第5話『因縁の地へ』
『……クロス国は禁欲と強欲のカオスである。正円教の本拠地を国内にかかえているために、
フィレスに吹く風は、今日は穏やかだ。漁港に寄せては返る波は小さく、停泊する船の帆は優しく揺れている。冬の匂いを感じ始めさせる空気は冷たく乾燥し、空には雲一つもなかった。
そんな晩秋にさしかかった頃の風に、茶色い三つ編みを揺らすジャンヌは、海を見て驚く。
「ウォーター国の海と違う!随分と濃いよ!」
「本当だな。これじゃあ、底まで全然見えねえじゃねえか」
「すっごい深そう」
ウォーター国出身のライルとスコットも驚きの声をもらす。実はスコットの発言は正しい。
ぼんやりと海を眺めている3人を、槍を持つアキレスが叱る。
「おい!観光に来たわけじゃないんだぞ!」
「分かっているさ。これも敵情視察だよ」
「うるさいな」
口が達者なライルとジャンヌに反論されて、アキレスは口を尖らせた。その隣で、ブーケに乗るダヴィが苦笑する。
「まあまあ、変に緊張しているよりはいいさ」
「でも、だんなは緊張しているね」
「…………」
ダヴィの表情は硬い。前方に広がるフィレスのレンガ造りの街並みを見て、幼いころの思い出がよみがえってくる。
(戻ってきてしまったな)
彼の耳飾りが風に揺れた。
一方で、緊張しているのは彼だけではない。ダヴィの恋人も同じである。
「どうしたのさ。あんたは前にもこの街に来たことがあったじゃないか」
うかない表情で馬車の中に座るトリシャへ、その隣に座るロミーが話しかけた。しかしその事情を知っているようで、ロミーのバンダナの下の表情はニヤニヤとしている。
トリシャはそれに気がついて、ムッと表情を渋らせた。
「今回は違うでしょ。だって、ダヴィの親に会いに行くんだもの」
ダヴィが実家に行くとなると、一緒に挨拶しておきたい。将来の両親になるんだもの、と照れながら考えていた。元々捨て子で、親の顔を知らない彼女にとって、他の人よりも重要なイベントである。
ロミーは、でもね、と忠告する。
「歓迎されるとは思わない方がいいだろうね」
「え?なんで?」
「あたしたちはサーカス団なんだよ。水商売の女なんて、この街でも指折りの貿易商の家柄の人に、好かれるとは思えないのさ」
トリシャは表情を曇らせた。ロミーはそんな彼女の金髪を撫でる。
「しょうがないことでもあるさ。でも、それでも行くんだろ?」
「……うん」
「その気持ちを認めてもらうしかないね。2人の愛ってやつをだよ」
「もう!ロミーったら」
とトリシャはロミーの身体を軽くたたいた。公然と付き合っていても、面と言われると恥ずかしい。トリシャの顔が赤くなる。
そんな彼女の姿を見て、ロミーはクスクスと笑った。しかしその脳内では、他の心配もしている。彼女はダヴィの事情もよく知っているのだ。
(ダヴィ自身が歓迎されないだろうがね)
――*――
サーカス団の宿営地を設置し終え、彼らは目的の場所へと向かった。ダヴィの実家である。
フィレスの街に巡らされた水路の端を通る途中、ジャンヌはダヴィに質問した。彼女には気になることがあった。
「ねえ、ダヴィ。なんでサーカス団のところに自分たちのテントも張ったのさ。実家は案外小さいのかい?」
「そんなことないよ。ほら」
ダヴィは指さす。その先には大きな屋敷があった。
「でっけえ」
「豪華ですね。さすがはフィレス有数の豪商」
まだ1ブロックは向こうにあるはずなのに、その大きな赤い屋根が、家々の向こうに見えていた。スコットとアキレスが素直に驚く。
「じゃあなおさら、ダンナの実家に泊まればいいじゃないですか」
とライルも言う。テントの中の簡易ベッドよりは、豪華な実家のフカフカであろうベッドの方が良いに決まっている。太り気味なライルは特に、固いベッドは腰を痛めるのだ。
しかしダヴィは気まずそうに首を傾ける。
「……行けば分かるかな」
トリシャは連れてこなかった。自分でさえ受け入れられるかどうか、不安で仕方なかったからだ。
重い足取りで進むダヴィを先頭に、彼らは目的の家にたどり着く。ダヴィは門の傍にブーケをつなげ、警備の傭兵と共に門を通り、大きな玄関へと向かう。
その時、いきなり玄関の扉が開き、ドレス姿の女性が飛び出してきた。
「おにーさまー!」
「ルツ?!」
ダヴィの胸元に飛び込んできたのは、茶色のウェーブがかかった髪を振り乱す、妹のルツであった。彼女は兄の首に細腕を巻きつけ、思いっきり抱きしめた。
「心配していましたのよ、お兄様」
「ルツ!はしたないぞ」
「だって、ウォーター国の騒動から一向に連絡をくださいませんもの。やっと手紙が届いたのは、つい先日なのですよ。愛すべき妹を不安がらせたのですから、このくらい我慢してくださいまし」
子犬のように頭をこすりつける彼女は、幼い頃と同じ様子だった。ただ、違ったのはその感触だ。
「ルツ……くっつきすぎだ」
「あら?恥ずかしいのですか、お兄様?うふふ。私も成長したのですわ。たっぷりと堪能してくださいな」
最後に会ったのは一年以上も前だ。その時に比べて、彼女は背が伸び、そして胸のふくらみは厚いドレスの上からも分かるぐらいに大きくなった。ダヴィの顔が赤くなれば赤くなるほど、ルイは調子に乗って体をこすりつける。
その彼女を引きはがす手があった。
「ルツ……やりすぎ……」
「えー?いいじゃないの、これくらい」
とルツは言ったが、もう1人の妹、オリアナが彼女を羽交い絞めにして無理やり離した。茶色のセミロングの髪がキレイに整えられているところを見ると、その身支度で遅れてしまったらしい。
ダヴィはホッと息を吐いて、感謝する。
「オリアナ、助かった」
「今度は私の番」
オリアナがダヴィに抱きつく。ルツと同じように、体を強くこすりつけた。
「お、オリアナ?」
「フフフ……ルツよりも私の方が大きい」
豊満に成長したオリアナの胸が、ダヴィの身体に押し付けられて形を変える。ダヴィの顔がますます赤くなる。その様子に、ルツが頬を膨らませた。
「オリアナ、ズルいですわ!」
「なにやってるのさ、毎回毎回!」
とジャンヌがオリアナをはがした。ライルとスコットは見慣れた様子で肩をすくめたが、初めて彼女たちを見るアキレスは驚いて眺めていた。
その時、玄関の扉が再び開いた。
「ルツ!オリアナ!なにをしてますの?!」
彼女たちとよく似た茶色の髪をたなびかせた、細身の女性が立つ。細い眉が吊り上がっていた。ダヴィは彼女を見て、体が固まる。
「ミーシャさん……」
「来たわね、ダヴィ」
腰に手を当てて、義母・ミーシャはダヴィを睨みつけていた。その彼女の後ろからゆっくりと影が現れた。
「ダヴィか」
こちらはダヴィに似た黒髪をオールバックにして、あごひげを整え、大きなお腹を揺らしている。そして丸メガネをかけ直し、ダヴィを見つめていた。
ダヴィは久しぶりに会った彼に言う。
「おとう……イサイ様」
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