第45話『託された想い』

「……ライル、ジャンヌ、なにを言っているんだ……」


 ダヴィはうなだれるライルとジャンヌに、弱々しい声で尋ねる。


 冬の薄い青色の空の下、巡察中のことである。


 街道で多くの兵士が集まっている。ダヴィに同行していたアキレスもスコットも彼らを取り囲んでいた。皆、一様に言葉を失っている。


 ダヴィは激怒した。彼の言葉を打ち消すように、叫ぶ。


「言っていい冗談があるだろう!ふざけるな!」


「ダンナ、本当なんです!さっき首都から報告が来て」


 ライルはダヴィに負けないように叫んだ。


「シャルル様が殺されたんです!」


 ジャンヌも頷いて同意する。以前からシャルルが張り巡らしていた情報網という確かな筋からの報告であった。


 アキレスは彼らに問いただす。


「父上は……兄上は!どうなった!?」


「そ、それはまだ分かんねえ。これから続報が来るかもしれない」


「誤報だ」


 ライルの会話をさえぎり、ダヴィが断言する。そうでないとおかしい。ありえない。


「これはヌーン国の策謀に違いない。この情報を流して、僕たちが帰国するのを狙っているんだ」


 皆も彼の言葉を信じたい。その言葉に根拠がないことはうすうす分かっているが、ダヴィの言うことを鵜呑みにする。


「それで、どうするんだい?」


「ヌーン国の動向をさらに調べる。その結果が出るまでここに留まろう」


 それが正しい。間違いない。急報を信じていたライルたちもダヴィの意見に頷く。


 すぐに行動しなければならない。ダヴィは巡察を中止する。


「早く城に戻るぞ!」


「だんなあ、誰か来た」


 スコットが指をさす。騎馬が一騎、走ってきていた。


 騎馬はダヴィの前まで来る。汗だくの腕の中に灰色の包みを持っていた。


「アルマ様からの贈り物を届けに来ました」


「アルマ様から……」


 嫌な予感がする。このタイミングで何を贈られたのだろう。


 ダヴィはその灰色の包みを解いた。それはモノではなかった。


 あー、ぶー、と可愛い声が出てきた。


「エラ様……?」


 目をくりくりと動かすエラが、ダヴィの顔をじっと見ていた。


 ――*――


 シャルルの屋敷の応接間は、重苦しい空気に包まれていた。初老の男性を迎えるカトリーナとモランの妻・エトーレが視線を鋭くしていた。


 彼の話を一通り聞いて、カトリーナが口を開く。


「アルマ様、それではシャルル様は亡くなったのですね。あなたたちに裏切られ、反逆者として殺されたと」


「……はい」


 アルマは彼女たちの目を見れない。ここに来たのは贖罪のためだ。


 エトーレが彼の首襟を両手でつかみ、つめ寄る。


「旦那は?!マクシミリアンは、どうしたの?!」


「…………」


 アルマは沈黙してうつむく。それが、答えだ。


「そんな……」


 エトーレの手の力が弱まる。普段は肝が太く、家族やカトリーナを支える彼女だが、膝から崩れ落ちてしまう。


 カトリーナは冷静だ。動揺を抑えて、彼に尋ねる。


「それで、なにをしに来たのですか。謝罪だけではないでしょう」


「……もうすぐ、ここにも王軍が来るでしょう。誰も逃さないはずです」


 アルマはすっかり白髪が増えた頭を下げる。


「退路は確保しております。どうか、お逃げ頂きたい」


 カトリーナは迷いなく首を振った。


「私はシャルル様の妻です。夫と運命を共にします」


「奥様!」


「しかし、娘は何も知らずに不憫です。彼女だけ逃がしてもらいましょうか」


 カトリーナは部屋の端のゆりかごで寝ている娘を見た。母親として、彼女だけは守らないといけない。


 しかしエトーレが大反対する。


「いけません!こんな男を信用しては!娘を殺されるからと脅されたといっても、この男もシャルル様を殺した張本人ですよ!あたしの旦那も、マクシミリアンも……」


 そこまで言って、エトーレはわっと泣き出した。自分の家族が殺された事実がどうしても受け入れられない。


 カトリーナは彼女の背をさすりながら、アルマに尋ねる。


「エラをどうするつもりですか?あなたが預かるのですか」


「いえ、ダヴィにお預けします」


「ダヴィ……」


 唯一残っている夫の味方、一番期待していた彼の名を聞いて、カトリーナは決めた。


「預けます」


「奥様、信じるのですか?!」


「ここにいても殺されるだけでしょう。可能性のある方に賭けます。たとえ、敵に頼るとしても……」


 カトリーナはアルマに向き直る。


「アルマ=リシュ」


「はっ」


「あなたがここに来たのは、夫に同情する気持ちがかけらでもあったからだと思います。願わくば、その想いが継続し、娘をお助けいただきますように」


「……信じていただけないと思いますが、必ずや」


 カトリーナは一片の手紙を書き、それと共にエラを渡す。アルマの手に入った眠る娘の額に最後のキスをした。


「エラ、強く生きなさい」


 アルマは黙ってお辞儀をすると、エラと共に部屋を出ていった。後に残った2人はずっと扉を見つめていた。


 やがて、外から大勢の人の声が聞こえてきた。きっと王軍だ。


「エトーレ、お逃げなさい」


「奥様。あたしが一緒に行かないと、誰が世話をするのですか。それに旦那たちも待っているだろうし」


 バカね、とカトリーナは微笑みかける。エトーレも微笑み返した。


 覚悟は決まった。


「準備しましょうか」


 シャルルの屋敷を大勢の兵士たちが取り囲み、先頭に立つ指揮官が呼びかける。


「降伏しろ!反逆者のシャルルは死んだ!大人しく出てこい!」


 答えはない。屋敷は静まり返っている。指揮官と兵士たちはゆっくりと屋敷の玄関に近づいていく。


 その時、窓から黒煙が吹きだした。屋敷の西側から火の手が上がる。


「い、いかん!」


 兵士たちは玄関扉を打ち破り、中へ入っていく。大勢いた給仕たちはすでに逃げており、屋敷は空だ。彼らは抵抗なく火のもとへ急ぐ。


 屋敷の一角、特に奥の部屋が燃えていた。もう入ることが出来ないほど、火の勢いが強い。


「消せ!消せ!」


 その部屋の中では、2人の女性が椅子に座って眠っていた。もう起きることはない。手から零れ落ちた毒の瓶が、火が上がる絨毯に転がっている。


 2人は手を組んでいた。恐らく祈ったのだろう。1人は娘のことを、もう1人は残った息子のことを、その明るい未来を祈った。


 自分たちでは叶えられなかった幸せを、つかんでくれることを切に願うのだ。


 ――*――


 エラを確認して、ダヴィは確信した。他の人々も同じだろう。誰もがこの事態に思考が停止する。


 エラの胸元には、小さな手紙が添えられていた。それを取って、ダヴィは読む。短い文だった。


『娘を、お願いします』


「カトリーナ様……!」


 ダヴィの目から大粒の涙が零れだす。何も知らないエラがそれを不思議そうに見ていた。


 他の者たちも泣き出す。ジャンヌも、ライルも、スコットも、シャルルとカトリーナの非業の運命を察する。


 その一方で、アキレスは泣きながら激怒していた。彼もまた、父と兄、そして母の死を予想していた。


「弔い合戦です!ダヴィ様!」


 ダヴィが顔を上げる。彼の目に殺意がわいていた。アキレスはその目を見て、彼も同意見であることを察した。


 アキレスは重ねて言う。


「シャルル様たちを殺した敵に一矢報いましょう!たとえ勝てなくても、敵の鼻をあかしましょう!」


 味方は皆無。勝てる見込みはない。


 しかし、やらなければ気持ちが収まらない。血が沸騰するようなこの怒りを、大好きだった人を殺された悲しみを、やつらにぶつけなければ、人としておかしいとすら思った。


「やろう!ダヴィ!」


 ジャンヌも賛成する。ライルとスコットも大きく頷く。ダヴィは決めた。


「シャルル様を殺した王を倒しに行く!いくぞ!」


「…………そ、それは……」


 ダヴィたちは驚いて振り返った。1人の兵士が、他の兵士たちと一緒に、不安な表情をしていた。


「王様に逆らうのは、ダメじゃないですかねえ……」


 アキレスが怒り、その兵士の首襟をつかむ。その身体ごと持ち上げるぐらいに、力が入る。


「貴様!シャルル様の恩を忘れたか!?」


「シ、シャルル様は好きだったけど、王様に逆らって良いことなんか無いんじゃ……!」


「確かになあ、王様に逆らうなんて、そんな罰当たりなことはあるめえ」


 周りの兵士からもそんな意見が出てくる。アキレスは唖然として、その力を緩めた。怒られていた兵士が地面に転がる。


 兵士たちの会話の声が大きくなる。口々に、反対の意見が飛び出してくる。その中で、聞き捨てならない意見が聞こえてきた。


「いつも通りの貴族様の権力争いだろ?俺たちには関係ないべ」


「なっ」


 ダヴィは言葉を失う。徴兵されてきた農民たちの本音に、信じていた常識が覆る。


 彼らはシャルルを慕っていた。それは間違いない。しかし、その前提にあるのが“血の尊貴性”である。王族だから尊敬する。だから、王子よりも偉い王には余計に逆らえない。


 そして彼らとは、貴族と王族の世界はかけ離れていた。自分たちの頭の上を通り過ぎる、別世界の出来事のように感じている。


 その点、ダヴィは貴族にかかわりすぎた。庶民と一緒と思っていた彼の考えは、貴族たちに染まっていた。だからこそ、ここで反対されるとは、思いもよらなかった。


「ダンナ……これは……」


「…………」


 ライルの言うことは分かる。復讐しようとも、ついてくる兵士がいなければ無駄死にだ。


 ダヴィは唇を噛む。強く噛みすぎて、血がにじんできた。


「身を隠す」


 ダヴィは言った。ここで簡単に死ぬわけにはいかない。殉死もできない。胸の中で抱いているエラを残して、死ぬわけにはいかない。


 アキレスたちは泣いた。今度は何もできないことへの、悔し涙だ。


 動揺する周りの兵士たちに向かって、ダヴィは言う。


「すぐに僕たちの後任が来るはずだ。君たちは気にすることなく、その者に従えばいい」


「ダヴィ様……」


 さすがにダヴィたちが哀れだ。兵士たちはこの期に及んでだが、同情する。ダヴィは精一杯笑った。


「安心してくれ。僕たちは生きる。生き残ってやるんだ。シャルル様が思い描いた理想を、成し遂げるまでは」

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