第28話『ヌーン国・ピエトロ王子』

 ヌーン国に訪れた旅人は、皆驚くという。この大陸で唯一熱帯に属する地域があるこの国には、他の国で見られないものが多い。米や南国ならではのバナナなどの果物、熱帯雨林など、数多くの特産物や景色。


 その中でも、旅人に最も驚かれるのが、この巨大な生き物である。


「パオーン!」


 長い鼻を空高く上げ、灰色の身体を動かし、大股で進んでいく。背丈は人の3倍はあるか。


 名を象と呼ぶ。


 その大きな背中に椅子を置き、くつろぐ人物がいた。


「うるさいぞ、スルス」


 スルスと名付けられた象を叱る人物は、この国で二番目に偉い人物である、ピエトロ王子だ。彼が発言するたびに、象の手綱を握る御者がびくりと驚く。後で怒られるのは、彼なのだ。


 初夏のギラギラと輝く太陽が、彼らを照らす。屋根に覆われたベッドに寝ころぶピエトロ王子の肌にも汗がにじむ。


「休憩にしよう」


 彼の提案に、周りがすぐに対応する。ピエトロはその細い体で軽々と象から飛び降り、木陰に設置されたソファーに腰掛けた。


 そして女中や従士が即座に彼の周りに配備される。これだけ見ると、まるで王宮の彼の部屋がそのまま移動してきたようだ。


 ピエトロは冷たいジュースに喉を潤しながら、側近のカボットに聞く。


「目的地までここからどのくらいだ」


「あと一日かかる距離かと」


「遅いな」


 こうやって何度も休憩しているからだろう、という言葉をカボットは飲み込んだ。彼は提言・諫言を極端に嫌う。自分の頭脳だけを信頼し、参謀役・相談役さえ置かないぐらいだ。


 その時、騎士の一人が近づいてひざまく。


「王子、近隣の領主が挨拶をしたいと」


「…………」


 こういう挨拶を受けるのも、王子としての役割である。彼の前に初老の男が現れ、ひざまいて挨拶し始める。


「王子、お初にお目にかかります。ご機嫌麗うるわしゅう」


「…………」


「この度はウォーター国に攻め入ると聞き、感激してここでお待ちしておりました」


「…………」


「ささやかな贈り物をご用意いたしました。ご確認ください。王子のご戦勝をお祈りしております」


「…………」


「あ、あの?」


 何も話さない彼に変わって、ガボットが彼に語る。


「王子は喜んでおられる。そなたの忠義、うれしく思うと、おっしゃられている」


「は、ははー!」


 彼は感激して、スキップするように喜んで帰っていった。この国で神に近い王子と面会して、言葉をかけられる(側近を通してだが)ことは、至上の喜びである。


 その反面、ピエトロは冷めていた。褐色の顔をしかめて、あくびを漏らす。


「つまらん。なぜ俺がこんなことをしなければならん」


「これも重要なお役目です」


「贈り物があるというなら、さっさと渡して帰ればいいものの」


 興味がない人には、とことん興味がない。第一、彼ら臣民が王族を敬い慕うのは、当然のことなのだ。それなのに、なぜ高貴なる自分がリップサービスをしなければならないのか。理解が出来ない。


 ブスッとした表情を浮かべる王子は、突然ニヤリと笑った。


「おい、さっきの男を連れてこい」


「は?先ほど挨拶した領主ですか」


「そうだ」


 ニヤニヤ顔で、彼は命じる。彼に仕えて長いカボットは、嫌な予感がした。


 彼は“退屈しのぎの遊び”を提案した。


「その領主が雇っている一番強い戦士と、俺の戦士を戦わせる。あっちが勝てば褒美を用意してやる」


「負ければ、どうされるおつもりで」


「そうだな……領主は『普段から戦士を鍛えていなかった罪』で領地没収。領民は『愚かな領主に仕えていた罪』で税を倍にする」


「っ!それは……」


 カボットは絶句する。ただでさえ王子はこの国中から優秀な戦士を集めて鍛えているのだ。一介の領主が雇う戦士が勝てるはずがない。


 彼は王子を恐る恐る制止する。


「王子、お情けをおかけください。彼らには無理です!」


「なに」


 ピエトロは鼻でわらう。彼らが驚き、泣き、悲鳴を上げる様も、彼にとっては楽しみの一つだ。


 彼はジュースに口をつけながら言う。黒い瞳が不気味に歪む。


「ただの娯楽さ」


 ――*――


 チュール城の会議室では、敵の動きを考察していた。新たに加わったグスマンが、地図を指し示す。


「彼らはこことここを通る」


「東西の街道か」


 ダヴィは彼の意見に頷いた。この二つの街道以外考えられない。この城に続く南から街道は、この二つしかない。この道以外には大軍が通れないのだ。


 グスマンは説明を続ける。


「ヌーン軍はのう、日が登ってから戦い始めるのが通例じゃ。そうしなければ自分たちの活躍を見せられないからのう」


「さすが戦士の国だね」


 ジャンヌが頭のバンダナを結び直しながら、感心する。自分の勇敢さを褒めたたえられる。彼らにとって、それこそが一番の名誉なのだ。


 それで、とライルが尋ねる。


「このやってくるやつらを叩こうって言うのか?」


「それは無理じゃな。二つに分けたとしても、それぞれ万は下らないじゃろうて。それに勝つのは辛かろう」


 こちらは5000人の軍隊だ。数でも劣る。やっぱり城に籠るしかないのではないか。そうダヴィは彼に尋ねた。


 彼は首を振る。


「ダヴィ様、それはいかん。敵の一番強い部分を真っ向からぶつかることになる」


「では、どうする?」


 グスマンは皺だらけの人差し指を立てた。教授するように、ダヴィに言う。


「一番弱いところを攻める。これが戦術の基本じゃよ」


 ――*――


 ピエトロの軍がチュール城に迫ってきた。彼は敵の様子を聞く。


「敵はどのくらいいる?」


「おそらく1万以下の軍勢と聞いております」


「つまらん」


 敵がある程度強くないと、楽しめない。彼は眉間にしわを寄せる。


 彼は愛象の身体を叩いた。


「お前の活躍の場はなさそうだな、スルス」


 スルスは目をしばたかせた。ここまでの移動で、少し眠そうにしていた。


 ピエトロもあくびをする。先ほどの“娯楽”はあっさりと王子側の戦士が勝ってしまった。叩き殺された領主側の戦士と、その後ろで泣いている領主に罰を言い渡して、さっさと後にした。暇つぶしにもならず、眠たくなる結果である。


 カボットはこれからの戦術を説明した。


「軍を二つに分けて、街道沿いに攻め寄せます。王子はこの本陣でお止まり下さい。こうすれば、敵はなすすべなく城に籠るしかないでしょう」


「逃がさんようにな」


「はっ」


 雲が動き、また強烈な日光が照らしてきた。ピエトロは目を細めて、太陽を睨みつける。


「太陽よ。我が父よ」


 彼は呟くように祈った。


「我が退屈を慰めてくれる、血なまぐさい戦いを味あわせてくれ」

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