第35話『チュール城炎上』
敗走するウォーター軍と共に駆け抜け、アキレスはチュール城にたどり着いた。彼が自発的に
彼は早速、ダヴィの元へやってきた。本陣にはダヴィとグスマンがいた。彼らよりも背の高いアキレスがつめよる。
「ダヴィ様!撤退とは、どういう」
「アキレス、こっちに来てくれ」
ダヴィは彼の言葉をさえぎり、近くまで来させた。彼らの目の前には、チュール城付近の広域地図が広げられている。
城内の図ではない。そのことにアキレスは驚いた。
「これから防衛戦ではないのですか」
「……いや、それは無理だ」
ダヴィの理由を、グスマンが補足する。
「元々、あの野外戦で防ぐことを考えておったのじゃ。だが、敵は無理やり突破してきた。作戦は
「ここには十分な防衛設備を準備する時間がなかった。それは以前説明したとおりだ」
確かに、アキレスは事前に説明を受けていた。それで、あそこで防がなければと意気込んでいたのだ。
だからこそ、ダヴィの撤退命令には一言いいたい。
「だったら、もう少し粘るべきではなかったのですか?!」
「あの妨害工作で、何日かは攻撃をためらうと考えていたんだ。しかし、敵は犠牲をもろともしないで短期決戦を狙ってきた。正直、予想外だ」
「敵は短気でしたな」
グスマンが冗談を言うも、彼の顔に笑みはない。しわが何本もついた額に汗をかいている。
アキレスは唇をかんだ。あそこでチェザーレを討ち取っていれば、状況は変わったかもしれない。惜しいことをしたと、後悔する。
暗い表情のアキレスに、ダヴィは命令する。
「君は兵を連れて、近くの砦まで撤退してくれ」
「ダヴィ様たちは?」
「我々は北に2km戻った城に行く。このチュール城は放棄する」
ウォーター国の南の防衛の要であるチュール城を放棄する。それは、ダヴィの防衛の失敗を意味した。
ダグラスが説明を加える。
「ウォーター国内の広大な平地を用いて、敵を包囲するのじゃ。敵をじわじわと弱らせていく方針じゃ」
「しかしそれでは……」
ゲリラ戦のような戦い方では、国内の領土に大きな被害が出る。農民も大勢死ぬだろう。
それでも、ダヴィは決心した。
「アキレス、つらい戦いになることは分かっていたはずだ。しかし、勝たなければならない。手段を選んではいられない」
「ダヴィ様……」
「耐えてくれ。いつか報われる日が来る」
アキレスは口を真一文字にして、頷いた。彼の思いは確かに届いた。
グスマンが本陣の外を指さす。
「その辺りにライル殿がいるはずじゃ。彼から細かい指示を受けるとよい」
「はっ」
ダヴィは最後に、アキレスの手を握った。大きい手だった。
「頼んだよ」
「……はい」
アキレスが肩を落としながら、本陣を出ていった。
ダヴィのオッドアイが光る。ダグラスは小さく微笑む。アキレスを見送りながら、彼らはひそひそとささやきあった。
「これで大丈夫かな」
「よろしいかと。それにしても、ダヴィ様は役者ですな」
「サーカス団で散々鍛えられたからね」
シャルルのような“イタズラ”をして、ダヴィはこんな状況の中でも満足していた。
――*――
ヌーン軍が城壁にたどり着いたのは、夕方近くであった。
細い街道を抜けて見えてきたのは、チュール城の大きな城壁である。この城壁がヌーン軍の北進を長年防いできた。ここを越えれば、念願のウォーター国への侵攻が叶う。
ピエトロはその城壁を眺めていた。そこへカボットがやってきた。
「王子。今から攻城用の兵器を組み立てます。明日の朝には攻め込むことが出来ましょう」
「ならん」
ピエトロ王子は冷たく言う。彼の心の中は逆に、煮えたぎるほど熱かった。
「すぐに攻撃を開始しろ。俺は朝食をあの城の中で食べたい」
「お、お待ちください」
カボットは驚いて制止する。彼は自軍の兵士が夜の戦闘を好まないこと、そしてここまでの戦闘で疲れていることを挙げて、
しかし、ピエトロ王子は強行する。ターバンの下の目は鋭く、城を見つめている。
「全軍に伝えろ。やつらの大将の首を持ってくれば、貴族に取り立ててやると。さあ、やれ!」
ピエトロの号令の下、ヌーン軍は城壁にとりついていった。ロープをかけて、次々に高い城壁を登っていく。
意外と抵抗が少ない。城壁の上から落ちてくる矢や石の量が少ない。ヌーン軍は必死にそれらを避けて、順調に登る。
やがて複数の兵士が登り切った。城壁の上にヌーン軍の旗を立てる。そして城門がゆっくりと開いた。
「どうやら敵は逃げたようです」
「ちっ」
早く落ちたのはいいものの、敵の首を見られないことにいら立つ。ピエトロは全く満足することなく、憤然としながら城内へと入っていった。
城内は敵が逃げたことで戦闘もなく、荒らされずにテントが放置されていた。テントだけで、中身はない。食糧などは運び出されている。
カボットはピエトロにお伺いを立てる。
「疲労は限界に達しております。本日はここで宿営しましょう」
「……明日は追撃し、やつらの首をとってこい」
「はっ」
彼の許可が下り、早速ヌーン軍はウォーター軍が置いていったテントを使って寝床を作る。そして寝床に潜り込むと、死んだように眠り始めた。
ピエトロも、カボットも、そしてチェザーレも寝床に身を横たえる。
「くそ、逃げやがって。必ず、殺してやる」
チェザーレは逃げたアキレスを思いながら、自身に布団をかけた。髪の毛は7本に束ねたまま、臨戦態勢で眠りにつく。明朝、すぐに追いかけるためであった。それほど、彼の心はアキレスへの憎しみで占めていた。
夜が更ける。城壁に立っていたヌーン軍の兵士があくびをする。
その背中の後ろに、立つ影があった。
「悪く思うなよ」
「ふぐっ」
口を手でふさがれ、剣で背中から貫かれて絶命する。剣を握る小太りの男は、隣のノッポに声をかけた。
「こっちは終わったぜ、スコット」
「ライル、大変だあ」
「あ?」
ライルはスコットの近くに寄ってきた。スコットは殺した兵士を前にして、笑顔だった。
「こいつ、ライルの宝石持っていた」
「マジか!いやあ、助かった」
彼はうっかり、ダグラスからもらった宝石を落としてきたのだった。それを再び見つけて、ニンマリとしてポケットにそれをしまい込んだ。
それを、ジャンヌとアキレスがじとーと見ていた。
「あきれた。こんな時までお宝なのね」
「うるせえな。これも性分だ」
「お金は大事」
「まったく……」
手を腰に当てるジャンヌの後ろで、アキレスは顔をしかめていた。この作戦、自分だけが直前まで知らされなかった。それが気に入らない。
「なんで、俺だけ知らなかったんだ」
口に出した不満に、目の前にいる先輩たちから罵られる。
「あんたがバカだからよ」
「顔に出そうだからな。単純な坊ちゃん」
「バーカ、バーカ」
ダヴィに言われるのはともかく、この3人にまで言われるのは
そこへ、ウォーター軍の兵士がやってきた。
「城壁の上にいた兵士は全員始末しました」
「よし!作戦通りだね」
「全員が城の外を見ていたからな。まさか抜け穴から潜り込んでいるなんて、全く気付いていなかったぜ」
「んだ、んだ」
ジャンヌは弓を背中にしまいながら、兵士に命じる。
「じゃあ、ダヴィに連絡して。後は任せたよって」
その報告を、すでに城のすぐそばにいたダヴィは受け取った。
ジャングルの中、月明かりがうっすらと、彼と、その後ろにいた兵士たちを照らす。暗がりから、緑と赤の目が月光に輝く。
「これで準備は整った」
これから最後の段階となる。兵士たち一人一人の表情がこわばる。
それを見て、ダヴィはあえて冗談を言った。シャルルのように。
「まだ朝には早いが、僕たちがニワトリの代わりに彼らを起こしてやろう。少々荒っぽいやり方だけど」
兵士たちが微笑んだ。ダヴィも微笑み、再び前を向く。
月と星で彩られた夜空をバックに、巨大なチュール城が黒く浮かんでいる。城を見上げるダヴィの耳に、金色の輪がかすかに光った。
「行くぞ」
――*――
(外が騒がしい……)
そう気が付いて重い
ピエトロは不機嫌な気分で、彼を見た。カボットは焦りながら言う。
「大変です!城が燃えています」
「なに?城はここだろう!」
訳が分からず、ピエトロは寝間着姿のまま部屋を出て、廊下を進む。
チュール城で最も大きい建物の入り口から出ると、そこに広がっていた光景を見て、彼は寝ぼけ眼を覚ました。
「な……」
火の海。その表現が最も正しかった。
業火が埋め尽くしている。かがり火だけが灯っていた、寝る前の光景とは全く異なる。炎の間を兵士たちが逃げまどっているのが見えた。
焦げ臭い。鼻を刺激され、ピエトロの意識が完全に覚醒した。
彼はこれ以上ないぐらい激怒する。
「カボット!これは一体、どういうことだ!!」
「ウォーター軍の仕業に間違いありません!謀られたのです!」
泣きそうな彼の声に、ますますピエトロはいら立つ。ふざけるな。俺は勝ったはずだ。後はやつらを血祭りにあげるだけのはずだ。
「なんだ、この状況は?!ふざけるな!」
ターバンをまだ巻いていなかった、ピエトロの髪が振り乱れる。目を血走らせて、この状況に怒り狂っていた。自分の陣が燃やされている。これで二回目だ。
それでも、側近のカボットは自分の役割として、彼に意見する。主君の気分はこの際構っていられない。
「王子、お逃げなさいませ!」
「逃げる?!バカな!」
「敵が潜り込んだようです。ここは逃げて、一度態勢を立て直しなさいませ!」
「それは無用かと」
カボットの後ろから、チェザーレがやってきた。彼の服は所々黒ずみ、焦げ臭い。
彼の目も血走っていた。
「ここで敵を血祭りにあげてみせましょう」
「なにを言っているんだ、チェザーレ!?」
「策が成功して、敵は油断しているはずです。ここは裏をかいて、皆殺しにしましょう」
正気ではない。カボットはこれ以上、彼と会話をしたくなかった。
しかし、それこそが王子の望んだ答えであった。彼は怒りのままに命じた。
「うぬぼれた奴らを殺せ!切り刻んで来い!」
「承知しました」
チェザーレは早足でその場を去った。カボットは青ざめて、ピエトロに声をかけた。
「ピエトロ王子、どうか……」
「うるさい!さっさと火を消せ!」
ピエトロは再び部屋に戻っていく。彼の心は辺りに広がる炎よりも、真っ赤に染めあがっていた。
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