第17話『気晴らしの決闘』
翌日もよく晴れた。秋風は草原を撫でる。兎は
黒い肌の大男が、その騎士を出迎えた。どうだ、と言わんばかりに、視線を向ける。
「誰も潜んでいなかった。心配ない」
とアキレスが馬から降りながら答えた。彼は会談を行うこの草原をぐるりと駆けまわり、ダヴィを害する者がいないと確認したのだ。
一方で騎乗が苦手なノイは、ここで待機していた。彼の周りでは、ハリス軍の兵士たちが荷物を移動したり、草を刈って広場を広げていた。
「何をしているんだ?」
ノイは首をひねった。彼の
「なんでも準備しているとか」
「何の準備だ?」
そのアキレスたちの下に、マリアンが近寄ってきた。
「お二人にお喜び申し上げます」
「喜び? どういうことだ」
「わが主、ハリス様が手合わせして頂けるとのことです」
アキレスとノイが顔を見合わせる。そんな要望を出した覚えはない。しかしマリアンは彼らのキョトンとした表情を無視して、そばかすが付いた顔で微笑む。
「名誉あることです。さあ、即席の闘技場へ!」
「そんなことを急に言われても」
「アキレスさん、受けましょう」
アキレスが下を向くと、ジョムニが車いすを近づけて、彼の傍まで来ていた。ジョムニは青い帽子の下の耳を指で叩く。アキレスはそれに応じて、彼に顔を近づけた。ぼそぼそと尋ねる。
「どういうことだ」
「ハリスが昨日の会談が不首尾に終わったので、その機嫌直しをしたいそうです」
「それに、俺たちがなぜ付き合う」
「これは余興。本気の決闘ではありません。これを機会に、彼の実力を確認しましょう」
「うむ……」
アキレスは口をへの字に曲げつつも頷いた。そしてその様子を見たノイも、ゆっくりと頭を縦に振る。マリアンは再び微笑んだ。
「武器はこちらで用意しております。さあ、こちらへ」
三人がマリアンの後について行くと、草がむしられて、土が露出した円形の舞台が用意されていた。そこに、ハリスが木剣を素振りしながら待っていた。
その後ろでは、ペトロが無表情で腕を組んでいる。マリアンが傍に寄る。
「あなた、ソイル国のあの武将を連れてくるんじゃなかったのですか?」
「ハワードは断った。『女王陛下の許可が得られない』とさ」
「なんとまあ、礼儀を知らないこと。ハリス様がお誘いしたのに」
土の舞台に入る前に、アキレスとノイには木剣が渡された。強く叩けば、人ひとりは殺せるだろう。
「かかってこい!」
とハリスが気合が入った声で呼びかける。気が乗らないアキレスが重い足取りで、ハリスの正面に立った。
ハリスは緊張しつつも軽口をたたく。
「二人同時で良かったんだぞ」
「ご冗談を」
とアキレスがさらりと言った言葉に、ハリスの表情が変わった。眉間にしわを寄せて、木剣を握る手に力が入る。青い瞳に赤い怒りが差した。
(おや、これぐらいで怒ったか)
年頃は同じようだが、戦場に立った経験が違う。アキレスは余裕を持って、剣を構える。
ペトロが大きな声で告げた。
「これより、ハリス様が直々にお手合わせされる。始め!」
「フッ」
ハリスが一直線に、アキレスに襲いかかる。その動きを見て、アキレスは驚いた。
(無駄がない。素早い!)
全身の筋肉を余すことなく動かし、前方へ大跳躍を見せる。瞬きする間もなく、アキレスとの距離を詰める。そして油断していた彼の顔面へと、木剣を殴りつける。
辛うじて、アキレスは自分の木剣で攻撃を弾いた。しかしハリスの攻撃は続く。アキレスは奥歯を噛みしめて、身体を固くして木剣で防ぐ。押され続け、あっという間に土間の際に追い詰められる。
アキレスの焦った顔を、ジョムニは久しぶりに見た。
(眉唾かと思っていましたが、ハリスの実力は本物ですか……)
「…………」
ノイは腕を組んで、ジッと二人の戦いを見つめていた。実力があり、戦いの内容が分かるからこそ、彼の表情も険しい。
ハリスは昨日の
「りゃ! おりゃ!」
「ぐっ……」
「参りました……」
「ふん。つまらん。ダヴィの部下も大したことないな」
「むぅ……」
アキレスはお辞儀をしながら、体を震わせた。ここまでの屈辱は久しぶりだ。
その彼の肩を叩いて、巨大な黒い身体が現れた。
「次はお前か」
「…………」
ノイは無言のままハリスの前に立った。普通の人の丈の半分以上の長さはある木剣が、彼に握られると、短く見える。
再びペトロの声が響く。
「続けてのお手合わせ、始め!」
ノイは遠慮なく木剣をハリスの頭上へ叩きつけた。ビュウッと風を切る音と共に、ハリスのステップで土が踏まれる音が聞こえる。ハリスはいとも簡単に、ノイの攻撃を避けた。
しかし、それは織り込み済みだ。ノイはその太い黒足で、避けた先のハリスを蹴りつける。
「チィ!」
ハリスは反射的に飛びのき、攻撃を軽減する。ノイは冷静に構え直した。
「ハリス様!」
「マリアン、大丈夫だ」
外野の声援に、ハリスの感情が盛り上がる。周囲に格好悪い姿を見せたくない。その想いは、ノイへの怒りへと変わる。
「ちょっと痛かったじゃねえか。次はこっちの番だ!」
ハリスの木剣が舞う。彼の足が動き、ノイへと迫る。そして右から左から、上からと、剣を振るっていく。一見無茶に見えるのに、その一撃一撃が重い。
(速い)
「まだまだ、こんなもんじゃねえぞ!」
ハリスの縦横無尽な攻撃が続く。ノイは必死に防ぐが、彼の手足に打撲の跡が増えて行く。
そしてついに、ノイの剣が跳ね飛び、彼は尻もちをついた。マリアンたちの歓声が聞こえる。
「きゃー! ハリス様、流石です!」
「見たか!」
ハリスは周囲に手を振る。マリアンやペトロ、そして遠くからサロメが見つめる。自分に称賛の視線と嬌声が集まり、ハリスは満面の笑みを浮かべた。
「敗者には裁きを!」
どこかから声が聞こえ、彼の視線は敗者へと向く。そして剣を高々と上げると、地面に転がるノイに向かって、一気に振り下ろした。
パンッと、その剣が弾かれる。
「いってえ!」
「ハリス様!」
弾いたのは、アキレスの剣だった。彼はノイをかばうように、ハリスの前に立った。
「これは単なる手合わせのはず。これ以上は無意味でしょう」
「なに!」
「貴様! ハリス様に何を!」
ハリスとペトロが睨み、アキレスと立ち上がったノイが睨み返す。その間に、マリアンとジョムニが入る。
「ハリス様、ここは会談の場です。どうか、冷静に!」
「アキレスさん、謝りましょう」
「ジョムニ! それは――」
「さあ」
アキレスは渋々頭を下げた。
「ご無礼を致しました。申し訳ありません」
「…………」
ハリスはチラリとサロメの方を向いた。彼女が頷いたのを確認すると「フン」と鼻息荒く、木剣を捨ててその場を去った。マリアンがその後に続き、見物していた兵士たちは三々五々に去っていく。
残ったペトロが、捨てられた剣を回収しながら、一言呟いた。
「異教徒など、殺されて当然なのだ……」
「なに?」
聞き捨てならないと、ノイが身を乗り出す。その姿にペトロが冷笑した。
「汚らしい。俺に話しかけるな、弱者め」
「その言葉、撤回しろ」
「話しかけるなと、言っただろう」
今度はペトロとノイがにらみ合う。アキレスとジョムニがノイに味方して、ペトロに怒りを飛ばす。
「仲間への侮辱は許さん!」
「ここで仲が悪くなることを、ハリス殿はお望みでしょうか。我々は帰ってもいいのですよ」
ペトロは少し考え、やがて地面に唾を吐いた。彼の黒い刺繍の中の瞳は、冷笑を崩さない。
「せいぜいお仲間ごっこを演じているんだな。異教徒と仲良くするなど、幻想に過ぎない」
と言い捨てて、彼は去っていった。その後を追おうとするノイを、アキレスが止める。
「これ以上はダヴィ様にご迷惑がかかる。ダメだ」
「…………」
ノイはまた無口になった。そして体の向きを変えて、自分のテントへと足早に去っていく。
ジョムニは地面を見て、眉間にしわを寄せた。捨てられた木剣の残骸が、秋風に転がされている。
(武術は本物ですか……彼の影響力を甘く見ては危険ですね)
この認識を得ただけでも、一定の成果と言えよう。彼は戦ってくれたアキレスとノイに内心感謝をしつつ、今後の政策を考える。
雲がよく動く日だった。
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