第36話『炎の中の決闘』

 炎が人を襲う。


 ヌーン軍の兵士が鎧も着ずに逃げまどい、チュール城を悲鳴で満たしてく。適当に設置されていたテントが延焼を助け、ヌーン軍の物資を全て燃やしていく。


 その時、彼らに救いの声が聞こえた。


「南の門が開いている。そこから逃げるんだ!」


 すでに指揮系統は破綻している。ヌーン軍は命令を待つことなく、ただ猛然と南の門へと向かって逃げていく。殺到しすぎて、門の前で渋滞を起こしている。


 その様子を、ダヴィとジャンヌは城壁の上から眺めていた。ジャンヌは身を乗り出し、茶色の三つ編みを垂らしながらヌーン軍の兵士を見ている。


「ねえ、逃がしてよかったの?」


「ああ、これでいい」


 ダヴィが恐れていたのは、この燃える城の中で組織的な抵抗をされることだ。数は圧倒的に劣る。もしかすると返り討ちにあう可能性があった。


 そこで、ダヴィたち5千人総力で、事前に指揮官クラスの将校を優先して殺し、南の門をわざと開け、そして開いていることを知らせまわった。これで多くの兵士が逃げてしまった今、ダヴィたちに抵抗する者は少なくなる。


 これはピエトロ王子にとっても大誤算であった。


 ふーん、と納得しているジャンヌは、ある人の姿が見えないことに気が付いた。


「あれ?アキレスは」


「彼は」


 ダヴィは炎の中を見つめる。彼のオッドアイは、その中を駆けるアキレスを見出していた。心の中で応援する。


「決着をつけに行ったよ」


 ――*――


 チェザーレは炎の中を駆け抜け、部下を集めようとしていた。しかし、誰も彼のもとに来ない。いら立つ彼は、他の部隊の兵士たちに声をかける。


「おい!逃げるな!」


「勘弁してくれ!こんなところじゃ戦えねえよ」


「だいたい、ここで戦って、誰から手柄を貰うんだ?!」


 口々にそんなことを言って、彼らは逃げていく。個人の手柄を大事にするヌーン軍では、自発的に組織として動くことは少ない。上位者に功績を確認してもらえない場面では、動くことすらしない。


 チェザーレは彼らを引き留めなかった。普段は、彼も同じ気持ちだ。


 しかし、この時の彼は別の感情で動いていた。


「クソが。あいつをぶっ殺さないといけねえのに」


 その機会は、向こうからやってきた。


「チェザーレ」


 聞き覚えのある、今一番聞きたい声に、呼びかけられる。チェザーレは満面の笑みで振り返った。


 アキレスが剣を抜いて立っている。黒い短髪が周りの炎で赤く染まる。彼の目には、その炎のような闘志が灯っていた。


「よう。よく俺の名前が分かったな」


「ある兵士に吐かせた。探したよ」


「ケケ。俺もだぜぇ」


 周りの火の勢いが強くなった気がした。このまま城を飲み込むだろう。しかしそんなことは、この瞬間から、彼らには関係なくなった。


 チェザーレは剣を抜く。剣の刃が赤く光る。チェザーレの目はどす黒い闘志が灯る。


「褒美なんかいらねえ。おめえの首だけで十分だ!」


「一応聞いておくが、降伏する気はないか」


「一応聞いておくけど、黙って殺されてくれねえかなあ」


 それだけ言うと、チェザーレは笑みを収めた。


 お互いに剣を構える。周りの温度が高まり、肌に汗が伝う。


「いくぞ」


「来い」


 アキレスから打ちかかった。剣を真上から鋭く振るう。チェザーレはそれを素早くかわした。


 今度はチェザーレが横にぐ。腹部を狙った攻撃を、アキレスが防いだ。


 ギンと音が鳴る。ばさりとチェザーレの長髪が舞う。


 チェザーレは剣を引いて、二三歩退く。いつの間にか息を止めていたらしい。お互いに深く呼吸する。


「終わりか?」


「ケケ。まだまだ」


 チェザーレは片手で剣を持ち、鋭く突いてくる。アキレスがはじき返す。しかし何度も突いてくる。


「そらそらそら!」


「…………」


 アキレスは冷静にはじき返す。その剣筋を全て見切っていた。


 やがて焦ったチェザーレが、より腰を入れて突いてくる。それをアキレスが強くはじき、チェザーレの剣が飛ばされた。


 だが、それがチェザーレの策だった。


「ほら!また決まった!」


「くっ」


 チェザーレが素早く懐から袋を取り出し、中身の細かい粉をアキレスにばらまいた。あの時と同じように、アキレスの視界が奪われた。


 この時を待っていた。アキレスががむしゃらに振るった剣をよけながら、チェザーレは高らかに笑う。


「どうした?再び騙されやがって。またいじめてやるぜ!」


「くそう!」


 アキレスは目をこすりながら、うずくまってしまう。


 チェザーレは飛ばされた剣を拾い上げ、ゆっくりと近寄ってきた。


「ほらほら、お楽しみの時間だ」


 彼の7つに分け束ねた長髪が嬉々として揺れている。炎に照らされて赤く染まるチェザーレの笑顔が、アキレスに近づいてくる。


 ケケ、と彼の声が響く。


「この時を待っていたぜぇ」


 彼の目の前に来て、剣をぐるぐると回す。そしてピタッと止めると、大きく振り上げた。


 狙いは彼の首筋だ。


「グッバイ」


 チェザーレの剣が振り下ろされる。


 その時だった。おもむろにアキレスが振り返り、振り上げた剣でチェザーレの剣を再び弾き飛ばした。


 唖然として、チェザーレの動きが止まる。


「はあ?!」


「終わりだ!」


 アキレスは振り上げた剣をそのまま下ろし、チェザーレの胸を縦に斬り裂いた。


 ブシュッッ!その剣筋と同じように、彼の血が縦に飛んだ。チェザーレは後ろにそのまま倒れた。


 アキレスはためらわない。倒れた彼の胸に剣を突き刺す。チェザーレには防ぎようもなく、剣が体に沈んでいく様を見ているしかなかった。


「がああ……」


「…………」


 アキレスが静かに剣を抜く。噴水のように、血が噴き出していく。彼の命が消えていく。


「ケケ」


 それを見て、彼は悟った。大の字になり、最期の時を荒い息遣いで味わっていた。彼の長髪がバラバラと地面に散らばり、血がしみ込んでいった。


 アキレスは彼の顔を見た。不思議と穏やかな顔だった。


「……ようやく……終わりだ」


 チェザーレは声を絞り出す。虚ろな視線を空に向けていた。


 空だけは今日も変わらず、星々がきらめいている。


 彼のかすれた声を、アキレスは聞く。


「こんな……ガキに騙されるなんて……俺も、やきが回ったな」


「騙したわけじゃない」


 アキレスがうずくまっていたところに、小さい水筒が落ちていた。彼はチェザーレが例の手を使ってくると見越して用意し、あの一瞬の間に目を洗ったのだった。


 それを説明すると、チェザーレは小さく笑う。


「……ケケ……あの時、殺しておくんだったぜ……」


 チェザーレはヌーン軍一番の戦士を自負していた。それを倒したアキレスに、もう憎しみの感情はなく、淡々と語りかける。


「なあ、アキレス……お前はなんだ?」


「なんだ、とはなんだ?」


「俺は、あの王子の、道具だった……」


 側近に選ばれた時から、彼を楽しませること、自分の武勇を誇ることだけを考えて行動した。道具として有能であることを、いつも証明してきた。それがスラム街から這い上がってきた、彼の処世術だった。


 彼は言う。


「俺たちは、自分の矛先が向かう先を、自分では決められない。いつも上に決められていた。俺たちは剣そのものだ……」


「それは……違う」


「違わねえさ……国が狂えば、高潔な騎士も狂う……俺は王子を真似して、いかれていたのさ……」


 王子よりも狂う。それが一番、王子を楽しませる。彼は狂人を演じるうちに、いつしか狂人そのものになった。


 だいぶ年下の、自分を殺した彼に、助言する。


「良い道具になれよ……自分を選んでくれた主のために、自分を使え……」


「アドバイスしてくれるのか」


「……ああ?」


 彼はようやく自分が言ってきたことの意味を理解した。それと同時に「ケケ」と弱々しく笑う。


「……まったく……がらにもねえ…………」


 閉じられた彼のくぼんだ目が、再び開かれることはなかった。


 アキレスはしばらく彼の顔を眺めていた。炎が彼らに近づく。この中で、チェザーレの身体も、彼の思いも、燃え消えるのだろう。


 戦士とはなにか。アキレスの答えは、この業火の中では出ることはなかった。


 ――*――


 ダヴィのもとに急報が入ってきた。報告しに来た兵士が、大声で伝える。


「ピエトロ王子、捕縛!」


「なんだって!?」


 まさか敵の大将を捕縛できるとは思わなかった。驚くダヴィたちの前で、兵士は方向を続ける。


「屋敷の中で発見!暴れまわりましたが、ようやく捕縛できました!」


「屋敷に……」


 屋敷とは、ダヴィたちが宿舎にしていたあの大きい建物のことだろう。そこに居続けたなんて、よほどの自信があったのか。逃げていないことが信じられない。


 この奇跡のような戦功に、心が弾む。ダヴィは周りにいたジャンヌたちウォーター軍に宣言した。


「これでこの戦いは終わりだ。この戦い……」


 ダヴィは天高くこぶしを突き上げる。左右色が異なる目が輝く。その姿を一同は感動した面持ちで見ていた。


「僕たちの勝ちだ!」


「「「うおおおおおおおおおおお!!」」」

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