第37話『最後の教育』

 凱旋するウォーター軍の足取りは軽やかだ。


 大将であるピエトロ王子が捕らわれたことでヌーン軍の敗北が決まり、彼らは三々五々に首都へと戻っていった。チュール城は焼失してしまったが、これで敵が攻めてくることはないだろう。


 第一、ウォーター軍の手には王子の身柄がある。彼らは歯向かうことが出来ない。


 そのピエトロ王子は、行軍するウォーター軍の中心で動く護送車の中にいた。荷馬車を頑丈に改造したものに入れられている。彼の表情はよくわからないが、いいものではないことは間違いない。


 ところが、表情を曇らせているのは彼だけではなかった。ウォーター軍の後ろから亡者のように無表情で着いてくる集団がいた。


 カボットを始めとした、ピエトロ王子の側近たちである。


 彼らはウォーター軍に強制されて連れられているわけではない。彼らはただピエトロ王子が心配で、自発的に着いてきているのだ。全く荷物を持たず、先の戦闘でボロボロになった体と服を引きずりながら、ただ歩く。恐らく、ウォーター軍が捕えようとすれば、彼らは喜んで捕まるだろう。それほど、ピエトロ王子に忠誠を尽くしているのだ。


 ダヴィは不憫ふびんに感じて、わざわざ彼らのもとに行く。そしてひざまづく彼らの前で伝えた。


「我々はウォーター王の前で彼を裁く予定だ。それまで彼を害することはない」


 そして彼らに食料を分け与えた。カボットが代表して、涙を流しながら感謝する。


「ご寛大なお心に感謝いたします。あなた様のお言葉は、天に昇りし太陽にも、地に潜みし月にも聞こえていましょう」


 彼の言葉は巧みである。こういうことでダヴィの言葉を、太陽と月への誓いの言葉にすり替えてしまったのだ。


 しかしこうした試みも、ダヴィには敗者の強がりにしか思えず、あわれんで、その言葉を否定しなかった。


 その様子を聞いて、護送車の隣にいたライルが独り言を言う。


「まったく、そんなに王家って言うのは素晴らしいものかね」


 その言葉を護送車の中で聞いたピエトロは、それに答える。


「当然だ」


「うおっ」


「王家とは愚民を導く責任があり、だからこそ尊敬される存在なのだ」


「…………」


 急に話始めたピエトロに、ライルが驚く。護送車に入れこまれた時には大分暴れてくれたが、今では大人しく運ばれている。声を聞いたのも久しぶりだ。


 ライルが何も答えないまま、彼の独白が続く。ターバンを失って乱れた彼の黒髪が、彼の褐色の顔を隠す。ライルは彼の表情が見えなかった。


「……これは何かの間違いだ。俺はヌーン家の王子だ。こんなはずじゃない」


「こんなはずじゃないって、王子さまはそんなに偉いのかよ」


「当たり前だ!俺は正しい!俺は間違っていない!」


「…………」


「生まれながらに尊敬される存在なのだ……こんなのは、間違っている……」


 ライルは舌打ちした。もし血統だけで尊敬されるのならば、サーカス団出身で元奴隷のダヴィはどうやって兵士の敬意を集めたと言うのか。


 ライルは坊主頭をぼりぼりとかき、1人呟く。


「ダンナの方が、百万倍偉いや」


 そうこうしているうちに、ウォーター軍は宿営地に着いた。ここはチュール城にあった食料など物資を仮置きしていた場所である。


 ここで待っていたグスマンが、ダヴィを迎える。短い腕を大きく広げて、喜びを表す。


「素晴らしい結果でした。お見事です」


「ありがとう。グスマンのおかげだ」


「かっかっ、儂はちょっと知恵を貸しただけですじゃ。それを実行するかどうかは、大将の責任。それを完遂されたのですぞ」


 だから、これはダヴィの功績である。と彼は断じた。ダヴィは照れ臭そうに頭をかいた。


 その時、護送車が到着した。その中から降りて来る人を、ダヴィが確認する。


「この短時間で、少しやつれたか」


 ターバンで束ねない長髪がだらりと肩にかかっている。捕まった際には青筋を立てて怒っていた顔も、今では青白く弱々しく見える。王族のため手かせはつけられていないが、明らかに敗者の姿だ。


 トイレで降りてきたと思われる彼は、用を済ませると、すぐに護送車に連れ戻されていく。


 その彼に近づく影があった。グスマンだ。


「お、おい!」


「……!」


 ライルと、彼が連れていたピエトロが驚く。


 グスマンは老人とは思われない素早い動きで近寄る。彼の顔を鋭く見つめながら。


 そして、彼はピエトロの前で、平伏した。


「は?」


「…………」


 ピエトロはじっと彼を見る。そして、彼の正体に気が付いた。


「……グスマン=ガストール!お前か!」


「……お久しゅうございます。ピエトロ王子」


「なぜ、ここに」


 グスマンは顔を上げて、彼に笑いかけた。その顔を見て、ピエトロは再び驚く。


「随分と、やつれたな」


「王子に追放されてから、あちこち放浪しましたからな。かなり身軽になりました」


 かっかっと笑う。その笑い方を覚えているのだろう。王子の目が細くなる。


 だが、次の瞬間、その眼が見開かれた。彼がここにいる意味を理解したのだ。


「これまでのウォーター軍の作戦は、まさか……」


 グスマンの笑みが深くなる。いたずらがばれた子供のように、笑いながら白状する。


「お気づきの通りです。私が立案し、王子が率いるヌーン軍を打ち破りました」


「な、なんだと!?貴様!」


 グスマンに殴りかかろうとする彼を、ライルとスコットが押しとどめる。興奮する彼に向かって、グスマンはのんびりとした口調で語る。


「敵が逃げても油断しない。そもそも戦いを楽しまない。儂が教えたことをことごとく破ってくれましたな」


「言うに、事欠いて、説教か!?」


「説教!久しぶりにしましたな。いやあ、懐かしい」


 毒気がない彼の笑みに、ピエトロの怒りが徐々に収まってくる。彼らは、以前のように、“先生と生徒”の関係に戻っていた。


「なぜ、こんなことを……?」


 裏切りなんて、彼らしくない。グスマンの性格を知っているピエトロは、彼の行動に疑問に思う。


 グスマンは淡々と昔の話を語り始めた。


「王子と初めてお会いしたのは、もう20年も前のことですかな。王子は幼く、私の顔を見ただけで泣いてしまわれたことを思い出します」


「…………」


「そして、儂は教育係として、王子を厳しく教育したつもりでした。しかし、今思えば、厳しすぎたのかもしれません。王子は成長するにつれ、他の臣下が勧めるままに、色々な快楽を楽しまれた。その度に儂は折檻せっかんしましたが、王子はりなかった」


 そして最終的には、グスマンは教え子であるピエトロに、追放されたのだ。


「王子、儂はもうすぐ死にます。もう長くはない」


 それが分かった時、彼は唯一の心残りであることを解消しようとした。王子の教育である。


 グスマンは再び平伏する。


「王子の慢心をたしなめ、心を入れ替えてもらうための、荒治療でした。このような方法しか思いつかない、無能な師をお許しください」


「グスマン……」


 ピエトロは肩を落とす。出来の悪い自分が迷惑をかけている。それを思うと、心が苦しい。


 彼の表情を、グスマンは満足そうに見ていた。これで、彼の企みは達せられた。


 最後のけじめを、彼は話す。


「王子は恐らく帰国できるでしょう。多くの代償を必要としますが。その際に、儂も同行いたします」


「は?なんだと?」


「儂もヌーン国に行きましょう」


「グスマン!」


 ダヴィが叫ぶ。彼は裏切り者なのだ。いくら王子が許したとしても、ヌーン軍を大敗させた彼の罪は消えず、死罪は免れないだろう。それがダヴィには予期できた。


 ピエトロもそれを理解する。その上で、グスマンの行動が理解できない。


「グスマン……なぜだ……」


「これが最後の教育となりましょう。この意味は、王子自身がお考え下さい」


 ああ、これがグスマンの死に場所なのだ。ダヴィは分かった。


 自分の死も活用して、彼を教育する。国のために死ぬということを、国のために全てを尽くすということを、彼に教えているのだ。


 ピエトロは黙って護送車に戻っていった。この意味が分かるころには、彼は本当の意味で変わるのだろう。


「グスマン」


 ダヴィがピエトロを見送るグスマンに声をかけた。今度はダヴィに平伏する。


「ダヴィ様、こんなジジイの企みを遂行させていただき、感謝のしようがございません」


「……もう、決意は変わらないのかい?」


 グスマンはかっかっと笑う。いつもと同じように、禿げた頭をぺしぺしと叩きながら、陽気だった。


「道端で飢え死ぬよりも、マシじゃろうて」


「……分かった」


 ダヴィはかがむと、彼の手を取って握る。グスマンは握りかえして、最後に言った。


「よき大将におなりなさい、ダヴィ様」


「うん」


 ダヴィは思わずポロリと涙をこぼした。それを見て、またグスマンが笑う。


 ダヴィの人生の中で、師は多い。その中でもグスマン=ガストールは、大きな存在を占めていくことになる。


 夏が近くなった暑い晴れの日、ダヴィは大事なことを教わった師と別れることを決めた。

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