プロローグ

第1話『吟遊詩人の唄』


 英雄の登場とは、どういうものを想像するだろうか。


 華々しく敵を討ち取るシーンか。それともヒロインの危機を間一髪救うシーンか。はたまた生まれてすぐに神々が祝福するシーンだろうか。


 この物語の主人公は、残念ながら、そのような華麗なる登場はしない。歴史書の中で彼が登場したのはたった一行の、この文章である。


「王は、人の足元から、発見された」


 ――*――


 リズプールが炭鉱の町として栄えていたのは、十数年も昔になる。


 その頃は、数千人の炭鉱夫が山間部に建ち並んだ簡素な木造の家々に住み着いていた。そして時間になると、炭鉱へぞろぞろと列をなして向かう。仕事が終わると、家にそのまま帰るかと思えば、汗だくの身体のまま店へと入り、酒と女を楽しんで過ごす。三交代制の絶え間ない仕事に、昼夜問わず活気づく。これがリズプールの姿だった。


 しかし仕事のもとである炭鉱が枯れていき、炭鉱夫たちは次々と移住していった。今では夜の明かりの数も、めっきり減った。


 その町でまだ、細々と経営している酒場がある。『リズプールの止まり木』。町の中心部にあるその店は、石造りの古い建物だった。扉の上に付けられている看板のシミが、その歴史を物語る。昔は24時間開いていた店は、今では夜しか開かない。


 その三代目の経営者、ルーディ=バグダッドは、親父譲りの渋い顔つきで、掃除をしていた。


 時刻はまだ昼の3時。無精ひげを生やした見た目とは違い、几帳面な性格の彼は、開店の二時間前には掃除をすることを決めていた。特にこの時期は、どこからか枯葉が舞い込み、床の隙間にゴミが入り込んでしまう。きれい好きのルーディにとっては嫌な季節だ。椅子を上げて、机の下に大きな体をもぐらせて、隅から隅まで、掃き掃除をしている。


 高い棚に置かれた聖女像を拭いていると、店の入り口のベルが鳴った。

 

 ビュウと、吹き込む秋風と共に、誰かが入ってきたようだ。


「まだ時間じゃねえよ」


 ルーディの注意を無視したらしい。つかつかと店を歩く音と、わざわざ掃除中の椅子を下ろしてドカッと座る音が聞こえた。ルーディは眉間にしわを寄せ、体を起こす。そして、その入ってきた男をにらむ。


 椅子に座る細い体つきの男は、汚れた茶色い(元は黄色だったかもしれない)帽子とマントを身に着け、大きな荷物を背負っている。表情は、深くかぶりすぎた帽子のせいで、全く見えない。


 ルーディはチッと舌打ちをした。


「まだ時間じゃねえって、言っているだろ。5時からだ。またあとで来な」


 店主の言葉に、男はゆっくりと首を振る。背中の荷物の一つをひも解くと、年代物のギターを取り出した。それを見て、ルーディの表情が一層渋くなる。


「なんだ、流しのギターリストかよ。相手して損したぜ」


 客ではないと分かり、ルーディは態度を悪くした。ただでさえ汚い服装で、掃除したばかりの椅子や机を汚されているのである。イライラとした感情を表に出る。ドカッとそのギターリストの前に座って、大げさに足を組んだ。


 しかし、店に催し物を入れないといけないと思っていた矢先である。机に肘を付けて、その手に顎をのせつつ、とりあえず話を聞いてみることにした。


「何を歌えるんだ? 数曲しか歌えないって言うなら、とっとと出ていけ」


「詩を、少し」


「ほう?」


 こいつは珍しい、とルーディは思った。いわゆる、吟遊詩人だ。最近では流しといえば、流行の歌謡曲を十曲ばかり聞かせる歌手が主流だ。吟遊詩人が大勢いた時代は、一世紀以上前だ。この店に吟遊詩人が現れたのは、何十年前だろうか。親父がまだ生きていたころだ。


「なんの詩だ?」



 悪くねえ、とルーディは乗り気になる。創世王の話は今でも、人気の物語だ。この店の客の大半である、文盲な炭鉱夫でも知っている。軽薄な歌謡曲に聞き飽きた客には、もってこいの題材だ。


 ルーディは姿勢を変えて、前のめりに体を傾けた。彼の頭の中では、吟遊詩人の給料と、吟遊詩人が歌うことによる売上効果が計算されていく。


 さらに質問を続けた。


「創世王のどの話なんだ? ライプティの戦いか? 聖子女アニエスとの恋物語か? 黒円の大乱はよしてくれよ。あれは人気が無いんだ」


 すると吟遊詩人は帽子のつばの下から、怪しく、微笑んだ。そして、こう返す。


「すべて」


「は?」


「生い立ちから死ぬまでの、すべて」


 ルーディはすごいと思うよりも、逆に、目の前の奴の実力を怪しんだ。


(おいおい。創世王の話全部なんて、一体どのくらいあると思っているんだ?! 昔、古本屋の親父に聞いたことがあったが、確か本で50巻は下らなかったはずだぜ)


 ルーディは威圧するように顔を近づける。案外整った顔つきだと、その時気が付いた。だが、嘘つきは気に入らねえ。脅すように言い放った。


「よくもそんな出まかせを言ってくれたな。だったら、今夜からやってもらおうじゃねえか! 店の一角を貸してやるから、絶対にやり通せよ。給料は、食事と宿つきで、日に10ゴールドだ。ただし、少しでも話を飛ばしたら、その時まで払った給料は耳をそろえて返してもらうからな!」


 吟遊詩人は応じると言う代わりに、再び微笑んだ。ルーディはその笑みを、美しいと思うよりも、ぞくっとした怖さを感じた。


 ――*――


 リズプールの西に広がる山々に、太陽が隠れた。


 ルーディは店の入り口近くの外灯に火を入れると、『リズプールの止まり木』と書かれた看板が、明るく照らされる。その光に誘われるように、仕事を終えた炭鉱夫や職人たちが入り口をくぐり、酒を注文していく。


 この店の自慢はビールと、川魚とゴボウの素揚げだ。男たちは大きなビールジョッキを片手に、大声で、他愛もない話を続ける。


 その騒々しさの中、吟遊詩人は空いていたテーブルの一つに、昼間と同じ姿で座った。違うのは、ギターしか持っていないだけだ。マントや帽子はそのまま着たまま、ギターを膝の上に乗せる。


 変なやつが来た。店の客は見慣れないよそ者から距離を置く。妙な空間が、詩人の周りに広がった。


 詩人は目深にかぶった帽子の下から、その野暮やぼったい姿からは想像もつかない、澄んだ声を発した。


「うたかたのこの世にて、一時の快楽に興じている、皆々様」


 店の騒々しい声が、ピタリと、止んだ。


 何事かと、荒っぽい連中まで静まり返る。まるで催眠にかかったかのように、一様に、詩人の方に目を移す。


 料理を作っていたルーディはいきなり客の声がしなくなったことに驚き、フライパンを動かす腕を止めて、厨房を飛び出した。こんな静寂、店の主人である彼も経験したことがない。


 詩人は少し間を置いてから、前口上を続ける。


「皆様方が、安寧の平和の中で過ごされているのは、これからお話しする王の存在なくしては、ありえないことにございます。伝説となりし王の名は『創世王・ダヴィ=イスル』」


 吟遊詩人は、ジャランと、ギターを鳴らす。誰もがビールを飲むことを忘れ、詩人の話に耳を傾ける。真剣な視線が注がれる。息遣いしか聞こえない店の中で、何人かが唾を飲んだ。


 詩人は彼らの姿を愉快と感じる。半分しか見えない顔に笑みを浮かべ、染み透る声で歌い出す。


 さあ、語ろう。大陸すべてを統一し、数百年の平和を築いた王の生涯を。その男につどいし、有能で忠実な部下たちの、熱き夢を。そして、彼に恋した女たちの、喜びや、悲しみを。


 物語を始めるときがきた。


「小さな靴磨きの少年の夢物語は、大都市・パランの道端みちばたから、始まります……」

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