第9話『教皇の嘲笑と女王の喝采』

 年末の冬至の祭りを終え、年明けの騒々しさも鎮まり、一息ついていた教皇のもとに、吉報が届いた。ナポラから戻ったジョルジュの報告である。


「ダヴィ=イスルが反抗するか」


 それを聞いた途端、ハハハハハと笑い始めた。自分の思い通りに事が運ぶ。全てが自分の手のひらで動いてる優越感を持つ。


「馬鹿な男だ。感情で動くやつほど、愚かでしょうがないのう。所詮、奴隷出身の男の浅知恵よ」


 教皇はダヴィの出自の調査を終えていた。ダヴィは確かに大富豪の息子であるが、一度奴隷に身をやつし、サーカス団で働いていたと聞く。自分の召使い以下の身分の者に、敬語を使うことさえ嫌がる。ましてや、その者を自分の『騎士』とすることに、教皇とその側近たちは拒絶感を抱いていた。


 極端な差別意識。しかし、これがこの時代の上級階級の一般的な意識である。特に階級意識が激しいクロス国やファルム国ではその意識が強い。


 その苦々しい感情もこれで解消される。教皇は隣に立つ男に話しかける。


「そんな者が国を持ち、妻を王宮に迎えるのが間違っているのだ。その『常識』を教えたというのに、身の程知らずの者め。しかも儂に逆らうなど、あってはならぬ。のう、ジョルジュ」


「はい……」


 ジョルジュは目を閉じながら答える。トリシャの暗殺前、領内を通行するダヴィの婚約者について、彼は教皇に答えている。それがトリシャが死ぬ遠因になったことを理解していた。


 彼の脳裏に、幸せそうに笑い合っていたダヴィとトリシャの姿が、思い出される。


 ベルナールは教皇に同調して笑い、アンドレは顔をしかめる。


「素晴らしい! きっと聖女様のお導きでしょう」


「下らぬプライドだ。簡単に、挑発にのるか」


 プライド、とは少し異なるような気がする。ジョルジュが考える限り、ダヴィにとってトリシャはもっと大事なもので、彼の人生の大きな部分を構成していた。自分にとってのシャルルや家族のように。


 奴隷には人権が無い。その意識のまま、教皇たちはダヴィの奪ってはならないものを奪い去ったのだ。


 教皇は頬を緩めながら、指示を出す。


「すぐに領内や周辺国に伝えよ。ダヴィ=イスルが正円教の敵になったとな。そしてベルナール、アンドレ」


「はい」


「はっ」


「軍勢を集めて進撃せよ。ただし、くれぐれも『ミラノスのようなこと』は繰り返さないように」


 教皇はミラノス城を燃やしたことに不快感を示していた。死者を出すからという理由ではなく、ミラノス城内にあった美術品を失ったことを怒っていた。


「ナポラは金獅子王の伝承がある。どのようなものが眠っているか分からない。無事に占領するように」


「ご心配ありません。教皇様のご威光は当然、ナポラにも届いています。民衆は自ら、愚かな領主を捕まえ、城門を開くでしょう。軍隊も少数でよいかと」


とベルナールの言い分に、アンドレは内心呆れる。ミラノス城では、民衆はクロス王に従い続けたじゃないか。キツネ目で笑い続けるベルナールを無視して、アンドレは進言する。


「5万で進撃したいと思います。それで万全でしょう」


「うむ」


 教皇は皺の多い頬を撫でる。笑みはまだ浮かんでいた。


「今年は良い年になりそうだ」


 ジョルジュは親友だったダヴィの運命を察する。彼はまた、自分の思い出を殺した。


 ――*――


 教皇の命令は、二重円教を信仰するソイル国にまで届けられた。アンナ女王の執務室に、ウィルバードとハワードが集まる。


「物資輸送の禁止、人の通行の禁止……討伐依頼ではないところを見ると、利益は自分たち確保したいのでしょう」


 白い髭を動かし、ウィルバードが意見を言う。教皇のどす黒い魂胆が透けて見えて、口の中が苦くなった。


 ハワードは尋ねる。


「いかがしましょうか。こちらも構っている暇はないのですが」


 アンナ女王とパーヴェル王子との対立は、佳境に差しかかっていた。アンナ女王の直轄軍はますます強大になり、ハワード率いる「風の騎士団」と並び立つ最強の軍隊に成長した。


 それに合わせて、パワーバランスはアンナ女王に傾いてきた。アンナ女王に味方する貴族は増え、パーヴェル王子はモスシャの城を出て自領に籠った。おそらく、挙兵の準備を進めているのだろう。


 国を二分する内乱が表面化してきて、ソイル国は混乱しつつある。


 アンナ女王は教皇からの書状を赤い目で眺めながら、何も言わない。その書状の中には、ダヴィが歯向かった理由も書かれていた。


『ダヴィ=イスルは自分の婚約者が山賊に殺されたことを、あろうことか教皇様の仕業と嘘をつき、葬儀に出席したお優しい教皇様の使者もすぐに追い返して、反抗を開始した』


「ダヴィの婚約者って、あのサーカス団の娘かしら」


「そうだと思います」


「そう……」


 2人は女王の変わらない表情の奥の感情が分からなかった。さらに言えば、これ以上立ち入る気はなかった。毒花のトゲにあえて触る必要はないのだ。


 しばらくの沈黙の後、赤い魔女は、ようやく口を開く。


「大変な状況ね」


「絶体絶命とはこのことでしょう。我々の国ならいざ知らず、宗教を敵に回すような事態に、あの小僧がおちいったことが信じられません」


「領民を信じられない状態は、上に立つ者として、絶対に避けなければならないことです」


 ところが、アンナは微笑む。赤い唇の端を上げる。


「良い兆候だわ」


「はあ?」


「ダヴィも狂ってきたわね」


 いばらの道。彼が国を作りたいと宣言した時、彼女はそう評した。ところが、事態はもっとひどい状況になっている。


 自分と同じ、血まみれの道を歩むダヴィの姿を想像する。舌なめずりしそうになる。


 世界を巻き込んで、彼とダンスする。それがまた一歩近づいた。


「パーヴェルをもっと挑発しようかしら」


「……事態を早めるということでしょうか」


「ええ、ダヴィに負けていられないもの。私も血がたぎってきたわ」


 ハワードが最後に尋ねる。


「では、ダヴィのことは捨ておくので?」


「捨ておく? 違うわ。私たちは観客よ。楽しむのよ」


 アンナの心の中で、舞台が設置されている。その真ん中で、ダヴィが悲鳴を上げながら踊り続ける。観客席にいる彼女は、拍手喝采を送った。


「さあ、ダヴィ。あなたの踊りを見せてちょうだい」

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