第34話『チュール城南の戦い』

 ヌーン軍には騎馬が少ない。ヌーン国では馬を飼育する牧草地が少ないという理由もあるが、一番の理由は代わりになる動物がいるからである。


 それが象だ。戦象と呼ばれる。


 背中に御者と弓兵数名を乗せて、戦場を踏み荒らしていく。騎馬のような軽快さはないが、重量騎兵にも勝る突撃力は脅威である。膨大な量の食料が必要だが、それを広大なジャングルで補給する、ヌーン軍独自の戦力である。ピエトロ王子が乗るスルスは、その育てられた戦象の中でも一番大きい象になる。


 本日も、彼らは戦象を先頭に押し寄せてきた。しかし、戦場となる場所にたどり着いたとき、彼らは異様な光景を目にした。


「なんだ、これは?」


 ジャングルの中で、唯一、開けていたのが、この場所であった。だからヌーン軍も最初に陣をはり、その後ウォーター軍が布陣していたのだ。


 その広場の様子が、全く変わっていた。


「荒らされている?」


「はい、そういう表現が最も正しいかと」


 ガボットがピエトロに詳細な報告を始めた。


「一本伸びている道を除いて、木や塹壕ざんごうを無秩序に設置して、通れないようにしております」


「通れないことはあるまい。乗り越えて行くことは出来るだろう」


「それが、象が嫌がっております」


 実は、象は起伏がある場所を嫌う習性がある。体重が重いため、足に負担がかかることをしたくないのだ。象は4本ある足のひとつを上げることも、苦手だという。我々はサーカス団の象の芸を思い出しがちだが、足を上げる芸は厳しい調教があってのことである。


 それに、とガボットは他の理由も上げた。


「障害物に混ざって、落とし穴も存在しています。それに落ちて、負傷者も出ていると報告が」


「ちっ」


 ピエトロは大きく舌打ちする。敵の策にはまった。ターバンから垂れる汗を、腹立たしそうに拭いた。


 しかし有利なことは変わらない。その一本道を進むように指示を出した。


「チェザーレに命じろ。小賢しいマネをした敵に死を」


「はっ」


 チェザーレは象を前に出して、進み始めた。一本道と言っても、象が二頭は通れる幅はある。声を上げながら、戦象が突き進む。


 意外にも、この一本道には罠は仕掛けられていなかった。象に乗る兵士たちが微笑む。これならいける。


 目の前に黒い軍勢が見えてきた。象の上から見ると、小さく、弱く見える。


「さあ、もうすぐだ!……うん?」


 盾を構えたウォーター軍の兵士たちの前に、一騎の騎兵が立っていた。槍を構え、こちらに向いている。


 だが、騎兵がいかに立派な体格でも、象から見れば子供のようだ。戦象の御者はためらうことなく鞭を打った。


「そら!踏みつぶせ!」


 2頭の象が土ぼこりを上げて迫ってくる。ウォーター軍の兵士たちが動揺して、盾を持つ手に力がこもる。


 騎兵はゆっくりと槍を持ち上げた。そして、駆け出していく。


 その姿にヌーン軍の兵士は驚いたが、同時に馬鹿にする。


「勝てると思っているのか?!」


「蹴散らせ!」


 また鞭が振るわれ、象も勢いがつく。両者の距離が縮まる。


「バカなやつめ。終わりだ!」


 騎兵は槍を振り上げた。顔が紅潮する。


 そして、彼は投げた。


 ヒュという空を切る音が聞こえたかと思うと、次の瞬間にはドンと象に衝撃が走る。


 象の眉間に、その槍が刺さっていた。


「象の皮膚を貫いた?!」


「そんなバカな?!」


 刺された象が崩れ、もう1頭の象に倒れこみ、2頭とも地面に倒れた。当然、象に乗っている兵士も地面に放り投げだされる。


 その兵士が痛んだ体を抑えながら身を持ち上げると、あの騎兵が彼を見下していた。彼は最期に叫ぶ。


「うわああああああ!ふぐっ!」


 騎兵が抜いた剣によって、彼の首と胴体が切り離される。残りのヌーン軍の兵士たちは後方に逃げていく。


 新たなヌーン軍がやってくる。ウォーター軍の兵士が新しい槍を持ってきた。


「アキレス様、これを」


「助かる。皆!よく聞け!象とて、操っているのは同じ人間だ。俺が象を倒す!後から象に乗る兵士を倒せ!」


「「「おう!」」」


 野太い声が響く。アキレスに励まされ、徐々に前進を始めた。


 アキレスも駆けだす。また戦象が目の前から突撃してきた。


「俺が相手だ!」


 彼は腰に備えていた小刀を投げた。それが正確に象の右目に当たり、象が暴れて兵士がふり落とされる。その横をすり抜けて、象の後ろにいたヌーン軍の隊列に突っ込む。悲鳴が上がる前に、彼らの首筋から血しぶきが噴き出す。


 誰も彼の槍さばきを、よく見えなかった。


「ここは通さない!」


「「わあああああああああ!」」


 しかしヌーン軍は勇敢であった。多くの兵士たちが立ち向かってくる。


 一人の兵士が、剣を振りかざして襲ってくる。


「うりゃあああ!……あ?」


 剣を振り下ろした時、彼の腕の先に“彼の手”がなかった。あっという間に、アキレスの槍が一閃し、彼の剣を握る手首ごと宙に飛んだのだ。


 悲鳴と共に、彼は手を抑えて地面を転がった。アキレスは気にすることなく、その兵士を馬で飛び越え、後ろにいた兵士を脳天から叩き割る。鼻から血が流れ、彼の意識が戻ることはなかった。


 彼が槍を振り回すたびに、血しぶきが舞う。悲鳴も上がる。


「暴れすぎだ」


 ヌーン軍の中から声をかけられ、騎兵が襲ってくる。


 アキレスがその騎兵に槍を突くと、彼は避けた。代わりに剣を振るってくるが、アキレスは槍の柄で受け止める。


 その騎兵、チェザーレが距離をとって、笑う。ヌーン軍の中で彼だけが余裕を保ち、7本に束ねられた長髪が躍っている。


「よう、元気そうじゃねえか、ケケ。いじめられ足りなかったか?」


「……お前には感謝している」


「ああ?」


 アキレスは彼に槍を構え、鋭いまなざしを向けながら、言った。


「自分の後ろに、自分を見ている人がいる。それに気づかせてくれたことだ!」


「……青くせえ」


 チェザーレは吐き捨てるように言った。こういう真っすぐなやつが、彼は一番嫌いだった。また殴り飛ばして、その頭を踏みつぶしたいぐらいに。


 両者の目に殺気がこもる。


「今度こそ勝つ!」


「ほざくな、クソガキ!」


 二人は同時に駆け出し、槍がぶつかり合う。パワーはアキレスの方が上だ。しかし、チェザーレは上手く受け流し、戦い続ける。鬼の形相のアキレスを、苦い表情のチェザーレがいなしていく。


 元々、攻め寄せてきたのはヌーン軍である。チェザーレとしては彼に攻め勝ち、ヌーン軍の進路を開けないといけない。ところが、アキレスは全く隙を見せない。


 怒りしかなかった前回の戦いとは異なる、冷静さが彼にあった。


(ちっ、変に立ち直りやがって)


「さあ、どうした!」


 守り一方になるチェザーレの姿に、ヌーン軍は動揺する。そして勢いづくウォーター軍相手にじりじりと後退していく。頼みの綱の戦象も止まってしまい、勇気あるウォーター軍の兵士に飛び掛かられ、倒されるものもあった。


 チェザーレの肌に、玉のような汗が流れる。彼にも後ろから見ている人がいる。あの王子の機嫌を損ねるわけにはいかない。


 彼の焦りが腕に現れる。彼の槍は、アキレスが太い腕で振るった槍に弾き飛ばされた。


「クソッ」


「どうした。あの不気味な笑い方をしないのか」


 アキレスがニヤリと笑って挑発する。調子に乗っているわけではない。彼には確かに実力があった。


 チェザーレは腰に吊るしていた剣を抜く。しかし、これでかなり不利になった。


(次で決める)


 アキレスが槍を構え直したその時、チェザーレを救う、ウォーター軍の伝令が彼に近寄ってきた。


「アキレス様!撤退命令です!」


「なんだと?!」


「敵が回り込みました!」


 伝令役が報告するには、ヌーン軍が強行突破して迂回して、ダヴィがいる本陣に攻撃を開始したという。実はしびれを切らしたピエトロ王子が、犠牲を無視して行軍させた結果であった。それが功を奏して、側面攻撃を成功させたのだ。


 今は攻撃を跳ね返しているが、次々とヌーン軍が増えてきている。それを考慮して、ダヴィは早々に城への撤退を決めた。


 アキレスは下唇をかんで、チェザーレに向き直る。


「勝負は預ける!また今度だ」


 アキレスたちウォーター軍は下がっていた。ヌーン軍がそれに追いすがろうとするが、今までの押されてきた流れがあるため、追う勢いはない。


 チェザーレのもとに、彼の槍を拾ってきた兵士が近寄ってきた。


「チェザーレ様、これを」


「…………」


 チェザーレはそれを貰うと、槍の柄でその兵士の背を思いっきり打った。恩をあだで返され、息がつまり、その兵士はうずくまる。


 チェザーレは憎しみと怒りで体が震えていた。真っすぐ、アキレスが逃げていった方向を睨む。ピエトロ王子から任された先陣の役割を果たせなかった。自分への評価が下がる。俺の地位が危うくなる。


 どうやって殺してやろうか。やつに屈辱を味合わせなければならない。彼は微笑む。それだけを楽しみにして、馬の手綱を打った。


 馬を走らせながら、チェザーレは叫んだ。


「せいぜい城の中で震えていろ!あっさりなんか、殺してやるものか!この世で一番の恐怖を味合わせてやる!」

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