第31話『戦士の背中』
ウォーター軍の陣の雰囲気は、普段通りであった。
アキレスたちの敗戦はあったが、被害は軽微だったこともあり、士気にはそれほどのダメージはなかった。
しかしながらダヴィの周りでは不満があふれていた。敗北の原因、アキレスに対してである。
「あの甘ちゃんは、どこまで迷惑をかければいいんだい!」
ライルが丸い頬を動かして唾を飛ばし、怒りをあらわにする。一歩間違えれば、アキレスの行動は全軍を敗北にさせかねなかった。彼はダヴィがアキレスを助けるのも反対したのだ。
しかしダヴィは助けた。その行動にも、彼は不満を言う。一緒に助けに向かったジャンヌも同じである。
「あいつ、助けたダヴィに『ありがとう』も言わないんだよ。どういう教育を受けたんだか」
「貴族様の教育だろ」
「貴族って言うのは、人から恩を受けたら感謝しなさいって教えないのかねえ」
顔を真っ赤にして怒る2人に、グスマンは穏やかに
「まあまあ、お二人さん。そう怒るもんじゃないぞ。彼はまだ若い」
「若いって言っても、あたいと同い年さ」
「それに、それが言い訳になるほど、戦場はアマかねえよ。爺さん」
「そうじゃのう……」
彼はぺちぺちと禿げ頭を叩きながら、考える。そこへ、スコットが入ってきた。
「アキレスがだんなのところに行ったよ」
「行ったって、なにしに?」
「さあ?おいらは知らねえ」
それを聞いて、グスマンは納得したように頷いた。
「きっと、ダヴィ様が叱るのじゃろう」
「そうかな?ダヴィも甘いから」
「優しすぎるんだよ、ダンナは」
「そうかなあ」
スコットの発言に、3人が振り向く。彼はポリポリと頬の傷をかいて心配した。
「だんなが怒ったら、怖そうだ」
「……かっかっ。案外、そうかもしれんのう」
「想像つかないけど」
「ともあれ、ここはダンナに任せるしかねえか」
ダヴィが額に青筋を立てて怒る。そんなことを4人は想像するが、首をかしげるばかりだった。
――*――
頭に包帯を巻いたアキレスが、ダヴィのもとに訪れた。包帯の隙間から黒髪がのぞいている。
ダヴィはまず彼の体調を心配する。
「怪我は大丈夫か?」
「もう、大丈夫です」
口数少なく答える。ここ数日寝込んでいたが、今朝から槍の稽古を再開している。あの屈辱を晴らそうとしていた。
しかし、その機会が与えられるか分からない。アキレスはダヴィに頼み込む。
「自分はもう戦えます!罰は受けますが、どうかヤツと戦うチャンスをください!」
「…………」
ダヴィは彼のまっすぐな瞳を見つめる。澄んだ瞳の奥に、真っ赤な闘志がのぞき見える。
ダヴィは目をつむって黙った。そして間をおいて、彼に伝える。
「アキレス」
「はい!」
「僕についてきてくれ」
「え?」
アキレスは言われるがままに、彼について行った。彼の心には不安が立ち込める。
しかし着いた先が分かると、もやっとした気持ちがわいてきた。
(当てつけか)
彼らがたどり着いたのは、治療場所として使っているテントだった。
ダヴィはアキレスに何も言わず、治療を受けてベッドに寝ている兵士たちを見て回った。
「大丈夫かい?」
「あ、ありがとうございます、ダヴィ様……」
体を無理に持ち上げようとする兵士たちを制して、1人1人の手を握った。彼らは包帯姿のまま、感激して涙を浮かべた。ダヴィは彼らの怪我をしていない部分をさすり、「ゆっくり休んでくれ」「大丈夫。国に帰ることが出来るから」と励まして回った。
そんな彼の姿を、アキレスは冷たい目で見ていた。
(これが俺の罪と言いたいのだろう。それでもいい!戦場で誰かが傷つくのは当たり前じゃないか。彼らの分まで、俺が戦うまでだ!)
ダヴィは治療をする兵士に指示を与えて、テントを出た。アキレスも彼の後について行く。
しばらく歩いて人影のないテントの影に来ると、ダヴィは背中越しに、彼に尋ねた。
「どう思った?」
「……悪かったと、言えばいいのですか」
アキレスは反骨心むき出しにして、ダヴィに反論した。
「確かに、あの時飛び出したのは間違っていました。しかし自分たちの味方を痛めてつけていたヤツを!野放しにできなかったのも事実です!助けてもらったのは感謝しています。反省もしています。しかし!これを取り返すのが、自分の役割だと考えています!」
「反省は十分にした、と」
「しました!自分に従ってついて行った、先ほどの彼らの仇を、自分に討たせてください!」
それを聞いて、ダヴィは振り返る。
アキレスは驚いた。ダヴィは顔を赤くして、彼を睨みつけていた。緑と赤の瞳に怒りがこもっている。
ゆっくりと口を開く。
「アキレス。彼らの仇をとりたいか」
「は、はい!とりたいです!」
「彼らが君について行ってなかったとしてもか」
「は?」
ダヴィは彼を睨みながら、真実を伝える。
「治療を受けていた彼らは、僕について行った兵士たちだ」
「なっ?!」
「君が連れて行った兵士たちは、別の場所で治療を受けている」
ダヴィはこれ以上ないほど大きな声で、怒鳴った。
「自分の部下の顔すら分からずに、何のために戦うと言うのか!?」
「…………」
「自分の名誉のためか!自分の出世のためか!そのために、お前の背中を守る兵士はどれだけ犠牲になればいい?!」
「あ…………」
何も言えない。アキレスは愕然とした。守ろうとした彼らのことを、なにも考えていなかった。
ただ槍を振るえばいい。そんな単純な世界ではなかった。
アキレスは震えながら、涙をこぼす。ダヴィは彼に伝えた。
「それが分かるまで、君に戦わせるわけにはいかない。謹慎するように」
「……はい」
ダヴィは去った。アキレスはその場に膝をついて、地面の土をつかんだ。
手になじんでいた、槍の感触が遠くなった、そんな気がした。
――*――
頭を抱えるダヴィに、グスマンが近寄ってきた。
「お見事でしたぞ」
「……怒るのは、大変だね」
「人の上に立つ者の宿命じゃ。これからもあるでしょうな」
「はあ……」
黒い短髪の頭をかくダヴィに、グスマンは微笑んだ。彼は一つの壁を越えたのだ。
しかし、問題はまだ山積している。その一つが、今聞こえている声だ。
「臆病なウォーター国の諸君。まだ仲間の処刑の時間が来たぞ!」
あれ以来、チェザーレは毎日、ウォーター軍の捕虜を連れてきては、目の前で残酷に殺していく。ダヴィは無視するように言い渡しているが、見せつけられているのはやはり士気にかかわる。どうにかしないといけない。
だが、彼らの後ろには3万の敵がいる。不用意に手を出せない。
「それは大丈夫でしょう」
しかしグスマンは、ダヴィの不安を払しょくする。
「彼らがこんな小賢しいことをしているのは、本隊が動けないからでしょう」
「食料の問題か」
「その通りです。まだ調達出来ていないのでしょうな」
食料が無ければ、軍は動かせない。先日、ダヴィたちが放火した件が尾を引いているのだろう。
だからこそ、チェザーレに少数の兵士を与えて、挑発を繰り返す。それで、相手は士気を保っているのだ。
グスマンは、一つ提案する。皺だらけの人差し指を立てる。
「相手が先日とった作戦、あれを逆手に取りましょう」
「逆手に?」
「はい。おごった若造を懲らしめるのは、これが一番」
歯の欠けた口でかっかっと笑うグスマンに救われている。彼の顔を見ると、ダヴィはホッと息をついたように安心するのだった。
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