第6話『車いすの軍師』

 フィレスの閑静かんせいな裏路地、細いレンガ造りの家の扉をノックする音が聞こえた。背筋を伸ばした老婆は扉を開け、訪問者の顔を見て目を大きく開いた。


「あら、懐かしい顔ね」


「お久しぶりです、ミセス・ジュール」


 いつかのシャルルのように挨拶したのは、あの時のシャルルと同じ歳の17歳になったダヴィであった。中に通されると、かつての師・マザールがダヴィを待っていた。


「久しぶりといっても、一年は経っていないのう」


「そうですね……状況は大きく変わりましたが」


「うむ」


 マザールは深いしわを歪ませた。椅子に座ったダヴィには、目の前で座る師が小さくなった気がした。


「シャルルとマクシミリアンは死に、ジョルジュは行方知らず……こんなことになるとはな……」


「聖女様はむごい運命を示されました」


「運命と言うべきではない。すべては必然じゃ」


「必然、ですか?」


 マザールは首元が隠れるほど伸びた白い髭を撫でながら、ゆっくりと頷いた。今は亡き、最も優秀な弟子を思い出しながら、しみじみと語る。


「国内の政敵を排除する際に気をつけなければいけないのが、その政敵の周りにいる仲間や部下の存在じゃ。ルイ王子と戦った際には苦労したそうじゃな」


「その通りです。何度も戦い、追いつめ、ようやく勝利を収めました」


 パラン東の決戦。そしてその後の追討戦。宰相のジャック=ネックら大貴族を相手にしてつかんだ、ギリギリの勝利であった。


 しかしながら、あの時、シャルルに味方する貴族はほとんどいなかった。


「なぜでしょうか、先生?」


「それはな、シャルルが凄まじい速さで権力の階段を昇り、今までシャルルを支持してきた民衆や下級貴族たちを置いてけぼりにしたからだろう」


 シャルルは自身の才覚を存分に生かして、宰相位にまで短期間で上りつめた。その結果、民衆から遠く離れた存在になってしまった。その一方で、貴族たちはシャルルの怒涛どとうの出世を内心ねたんだ。むしろ絶対王政の確立のために排除されてきたため、憎悪していたといっていい。


 その結果が、あの暗殺劇であり、民衆が彼のために立ち上がらなかった原因でもある。ダヴィは唇を噛む。


「だったら、シャルル様はどうすれば……」


「…………」


 マザールはそれに答えず、ダヴィの苦々しい表情を眺めていた。


 しばらく後、マザールは口を開いた。


「ところで、お前さんの後ろには、もっと機嫌の悪そうなお嬢さんたちがいるが、どうしたのじゃ?」


 ダヴィは座ったまま振り返ると、憮然ぶぜんとした表情を浮かべるルツとオリアナがいた。2人とも自慢の茶色い髪が乱れている。


 ルツはマザールに声をかけられ、ようやく不満を爆発させた。


「ひどいのですよ!お父様ったら!」


「お母様もひどい……」


「ほう?なにかあったようだのう」


 ダヴィは「まあまあ」と妹たちをなだめながら、マザールに向き直る。


「先生、実はそのことでご相談に伺ったのです」


 ――*――


 ダヴィは応接間に通されて、父・イサイの目の前に座った。妹たちがその隣に座ろうとする。


「あなたたちはこちらにいらっしゃい」


「えー、私たちもお兄様と一緒にいたいですわ」


「私たちは……ずっと一緒……」


と抵抗する2人を引っ張り、義母のミーシャが一緒に部屋を出ていった。


 その去り際、ミーシャはダヴィを一瞥いちべつする。


「……あんな男のこと、兄と呼ぶんじゃありません……」


「えっ」


 ダヴィの後ろに立つジャンヌが、彼女の言葉を聞いて眉間をしかめた。一族全体が家族のような場所で育った遊牧民出身の彼女にとって、家族から嫌われることが信じられないのだ。


 ミーシャたちが去った後、イサイは咳払いをして、ダヴィに向き直る。


「すまない。ミーシャが変なことを言った」


「いえ、いいのです。僕はこの家の人間ではありませんから」


とダヴィが断言したことに、イサイは視線を落とす。ダヴィが幼い頃に奴隷として売り払ったことに、後ろめたさを今でも感じているのだろう。


 ところで、とイサイは話を変えた。


「お前たちをかくまうことは出来ない」


 唐突な言葉に、ジャンヌたち4人は顔を見合わせた。代表して、ダヴィが質問する。


「……それは、なぜですか?」


「祭司庁を通じて、お前たちの捕縛命令が出ている。よほど、ウォーター国はお前たちを捕まえたいのだろうな」


 先日の大戦でウォーター国は大敗北をきっした。しかし仲裁に入った祭司庁との関係は深まった。その結果、祭司庁のネットワークを通じて、シャルル派の掃討命令が広がったのである。祭司庁にも納品しているイサイとしては、無視することが出来ない命令である。


「僕たちのことを密告するつもりですか」


「……いや、それはしない。痛くない腹を探られることになる」


 よどみなく言ったイサイのことを、ダヴィはとりあえず信じることにした。確かに、犯罪者の父親としては、無用な詮索を受けないように、無視するに限るのであろう。


 それに、とイサイは言う。


「クロス国で隠れるのは容易だ」


「なぜですか?」


「毎日異国人が出入りしている国だ。祭司庁とて、統治している教皇領以外では、民衆を把握することが出来ないだろう」


 交易商人の出入りが激しいクロス国では、人口の把握が難しい。ひとまずは安心して良いだろう。


「お前がサーカスをしようと、なにをしようと、当方は一向に構わない。自由にするといい」


「お言葉ですが、ここに来たのは挨拶だけではありません。頼みがあってきました」


「む?」


 イサイは丸メガネを光らせた。ダヴィはその顔を真正面に見つつ、父親に依頼する。


「情報をいただきたい」


「情報?」


「この国の北方で、困っている民衆がいる地域を教えていただきたい」


「困っているとは?」


「政治に不満がある、という意味です」


 ダヴィは聖女の教え通り、旗揚げのために、クロス国の北部を調べようとしていた。イサイは腕を組み、しばらく考えた後、言った。


「……それは出来ない」


「どうして?!」


「情報とは、商人が最も大事にするものの1つだ。それを理由も知らずに伝えれば、信頼を失うことになる」


 ダヴィは顔をしかめた。ここで理由を話すわけにもいかない。まだそこまでは、イサイのことを信用していない。


 後ろにいたジャンヌが憤慨ふんがいした。太い三つ編みが飛び跳ねる。


「なにさ!父親なんだから、協力してくれてもいいじゃないか!」


「ジャンヌ、黙っていてくれ」


「いいや、こいつはひでえや。久しぶりに会った息子に『匿えない』だの『協力しない』だの、そりゃねえや」


「そうだそうだ!」


 ライルとスコットも怒る。収拾がつかなくなってきたところで、ダヴィは立ちあがった。静観していた力持ちのアキレスに頼む。


「アキレス!3人を連れて出よう!」


「分かりました!」


「失礼します!」


 ダヴィたちはあわただしく出ていった。残されたイサイは1人、メガネを引きながら呟いた。


「……まだ、お前を息子と、思っていいものだろうか……」


 ――*――


 それから、怒りが収まらないジャンヌたちを置いて、ダヴィはマザールのもとに相談に来たのだった。ところが、イサイとの話を盗み聞いていた妹たちが、ダヴィについてきて、不満を爆発させていた。


「お兄様にあんなことを言うなんて信じられませんわ!」


「お父様の、けち……」


「それは困ったのう」


 顔を真っ赤にして怒る妹たちの隣で、ダヴィは頬をかいていた。複雑な政局にもまれた彼は、商人としての立場を守らないといけない父の立場も分かる。その中で、感情をむき出しにする妹たちの姿が、自分を代弁しているようで困るのだ。


 マザールは冷静にルツとオリアナの話を聞いていた。椅子の手もたれをトントンと指でたたく。


 その時、部屋の扉を叩く音が聞こえた。


「先生、お呼びでしょうか」


「おお!ちょうどいいところに来た。入りなさい」


 扉がゆっくりと開く。キコキコという音と共に、低い影が入ってきた。


「車イス?」


「帽子……?」


 入ってきた少年は車いすに座り、室内と言うのに青いキャスケットをかぶっていた。彼が立ち上がったとしても、妹たちよりも低い背丈だろう。


 車輪を回して近づいてきた彼は、マザールの隣に来るとお辞儀をした。


「はじめまして。あなたは……」


「ダヴィ=イスルだ。先生の元教え子だよ」


「えっ、あなたがダヴィ将軍?!」


 彼はマザールの方に驚きの顔を見せた。マザールは頷き、ダヴィの言葉を肯定する。


 彼は幼さが残る顔に、笑みを浮かべた。


「お会いするのを楽しみにしておりました、ダヴィ将軍」


「ちょっと、自分も名乗りなさいよ。それに帽子を取りなさい」


と言ったルツに、彼は目を丸くする。


「おや?この街で私のことを知らない人がいるなんて」


 帽子を脱いで、少年は大人びた言葉遣いで名乗った。


「ジョムニ=ロイドと申します。マザール=ジュール先生の一番弟子にして、この世界で先生に次いで二番目に賢い者でございます」


 『全知の傑物』。彼は後世、こう称えられた。


 ダヴィ王の唯一無二の軍師にして、天下統一へと導いた大陸史上最高の英知は、こうして歴史の表舞台に姿を現し、生涯の主君となるダヴィと握手を交わすのだった。

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