第29話『業火の開戦』
夜に差し掛かる夕暮れ時。空は黒と赤のコントラストで彩られる。
誰もがこの空が黒に染まる前に、目的地に着きたいと思うであろう。このジャングルで鍛えられたヌーン軍の兵士たちも、同様である。彼ら以上に、夜のジャングルの恐ろしさを知らない者はいない。
「おい、敵はまだか?」
「あともう少しだってよ」
ヌーン軍の兵士たちが口々に話し合う。敵に向かうというよりも、このジャングルの中を進んでいるということに緊張している。
彼らは自分たちで用意した武器をガチャガチャと揺らしながら、道中を急ぐ。
「ウォーター軍って強いのか」
「さあ?だけど、俺たちよりは弱いって聞くぜ」
「それに、俺たちより兵士の数も少ないってよ」
「なんだよ、楽勝じゃねえか。だったら、誰かにとられる前に、敵の首をとらねえと」
農村の各地から集められた彼らが狙うのは、一か八かの大戦功である。尚武精神が強いヌーン国の庶民は、いつか自分が戦功を立て、騎士などに取り立てられることを夢見ている。だからこそ、敵の到来が待ち遠しい。
彼らの足が速くなる。
「早く、奴らの顔を拝もうぜ」
「ああ、奴らの怯える顔をな」
「ちびっているんじゃいのか」
ケラケラと彼らは笑う。彼らにはウォーター国で徴兵された農民とは異なる、明白な闘争心が現れていた。
やがて、ジャングルを抜け、大きな城壁が見えてきた。
「あれがチュール城か」
「ああ、でけえもんだ」
これまでヌーン軍の侵攻を抑えてきたウォーター国の南部最大の要塞である。見上げても先が見えないほどの大きな城壁に、兵士たちは息を飲む。
ともあれ、もう空が暗くなり始めており、攻撃は明日だろう。兵士たちは城を見ながら、宿営の準備を始める。
そこへ、一人の兵士が駆け込んできた。
「た、たいへんだ!」
「なんだよ、急に」
「どうした?」
彼を大勢の兵士が取り囲む。顔を青ざめた兵士は、彼らに伝える。
「燃えている……」
「なにが?」
「お、おれたちの、食料が」
「はあ?」
――*――
ダヴィたちは道なき道を進んでいた。奇妙な虫が鳴く。足元を見知らぬ生き物の影がよぎる。
「うへえ!なんて道だよ」
ライルが悪態をつく。これがとても道とは思えない。彼の太った脚に、枝が突き刺さってくる。
しかしグスマンが示したのは、この道だった。
『この道が彼らの食料庫につながっているのじゃ』
「違ってたらぶん殴るぞ、ジジイ!」
チュール城で待っているはずのグスマンに悪口を言い、ライルは草木を分けて進む。足元にはかすかに道らしき細く踏み分けられたものが、見えていた。ふとすると、見失ってしまいそうだ。
スコットは不思議がる。
「なんで、ジャンヌは、見えているんだ?」
彼らの先頭を行くのは、ジャンヌであった。その背中にダヴィが声をかける。
「ジャンヌ。道は間違えていないよね?」
「ちゃんと見えているよ。合っているさ」
自信たっぷりに、ジャンヌは馬で進んでいく。彼女は生まれてすぐに、夜の草原を駆け抜けてきたのだ。夜でも草原についた薄い痕跡を読み解き、野生動物を警戒しながら暮らしてきた。そんな彼女にとって、このジャングルの獣道など、かがり火で照らされた石畳の道のごとく、よく見えていた。
ダヴィたち数千の兵士は、ジャンヌの三つ編みを目印に、息を殺して進んでいく。
「ダヴィ」
ジャンヌが止まった。正面を指し示す。ダヴィが彼女の隣に並び、目を凝らした。
かすかな光が、ジャングルを抜けた奥に、見えていた。
――*――
ピエトロは目を覚ました。テントの外が騒がしい。様々な人の声が聞こえる。これは、叫び声か?
彼はベッドから身を起こした。
「カボット!」
側近の名を呼び、寝間着を着直す。普段はターバンの中にまとまっている長い髪が、だらりと肩にかかる。
カボットがテントに入ってきた。褐色の肌でも、血相を欠いているのが分かった。
「王子!どうか避難を」
「何事だ?!」
「敵襲です!」
ピエトロはテントの外へ出た。すると、周りの様子が一変している。
「おお……」
陣の一角が赤く染まっていた。人の叫び声と共に、炎が上がる音が混じっている。
彼は唇をかんだ。なんたる醜態だ。
「カボット!これはどういうことだ?!」
「お叱りはあとで。今はご避難を!」
彼に引っ張られる形で、ピエトロはその場を後にした。寝間着姿のまま引き締まった体で走り、スルスに飛び乗って危機は脱する。
屈辱であることは間違いない。彼の目にその炎が焼き付く。憎しみと共に。
「この代償、必ず支払わせてやる……」
彼は象に乗って逃げる前に、ある兵士を呼んだ。一人の長身の男が彼の前で跪く。
目がくぼんだ、長髪を7つに束ねまとめた男だった。
「チェザーレ」
冷たい声に、呼ばれた彼は微笑む。彼の笑みに、カボットは背筋が寒くなる。
「兵を与える。奴らに死を」
彼は音なく消えた。カボットが恐る恐る王子に尋ねる。
「彼は何と?」
「奴の答えは分かっている」
ピエトロはニヤリと口角を上げる。しかし目は笑っていなかった。
彼が望むことを、チェザーレという男は知っている。
「『至極残忍な死を与える』と、いつも通りのことを言ったのだ」
――*――
彼らの食料を放火して、ダヴィたちは帰路についていた。
ライルが懸念を示す。金の輪がぶら下がる耳に、声をかける。
「ダンナ、やつら追ってきませんかね?」
「追ってはこないと思う」
ダヴィは説明する。これもグスマンに説明を受けたことだった。
「彼らはまず火を消すことに専念するはずだ。それに、油断していたところを襲ったから、追手を出せる体制を作れないはずだ」
「大体、なんでこんなに油断していたんでしょうかね」
「こっちがジャングルを通ってくるとは思わなかったのさ」
ウォーター軍にとって、ジャングルは未知の存在だ。大きな街道は知っていても、ダヴィたちが通ってきた獣道など、知る由もないと、ヌーン軍は信じていた。
それが、一人の老人の存在で、変わったのだ。
「あのお爺さん、一体何者なんだろうね?」
今度はジャンヌが聞いてくる。その質問には、ダヴィは首をひねる。
「うーん、どうも分からない。間者ではなさそうだけど」
密かにグスマンを監視していたが、外部と連絡を取った様子がなかった。ジャンヌたちに冗談を言ったり、昼寝をするばかりであった。
しかしダヴィに対しては、きちんと姿勢を改め、様々な話をしてきた。政治や外交など、話の種は尽きない。まるでダヴィに教えているようだ。
彼の意図が分からない。しかし、悪い人とは思えなかった。
「ともかく、これで敵は食料が無くなった。体制を整えるために、後退するだろう」
「一安心ですね」
「それはそうと、あれはどうなのよ」
ジャンヌは怪訝な顔をして、後ろの騎士を示した。アキレスがジッとこちらを見ていた。彼の鎧には血しぶきが付いている。
彼に聞こえていることを気にせず、ジャンヌは不満を言った。
「ダヴィの撤退命令を無視して、戦おうとしたんだよ。実際、敵を2人も倒しちゃっているし」
食料を放火した後、アキレスは敵陣地の方へ踏み込み、見事な手際で敵2人を倒した。敵は何が起こったか分からないといった顔をして、倒れていった。
しかしダヴィは『放火したら、すぐに撤退する』と命令していたはずだった。明らかな命令違反だ。だが、戦功を立てた彼を罰することは、慣例上できなかった。
それでも、ジャンヌやライルは怒る。
「ダンナ、懲らしめてやりましょうよ」
「いつか痛い目に合えばいいんだ」
「まあまあ、今回は多めに見てあげよう」
「ダンナは優しすぎるんですよ」
なあ、スコット、とライルは相方に同意を求める。しかし彼はゆっくりとした口調で、ごま塩頭の後ろで手を組んで、相変わらずトンチンカンなことを言った。
「若いって、いいよなあ」
「…………」
もうチュール城が見えてきた。ダヴィとヌーン軍の戦いは始まったばかりだ。
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