第4話『聖女が示した運命』

 この街での公演スケジュールも終わりが見えてきた。ジャンヌは暗くなったテントの中で、ランプに火をつける。


「だいぶ、日が落ちるのが早くなったね」


「そうね」


 椅子に座るトリシャは、エラをポンポンと軽くたたきながら抱いていた。エラはうとうとして、金色のまつ毛で縁取られた大きな目が閉じかけている。トリシャのエラをあやしている姿は、ますます板についてきた。


 ランプの淡い光に照らされたトリシャとエラは、金髪同士であることもあり、本当の親子のように見える。ジャンヌがその姿に見とれる。


「ホントに自分の子にしちゃえば」


「あら?私はもうそのつもりよ。ダヴィが踏ん切りがつかないだけで」


「まあ、思うところがいっぱいありそうだからね」


 もうすぐ2歳のエラは、父のシャルルや母のカトリーナの特徴が顔に表れている。その眼つきや顔立ちを見て、ダヴィは懐かしそうに、悲しそうにしているのを見ている。


 そんな彼が昨日、エラに「パパ」と呼ばれた時は、ひっくり返りそうになって驚いていた。その様子を思い出して、トリシャとジャンヌはくすりと笑う。


「3人で仲良く暮らしまちょうかねー、エラ?」


「あー、あたいらのことを忘れちゃ困るよ!」


「うー」


 エラがぐずった。ジャンヌは慌てて口を閉じると、エラはまた落ち着いた。2人はほっと胸をなでおろす。


 ジャンヌは眉間にしわを寄せ、茶色の頭をかく。


「あたいにはやっぱり子育ては無理だな」


「ふふふ、そんなことないわよ」


 将来、ジャンヌは6人の子どもを育てることになるのだが、この頃の彼女には想像がつかなかった。


 3人がくつろぐテントに、アキレスが入ってきた。


「ジャンヌ、ダヴィ様を知らないか?」


「ダヴィ?ここには来てないけど」


「おかしいな。どこにもいらっしゃらないのだが……」


 アキレスは短い髪に手を当てて悩む。トリシャが微笑んで、彼に話しかけた。


「たぶん散歩よ。今日は星がきれいだもの。こういう夜に1人で歩くのが、彼は好きなの」


「はあ、そうなのですか」


 アキレスはあいまいに返事をする。何度も彼女から「気楽に接して」と言われるが、将来の主君の妻であると思うと、緊張してしまう。第一、彼はおしとやかな女性が苦手だった。もちろん、ジャンヌはその部類に入らない。


 トリシャは縮こまる彼に、また言葉をかけた。


「心配しなくても大丈夫。気にかけてくれて、いつもありがとうね」


「い、いえ!それが役目ですから!」


「警備のお仕事で疲れているでしょうに。勝手に帰ってくるから、もう休んでいいから」


 ちょうどよく、エラが小さな口を開けてあくびをした。つられてジャンヌもあくびをする。


「そろそろ、私たちも寝ましょうか」


「そうだね。今日も疲れちゃったよ。アキレス、おやすみー」


「お、おやすみなさい」


 アキレスはすごすごと帰っていった。トリシャはエラをベッドに運び、寝かしつける。その間にジャンヌはランプの灯を消して回った。


 部屋が暗くなると、煌々こうごうとした月明かりがテントに入ってくる。今日は満月だ。


「まったく、あんたのお父ちゃんはどこにいるんだろうね」


「ふぁ」


 ジャンヌが話しかけた言葉に、エラはあくびで返した。トリシャがそれを見て、またクスリと笑った。


 ――*――


 ここはどこだろう。


 そんなことを考えついた時、ダヴィはサーカス団の宿営地から遠い場所にいた。町からも離れ、道からも外れて、あたりに人影どころか光すらない森の中、ぼんやりとした頭で必死に考える。


 なぜ、こんなところに来たのだろうか。自分の行動にやっと疑問を抱く。


 森のどこかで、フクロウが鳴いた。


「早く、帰らないと」


 あてもなくしばらく歩き、気が付くと、彼は大きな石の前にいた。あれほど鬱蒼うっそうとしていた木々が、その石のまわりには生えていない。まるで避けているようだった。


 ここはどこだ。再び思う。


「なんだこれ?」


 彼の手にはいつの間にか、聖女像が握られていた。あの川で吊り上げた聖女像だ。


 なぜ持っているのか。なぜこれしか持っていないのか。検討がつかない。


 ダヴィはその聖女像を眺め、そして目の前の石を見た。


 “この聖女像は、この石の上にあるべきだ。”


 そんな考えが不思議とわいてきて、何の疑問を持たず、聖女像を石の上に置いた。


 冷たい風が吹く。ダヴィが空を見上げると、巨大な月が輝いていた。星々がその輝きに息をひそめるように存在を消し、彼の目はその黄色い月にくぎ付けになった。


「ダヴィ」


 背後から声がした。先ほど聖女像を置いた方から聞こえる。


 ダヴィがおそるおそる振り返ると、石の上に立つ女性がいた。白くて薄いドレスを着た、ショートカットの女性だった。


 髪も、眉も、唇も、瞳さえ、白い。そして神々しく、美しい。ダヴィは思わず見とれてしまう。


 そして彼は思い出す。この女性に会ったことがある。


「あの時、ベッドの横にいた……」


 白い女性は微笑んだ。それだけで、ダヴィにはすべて分かった。


 彼女はゆっくりと語りかける。心の底まで響いてくるような、不思議な声だった。


「ダヴィ、あなたはどうする?」


「え?」


「このまま平穏に暮らすか。それとも……」


 彼女の雪のような色の眼が細くなる。微笑みを消し、ダヴィの心を覗いてきた。


「主君の意志を継ぐか」


「…………」


 ダヴィは言葉を失う。それはこの半年の間、ずっと悩んできたことだ。自分の役割を、自分の運命を、彼は考え続けてきた。


 彼の脳裏に思い出される。金色の髪をたなびかせた、かつての主君の雄姿を。自分を育ててくれたシャルルの優しさを。彼の無邪気な微笑みを。


 ダヴィはひとつ深呼吸をし、そして決断する。


「僕はシャルル様の理想を叶えたい。強き王が国を束ね、貴族に限らず有能な者たちが政治を行う。そんな理想の国を作りたい」


 彼女は穏やかに微笑んだ。白い唇が動く。


「過酷な道。それでもよいか」


「……それでも、いい」


 彼女は両腕をダヴィに向けて伸ばした。彼を祝福するように手を広げて、白いドレスが舞う。その言葉を、待ち望んでいたようだ。


 そして彼女は腕を下ろし、今度は左腕を森の奥へとむけた。ダヴィを見つめたまま、伝える。


「東へ」


「東……」


「クロス国の北の大地、森の奥で救いを求めている者がいる。それを助けよ」


 それだけ言うと、彼女の影が薄くなり始めた。消える。ダヴィは慌てて尋ねる。


「あ、あの!あなたはいったい?!」


 白き女性は口角を上げる。その白色の眼にダヴィを映し、こう答えた。


「太陽と月の間……あなたが知るすべてからやってきた」


「僕が知る、すべて……?」


「さようなら、ダヴィ。わたしはあなたを見ている……ずっと……」


 女性の姿が消える。その瞬間、ダヴィの視界が暗転した。


 ――*――


「はっ」


 意識がはっきりすると、そこはサーカス団のテントの中だった。自分のベッドの隣で、呆然と立っていた。


 テントは暗く、開け広げられた入り口からは、肌寒い風が入り込んでくる。ダヴィは目の前の光景が理解できない。


(そんな馬鹿な!?僕は確かに……)


「ダヴィ様?戻ってこられたのですか?」


 驚いたのは、ダヴィの姿を発見したアキレスもである。さっきまではいなかったはずなのに、いつの間にここまで帰ってきたのだろう。彼は首をかしげる。


 ダヴィはアキレスに確かめようとする。


「アキレス、僕は……」


「ああ、こんなところにいたのかい。探したよ」


 長いスカートをはいた女性の影が現れる。ダヴィがランプをつけると、黒い髪を風に揺らせる、ロミーがいた。彼女はアキレスに一言感謝を伝えた。どうやらロミーの指示で、アキレスはダヴィを探していたらしい。


 ダヴィは唐突に、彼女に質問した。彼の脳裏に、あの女性の予言のような言葉が張り付いていたからだろう。


「あの、ロミー、今度東に、クロス国に行くことはある?」


 ロミーは目を丸くした。


「なんだい?どっから聞いたんだい?でもまあ、それだったら話が早いさ。私も次の目的地について、ダヴィに話しておきたかったんだよ」


「次の目的地?公演する場所ってこと?」


「そうさ。次の街は、クロス国の大貿易港として名高いフィレス」


 ダヴィの顔を指さし、ニヤリと笑う。ロミーの大きな目が細くなる。もちろん、ダヴィはその街の名を知っていた。


「あんたの家族がいるところさ」

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