第16話『嵐の前の静けさ』

「戻ってくる気がないかと、思ったよ」


と、シャルルが腕組しながら、帰ってきたダヴィたちを出迎えた。こめかみをピクピクと動かし、言葉尻に険が立つ。


 彼の前で膝をついて頭を下げる三人。その中のライルがダヴィに耳打ちする。


「なんだか、ゴキゲンが悪いようですね」


「ああ」


 シャルルの鋭い視線がダヴィを射抜く。ダヴィは視線をそらしながら、肩を縮こませた。


 夏も近いというのに、応接間に冷たい空気が流れる。


 この雰囲気を壊したのは、北の草原から来た風だった。


「なんだい、なんだい。ダヴィが尊敬している素晴らしい人だって聞いていたけど、いきなり怒ってばっかりじゃないか。理由ぐらい言いなよ!」


「こら、ジャンヌ!」


「君は、誰だい?」


 立ったまま文句を言ってくる少女に、シャルルは興味を示した。彼女も彼に負けず劣らず、腕組をしてふんぞり返って、自分の名前を言った。


「あたいはジャンヌ=バクス。誇り高き草原の民の一族さ」


「では、ジャンヌとやら。この方をどなたと心得ているのだ。その態度はなんだ!?」


 シャルルの隣にいたモランが丸坊主の強面の顔を赤くして、ジャンヌを叱り飛ばした。


 大人でも震え上がる迫力。ところが、彼女はフンと鼻を鳴らした。


「あたいはね、すごいと思った人にしか頭を下げたくないのさ。あんたが国王だろうが、教皇だろうが、知ったこっちゃないね。あたいに弓で勝ったら、土下座でもなんでもしてやるさ」


「フ、ハハハハハ!」


 今までしかめ面をしていたシャルルが、噴き出すように笑い始めた。モランやダヴィたちは唖然あぜんとしてそれを見ている。


「負けたよ、ダヴィ。こんな隠しだねを持ってくるなんて、聞いていないよ」


「はあ」


 シャルルはジャンヌに近づく。金色の髪から漂う花のような香りが、近づいてくる。初めて会う王子という人種に、ジャンヌは動揺しつつも、平然さを装う。


「……匂いは、いいかもね」


「ありがとう。ダヴィをよろしく」


 彼は優しく彼女の手を握った。ジャンヌは思わず顔を赤らめるが、次の瞬間には振り払った。


「なにすんのさ!」


「まったく、盗賊の次は、異教徒か。君の部下は色とりどりだね」


 シャルルは怒るジャンヌを無視して、今度はダヴィに近づいた。まだ膝を地面につけたままの彼の前に立つ。


「ソイル国でも活躍したと聞いたよ。あの女王に口説かれて帰ってこないかと思ったけど、よく戻ってくれた。頑張ったな」


 大きな手で黒髪を撫でられる。まるで子供のように。


 今年でもう十六歳になる。こそばゆい気持ちになりながらも、心が喜ぶ。


 ダヴィにとって、ロミーよりも女王よりも誰よりも、彼に褒めてくれるのが一番嬉しかった。


 子犬のように、だらしない顔で撫でられている。その顔を見て、ジャンヌは顔をしかめて言ってやった。


「あーあ、こんな様子、トリシャには見せられないね」


「トリシャ? あのサーカス団の女の子かい?」


「ああ、そうさ。ダヴィの恋人になったやつだよ」


「ふーん……」


 シャルルの目が細くなり、再び怖くなる。頭の撫で方も雑になる。ダヴィはなんだか冷や汗が出そうだった。


 その時、応接室の扉を開けて、入ってくる足音が聞こえてきた。


「あなた、いじめるのはそこまでになさいまし」


 茶色の長い髪を左肩の上で束ね、丸い顔を微笑ませながら、少々ふくよかな女性が入ってきた。


 シャルルは彼女を振り返ると、頭をかきながら言い訳する。


「いじめてはいないさ。ただ、報告を聞いていただけだよ」


「圧力を加えるような聞き方をしておられるのですよ。そんなこと、分かっていらっしゃるでしょうに」


「まいったな」


 彼を御するような物言いに、ダヴィたちはポカンとしてしまった。何者なんだ、この女性は。


 そんな様子を見て、噂の彼女はシャルルに耳打ちする。シャルルは「あっ」と気づいて、彼らに振り返った。


「紹介していなかったな。彼女は俺の妻、カトリーナだ」


「初めまして。よろしく、ダヴィ=イスル」


「よ、よろしくお願いします」


 ソイル王家の出身だと聞いていた。それに、年齢はまだ19歳だとも聞いている。ところが彼女の振舞いは異国に来たばかりとは思わせず、堂々とした立ち振る舞いであった。


 廊下からバタバタと走ってくる音が聞こえてくる。モランの妻・エトーレが血相を欠いて、太い三つ編みを振り回しながら入ってくる。


「奥さま、こんなとこにいらして!今が大事な時なのですよ!」


「でも、シャルルがいつも気にかけているダヴィに会いたかったのよ。このくらいいいでしょう」


「いけません! さあ、部屋にお戻りを!」


 エトーレの勢いに負けて、彼女はゆっくりと部屋を出ていった。彼女は一礼して部屋を出て行った後、シャルルは「実は」と口を開く。


「先々週、俺の子どもを妊娠していることが分かったのだ」


「え! おめでとうございます!」


「子どもは神からの授かりものと言うが、まさかこんなに早くもうけるとはね」


 確かに、昨年までは全くそんな雰囲気を感じ取れなかった。シャルルは軍服をつけていることが多く、騎士たちが多く出入りするこの屋敷は、男くささが漂っていた。


 ところが、彼女の登場で空気が一変してしまった。温かい家庭のにおいがする。


 モランがダヴィに耳打ちする。


「カトリーナ様には我々も感謝しているのだ。お前がソイル国に行ってから、シャルル様は機嫌が悪いことが多くてな。そんなシャルル様の会話相手になっていたのがカトリーナ様なのだ」


「穏やかで、聡明そうな方です」


「その通りだ。シャルル様とも馬が合ってな。まあ、その仲が良い結果が、子が出来たということだ」


 ゴホンとシャルルが咳払いをする。どうやら聞こえていたらしい。


 ともかく、とシャルルは話題を変える。


「君に帰ってきたのは、察してくれているだろう。ルイとの決戦が近いのだ」


「決戦……」


「そうだ。俺もあいつも水面下ではすでに戦いは始まっている。フォルム国との戦いからな」


 フォルム国への侵攻に失敗した結果、ルイの名声はガタッと落ちた。その代わりに上がってきたのがシャルルの名声である。数で劣っているにもかかわらず、見事に完勝した。さらには義勇軍を率いてダヴィたちを救出した。当然の結果である。


 以前まではシャルルの勢力は、ルイの勢力と比較にならないほど、小さかった。ところがその結果を受けて、特に新興貴族たちがシャルルの陣営に加わりつつある。ルイの勢力に追いすがる位置までたどり着いたのだ。


 ルイ側も対策を講じてきた。その結果が、今年の年初から続く嫌がらせと派閥固めである。


「ルイとネック公は東側の大貴族を中心に支持を固めつつある。俺たちは西側の貴族を固めようと、アルマを中心に動いている」


 国が二分されようとしている。彼らの動きが極まった時に、発生するのは、内乱だ。


 負けるわけにはいかない。シャルルは次の策も用意していた。


「国内の貴族の取り組みだけでは、奴らに先行の利がある。そこで、俺は国外に目を向ける」


「シャルル王子と私はソイル国とフォルム国に行き、支持を集める。お前とは入れ違いになるがな」


 モランが自信ありげに笑う。シャルルはソイル家から奥さんを貰った。さらに先の戦いではレオポルトの首を渡して、ファルム国に恩を売っている。協力してくれる可能性は高い。


 では、ダヴィは何をするのだろうか。シャルルが指示を出す。


「ダヴィはマクシミリアンとジョルジュと一緒に、俺の直轄地の運営を頼みたい。兵士の訓練もだ」


「僕たちだけでですか?」


「マザール先生に指導役についてもらう。安心してくれ」


 ダヴィは立ち上がった。経験はなかったが、マザールが指導してくれるなら大丈夫だろう。


 モランが強面をさらに怖くして言う。


「分かっているだろうが、シャルル様の軍が全軍の中心となる。その鍛錬次第で戦局が変わると言っていい。責任重大だぞ」


 責任。そう言われても、もはやダヴィは怖気づかなかった。むしろ、そのような重要なことを任じられて、気分が高揚する。


 シャルルが再び口を開く。


「この一年だ。この一年が正念場だ」


 自分の運命はもちろん、部下や、妻や生まれてくる子供の運命も、そしてこの国の運命も、この一年で決まる。


 シャルルは拳に力を込める。彼の目は未来を見据えていた。


「俺はやつに勝つ! 俺についてきてくれ!」


「はい!」


 嵐は必ず来る。その前の準備ですべてが決まる。


 日差しが強くなる晩春の晴れた日、ダヴィは浮かぶ薄雲の先に、大きな黒い積乱雲を感じていた。

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