が浮かんだ。この時点で、この動きが父の国王や兄たちにバレては、今までの努力が水の泡である。


(何がしたいのか。脅迫しているのか)


 思わず目つきが怖くなるシャルルに、女王は微笑む。赤い瞳がゆがむ。


「睨まなくてもいいわ。私と似ているから、親近感がわいただけ」


「似ている?」


「私も、私の国を乗っ取るつもり。私はソイル国を滅ぼし、新たな国を作る」


「…………」


「あなたはこの国をどうしたいの?」


 再び同じ質問を重ねられた時、シャルルは息を飲んだ。そして重い口を開く。


「俺は、王になります。俺も、この国を作り変えるために動いています」


「……そう」


 女王は右手を差し出した。白くて細い指が伸びる。


「協力しましょう、シャルル王子。お互いの野望のために」


 シャルルはその手を握った。不思議と、そこに迷いはなかった。


「協力しましょう。お互いの国のために」


 隣で立つダヴィは、その握手を見ていた。どことなく、その握手には意思が通っていないように見えた。冷たい手同士が触れ合う。


 眼下ではロミーの歌が終わり、万感の拍手が団員たちに注がれる。手を離した女王とシャルルも適当に拍手を送った。サーカス団員であるダヴィとしては、もう少し観てもらいたかった、と残念な気持ちを抱いた。


 ――*――


 公演後、女王を見送って屋敷に戻ったシャルルは、険しい表情で、モランとアルマを呼んだ。


「お呼びですか」


「密談はいかがでしたか」


 シャルルは眉間にしわを寄せたまま、彼らに命ずる。


「モラン、アルマ、その話はあとだ。すぐにソイル国の内情を調べてくれ」


「内情?」


「ああ、今すぐにだ」


 窓から、雨が降り始めた空を見上げる。これから雨足が強くなりそうだった。


「予想よりも、ひどくなりそうだ」


 その頃、女王は、ウォーター国で用意された宿の一室で、ソファーで横になっていた。スカートがよれて、白くて細い脚が半分露あらわになる。赤い髪がソファーいっぱいに広がる。


「ねえ、ハワード」


「はい、女王陛下」


 傍らで、鋭い目を崩さない巨漢の騎士が、返事をする。彼女は自分の整った爪を眺めながら、つまらなそうに言った。


「この国も優しいわね」


「知らないのでしょう。冬の凍てつく風や、凍った大地の怖さを」


「そうね。何も知らない。幸せなこと」


 彼女は自分の唇を触る。赤い唇が形を変えた。そしてため息とともに、言葉がこぼれた。


「誰か、私を、恋させてくれないかしら」

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