第12話『ダヴィ育成計画』
話はシャルルが北の戦場に向かう、数日前に戻る。
この日、ダヴィはシャルルの屋敷を訪れていた。
当然、馬車に乗ることが出来る身分ではないダヴィは、午後の公演を終えるとすぐに、テクテクと街を歩き抜けて、貴族たちが住む大きな屋敷が集まるエリアに入る。
広い石畳の道を囲むように、高い塀が並んでいる。ダヴィが普段歩いている場所と同じ町とは思えないぐらい、行き交う人が少ない。たまに通るのは豪華な馬車だけである。その光景は小さなダヴィに怖さを感じさせ、別世界のようであった。
小さな黒髪の頭をちょこちょこと動かして、簡単な地図を頼りに、やっとたどり着く。その周囲の家々と比べても中程度の大きさの屋敷であった。一般の貴族と変わらない。大貴族よりも小さい規模だ。
(これが王子様の家?)
ダヴィは首をかしげる。以前自分が運ばれた屋敷だが、確かにその時は外観を気にする余裕が無かった。何度も地図を確認して、門番の兵士に声をかけた。
その兵士に通され、屋敷の応接間にシャルルはいた。彼は前置きせず、いきなり尋ねる。
「意外だろ? この屋敷の小ささには」
心を読んだようだ。遠慮して、返事をせずに立ったままのダヴィに対して、応接間の椅子に座るシャルルは、事情を説明した。
「母が平民出身の私には、大きな後ろ盾がない。モランは私の乳母の弟で、アルマは私の母が目をかけた恩を感じて、従ってくれている。その他の貴族には、そっぽを向かれている状態でね。大貴族のジャック=ネックを後ろ盾にしているルイとは、大違いさ」
一国の王子としては、悲惨な状況にもかかわらず、シャルルはお手上げというように、もろ手を上げつつも、事も無げに言う。この状況すら、楽しんでいるようだった。母親譲りと聞いた金色の髪は今日もつややかだ。
確かに、この屋敷に漂う空気には、嫌な感じがしなかった。むしろ明るい。
「この屋敷をどう思う?」
「やさしい門番さんでした」
ダヴィはまず門番を褒めた。以前、団長のロミーから門番に注目しろと教わった。
「ぼくが来たら、すぐに通してくれましたし、この部屋に案内までしてくれました。門番がいいと、その屋敷はいいと教わりました」
「屋敷の評価を聞くと、大抵は建物を褒めるのだが……やはり君は変わっている」
シャルルが嬉しそうに評価すると、ダヴィは恥ずかしがって
それはそうと、とシャルルは椅子から立ち上がった。長い髪がふわりと舞い上がる。
「来たばかりですまないが、一緒に来てもらおう」
「どこへですか? どんなお仕事ですか?」
「仕事ではない。勉強だ」
仕事をこれからすると覚悟してきたダヴィは、気組みを外されて、キョトンとした表情を浮かべた。シャルルは腰を曲げて、ダヴィに顔を近づける。いい匂いがした。
「ダヴィ。俺は君を、ただの
「騎士? 政務官? 本当に?」
「サーカス団では内緒だぞ」
人差し指を口に当てて、ウインクする。役者のように格好をつけた姿が芝居じみていて、ダヴィはおちょくられているように感じて、眉をひそめた。そんな様子もおかしかったようで、シャルルはますます笑みを深めた。
彼は宣言する。
「やがて俺は、人生を賭けた大博打をするつもりだ。その際に俺の手足として、いや、俺の分身として、働く人材を育てたいのだ」
「それがぼく……」
「信じられないか?」
ダヴィは素直にうなずく。とてもじゃないが、こんなちっぽけな自分が、活躍できるとは思えなかった。
「じきに分かる、自分の可能性に」
シャルルは、ダヴィについてくるように言った。そして玄関を出て、馬車に乗り込む直前になって、思い出したように、ダヴィは尋ねた。
「シャルル様がする大博打とは、どんなものなのですか?」
シャルルは馬車に乗り込む足を止めて、振り返った。この時だけは、彼は年相応のあどけない笑顔になったことを、ダヴィは後々まで覚えていた。
シャルルははっきりと答える。笑みに凄みが増した。
「国獲りさ」
――*――
馬車に揺られて屋敷を出発し、ダヴィたちは到着した。
ダヴィは馬車から降りると、目の前の建物を見上げた。表通りから曲がりくねった細い道に入り、人目のつかない薄暗い場所に、二階建ての石造りの家がそびえていた。小金持ちの隠居が住むような家だ、とダヴィは感想を持った。
シャルルが慣れた感じでその家の玄関ドアをノックする。白髪頭の老女がドアを開けた。背筋が伸びて、シャルルに腰をしっかりと折り曲げて挨拶する。かくしゃくとした、愛想笑いも浮かべない女性だ。
「ミセス・ジュール。これでもまだ、師匠の弟子のつもりなのだ。そう改めてもらっては困る」
「いいえ、シャルル王子。ここは
「ふふふ、相変わらずお堅い」
シャルルが苦笑いを浮かべる一方で、ミセス・ジュールは、無表情のまま、中へといざなった。
屋敷の中は、所狭しと書籍が置いており、本の
しかしこの時代、製紙技術や印刷技術が低く、相対して本の価格は高かった。今まで数えるぐらいの本しか読んだことがないダヴィにとって、この屋敷はまるごと宝箱のように見えた。
「ここですよ、シャルル」
先ほどの言葉通り、弟子に対しての言葉遣いに改めたミセス・ジュールに示された部屋に、シャルルとダヴィは入っていく。
廊下以上に本に埋もれたその部屋の中には、足の長い椅子に座る二人の少年がいた。筆を走らせていたが、シャルルたちの来訪に驚いた様子だった。
そして彼らの奥に、初老の男性が立っている。
(魔法使いだ)
とダヴィは思った。三角帽子はかぶっていなかったが、灰色と白色が混ざった長い髭と髪を蓄えていて、髭は口元を覆っている。そして皺だらけの顔の中に鋭く光る眼が、こちらを向いている。少年たちを指導するため、手に持っている指導棒が、ダヴィには余計に魔法使いに思わせた。
その魔法使いのような老人が口を開く。
「それが、この前言っていたガキか」
「そうです、先生。この子があなたの新しい弟子ですよ」
「ふん。それを決めるのはわしだ。どれ……」
老人はダヴィに近寄り、おもむろに手を伸ばして、眼科医のように、ダヴィの
老人は、ダヴィの緑と赤の異なる左右の色を見て、眉がピクリと動いたが、それだけだった。すぐに手を放す。
「目は良いな。それに度胸もある」
「でしょ! この子もいい子なんですよ」
身じろがないダヴィの様子には、気に入った様子だったが、それでも、渋々という態度は崩さない。その不平は、シャルルにぶつけられる。
「ここはいつから
「それでもなんだかんだ指導してくれているじゃないですか、先生。ダヴィ、紹介しよう。この方は、俺の師のマザール=ジュール氏だ。知識量は西方一番のすごい方だぞ」
シャルルの紹介に、フンと、マザールは鼻を鳴らす。
「天下一と言わんか、馬鹿者が。まったく、お前に養われている情けない状況でなければ、本を読んで、のんびりと隠居生活を満喫しているのに」
「先生のような方に休まれておられては、この国の損失です。……父からは何も?」
「何もない。分かっているだろう。あの方は恨みを忘れぬ方だ。許されることはない」
「この前、先生のことを話したのですが、仕方ないですね」
この時、ダヴィは何の事情も知らなかったが、後からシャルルに教えてもらったところ、平民出身のマザールはかつて、その頭脳を以って、宮廷の図書館長(平民出身の文官の最高位のひとつ)に任ぜられていた。
しかし生まれ持った正義感と、頑固さから出た強烈な
その代わりにシャルルがお願いしているのが、若い将官候補の教育である。ダヴィより先に、マザールに師事していた少年たちが、興味深そうにダヴィを見つめていた。
シャルルは、ダヴィに彼らを紹介する。
「坊主頭の子がマクシミリアン=ヴァイマル、眼鏡の子がジョルジュ=リシュだ。それぞれ君がこの前会った、モランとアルマの息子たちだ。二人とも、君と同い年だよ」
「よろしく!」
「よ、よろしくお願いします。ダヴィ=イスルです」
真っ先に手を伸ばしてきたマクシミリアンの手を、ダヴィはおそるおそる握った。自分と同い年とは思えないほど、彼は背が高く、腕は太かった。握った手には、マメが多くついている。
しかし日々の練習で手がボコボコなのは、ダヴィも一緒である。ダヴィの手を握ったマクシミリアンも、顔つきとは異なるいかつい手の様子に、目を見開いた。
もう一人の黒髪を肩まで伸ばした(後から聞いてみると、シャルルにあこがれて伸ばしているらしい)眼鏡姿のジョルジュという少年は、別のことを考えていた。
「イスル? どこかで聞いたことが……」
ダヴィは顔を伏せた。
自己紹介をすませ、マザールは少年三人を椅子に座らせた。
「愚痴を言ってもしょうがない。ガキども、始めるとしよう」
「先生、また来ます」
「来なくていい。お前が来るたびに、面倒ごとが増える」
シャルルが微笑みと共に去り、マザールはため息をついて指導棒を持った。
「さて、勉強を始めよう。今日は歴史の授業だ。ダヴィといったか。金獅子王の業績を述べよ」
“金獅子王”という聞いたことがないキーワードに、ダヴィは首を傾げた。その姿にマザールは、信じられないと、眉間にしわを寄せる。他の少年たちも、ダヴィの顔をちらりと見た。それほど有名なのかと、ダヴィは自分の無知さに顔を赤らめる。
「ごめんなさい。これまでよく勉強したことなくて」
はあ、と何度目かのため息をつくと、マザールは棚から本を取り出し、ダヴィに渡した。
「文字は読めるか」
ダヴィは頷く。マザールは、他の二人にも同じ本を開くように、言った。
「いい機会である。最初から、この世界の歴史を振り返ってみるとしよう。この
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