第7話『草原の罠』
枯れた草原に、一陣の風が吹く。
この風が、ジャンヌは好きだった。身を切られるような容赦のない冷たい風。それに耐えられることこそ、この草原に立つ資格があるのだと信じている。
夜の闇に、自分の吐く息だけが温かさをもたらしてくれる。恐らく白くなっているのだろうが、それを確認する明かりもない。
百頭を超す騎兵が、道なき道を行く。人を殺しに行く。
「ジャンヌ」
暗い影が声を出した。暗い影が顔を上げる。
「寒くないか」
気遣ったのか。心配したのか。父親からかけられた言葉が、無性に腹が立つ。自分に資格がないと言っているのではないか。
彼女は肌を泡立てながら、父親に言い放つ。彼女の三つ編みを包んだバンダナが風に揺れる。
「敵を
彼女の物言いに、周囲から笑い声がもれる。父親の影も小さく揺れていた。
「しっかりとついてこい」
自分よりも大きい影。それらに取り囲まれているが、彼らに負ける気はしなかった。
自分こそ、この草原をよく知っている。
(私はこの草原に愛されている)
背中に備えた弓が、大きくなった気がする。自分がここにいる意味を表すように。
――*――
この草原で生き残るために必要なスキルがある。それは夜目の良さである。まったく光のない闇夜でも危険を見通せなければ、
月夜に照らされたこの夜は、バクス族にとって真昼に等しい。道路上に止められた荷馬車がしっかりと確認できた。
辺りにはいくつものテントが設営されている。もう寝静まったのだろう。焚火の跡からは白い煙が細く上がっている。荷台から離された馬たちも一か所に集められている。
(愚かな)
ロレックはそう感じるとともに、短い髭を歪ませて思わず笑いかけた。普段は発見されにくいように南の国境付近で襲撃を重ねているが、ここまで北上してきたかいがあった。この辺りには我々の情報は流れていないと見える。
(それも今日までだ。我々の名がこの国中に轟くことになる)
ロレックは
その瞬間、バクス族は一斉に動き始めた。声を上げずに、眼に殺気を籠らせて、テントに向かっていく。
先陣を切ったバクス族の兵士が馬から飛び降りてテントを切り裂いた。
「いない!」
「なんだと?」
「こっちもだ!」
テントの中はもぬけの殻だった。人がいた形跡もない。
しまった、とロレックが思ったその時、襲撃した側とは馬車を挟んで反対側から、光る線が荷台に突き刺さる。
荷台がごうごうと燃え始めた。20台の荷台が一斉に闇夜を照らす光となる。
「お父ちゃん!」
「ジャンヌ、罠だ! 全員、逃げるぞ!」
光のそばにいれば、格好の的になる。バクス族は一斉に南へ馬首を向けて駆け出した。
ジャンヌは何度も舌打ちをする。
(きたないマネを! ソイル軍め、よくも!)
何本もの矢が彼らの脇をかすめていく。その間をすり抜けるように、彼らの馬は風のように消えていった。
この時、彼らは気が付くべきだったろう。飛んでくる矢の少なさに。
彼らは1キロほど走った。枯草がたまった場所にたどり着き、彼らの心に安どの気持ちがわき出してくる。
その時だった。彼らから“地面が消えた”。
「うわああああ!」
「ジャンヌ!」
ロレックの声がむなしく聞こえる中で、ジャンヌは穴へと落ちた。愛馬と一緒に小さな穴へ落とされ、体に衝撃が走る。おもわずうめき声を漏らした。
「うう……」
「ジャンヌ! くそっ!」
穴の外から怒号と金属がぶつかり合う音が聞こえてくる。攻撃を受けている。ジャンヌは痛みに耐えながらも、穴の中から想像がついた。
彼女は体を動かして脱出しようとする。お父ちゃんたちにはあたしの弓が必要だ。早く戦わないと!
しかし愛馬が邪魔で、身動きがとれない。馬も体を必死に動かそうとして、お互いがお互いを妨害する。焦れば焦るほど、砂の中に手足を取られる。首を動かすあまり、バンダナが穴の暗がりに落ちた。
「クソッ! クソッ!」
やがて外から音がしなくなった。ジャンヌが耳を澄ませていると、風の中からロレックの声が聞こえてくる。
「……バクス族の者よ。我々はソイル軍に捕えられた。勝ち目はなくなった。降伏する」
(なんでだよ、バカ父ちゃん!)
叫びかけたところで、ソイル軍の兵士と思われる声が聞こえてきた。
「今から穴に落ちた者を助ける。生きている者は声を上げよ」
ジャンヌは息を殺した。暴れる愛馬を優しく撫でて、なだめていく。ここで発見されれば、殺されるかも知れない。彼女はバレないように目をつむった。
冷たい土の中で、汗が肌ににじんでくる。
時間を置かずに、彼女がいる穴に松明の明かりが照らされた。彼女は草原の神に祈った。
もしこの穴を覗いた兵士が一般の農民出身だったら、彼女の演技に気が付かなかったに違いない。ところが、この兵士は馬をよく知る者だった。
ダヴィは穴に落ちた馬が落ち着きすぎていると気が付いた。
「君、生きているでしょ」
「…………」
「死んだふりをしているなら、仕方ない。槍を持ってきて君を突こう」
「……チッ、分かったよ!」
彼女は弓や剣を捨てて、穴から這い上がった。ダヴィは右手を差し出す。
「さあ」
「……ふん!」
自力で登り切れず、仕方なくその手を握った。暖かい手だった。
「よっと! うわっ」
「きゃ!」
勢いあまって、ジャンヌはダヴィの胸に突っ込み、2人は重なって倒れてしまう。ジャンヌは恥ずかしさと情けなさで顔を真っ赤にして、彼を突き飛ばしながら立ち上がった。
その彼女の太い三つ編みが垂れる首元に、後ろから剣が伸びてきた。
「お前がバクス族族長の娘だな」
心臓にずしりと届く重たい声。そして全く微動だにしない剣先に、彼女は思わず息を飲んだ。
「ハワード=トーマス! 娘に手を出すな!」
(こいつが!?)
ロレックの悲鳴のような言葉に、ジャンヌは理解した。自分の後ろにいる人物は、この国随一の戦士、『風の騎士団』団長・ハワード=トーマスなのだと。父親が素直に降伏した理由も分かる。この国で『風の騎士団』に勝てる部族はいない。
震えそうな体を抑え込んでいた彼女の後ろから、また重い声が聞こえてくる。
「手を後ろで組め」
彼女はおとなしく後ろで手を組んだ。先ほど引き上げてくれたダヴィが、彼女の手を縛りながら伝える。
「怖がらなくていい。少しの辛抱だから」
優しい言葉に意図せず、すがりかける。彼女は首を振る。
(こいつらは敵だ。あたしたちは殺されるんだ!)
手を後ろで縛られたバクス族が、冷たい地面に座らされる。全員目を伏せていた。
捕らえられた異教徒は良くて奴隷にされるか、多くの場合見せしめに処刑される。彼女を始め、捕えられたバクス族は全員生を諦めている。
彼らの前に2人兵士が立った。ハワードとダヴィである。
「数人死なせたか」
「可哀そうなことをした」
他人事のような感想に、ジャンヌはカッと逆上した。
「あんたらのせいじゃないか! 殺した本人が何を言っているんだい!」
「ジャンヌ! よせ!」
「あたいらの仲間を殺しといて、なにさ! 死んでも恨んでやる!」
彼女の前にいるハワードとダヴィは黙って見ていた。ダヴィは何も言い訳せずに、彼女たちに命ずる。
「君たちにはこれからアンナ女王に仕えてもらう」
「はあ?」
「
ハワードはロレックに強圧的に尋ねる。
「どうする? 死か、生か?」
「…………奴隷ではないのですか」
「貴様の解釈に任せる」
ロレックは
そして彼は深々と頭を下げた。
「女王様にお仕えします」
「お父ちゃん!」
「なにとぞ、寛容なご対応を」
ハワードとダヴィは頷き、彼の降伏を受け入れた。後ろに並ぶバクス族も頭を下げる。
頭を下げないのは、彼女だけだった。
(いつか、いつか復讐してやる!)
空が白んできた。淡い光の中で、ダヴィの影が映し出される。小さな顔に、大きな輪が耳からぶら下がっていた。
(変なやつめ)
彼女が運命を共にすることになる彼の姿を、始めて認識した。憎しみと共にその顔を見た時、彼の表情は悲しげに遠くを見ていたことを、彼女は数十年後も覚えていた。
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