第3話『不機嫌な女王』

アルプラザ山脈から流れる風はすでに冷たく、北ロッス大草原に住む動物たちは冬毛に着替え、豊富に落ちている木の実を食べ蓄え、長くて寒い季節に備える。草原に暮らす人々も、せっせと冬用の毛皮をつくろう。


 首都のモスシャにも冬を感じさせる北風が入り込んでいた。町の人々の服装は、段々と厚みを増していく。


 王城の窓からそれらの姿を見て、長い白髭を撫でながら老人は感想を述べる。


「今年の冬は早く始まりそうですな」


「あら?去年もそんなことを言っていなかったかしら?」


「おや、そうですかな。年を取ると忘れやすくなるものでして」


 冗談を、と同じ部屋の椅子に座るアンナ女王は、愛想笑いひとつも浮かべないウィルバードに対して思う。この国の宰相である「大白髭」がそんなことがあるはずがない。でなければ、この国の底知れぬ悪意に飲み込まれ、彼はすでにこの世にはいないはずだ。


 この王城には化け物しかいない。欲深な化け物しか。


 そして、その筆頭が、アンナである。それを思い返して、彼女は赤い唇でかすかに笑った、


「お呼びでしょうか」


 部屋に入ってきたのは、そんな彼女たちと共謀する「風の騎士団」団長・ハワード=トーマスである。強面こわもての鼻を横一線に走る大きな傷を見せながら、彼は女王に膝をついて挨拶する。


「ハワード、また“狩り”の話よ」


「次はどこに?」


「東のオムルの都市の近く、コサーカ族がいるわ。大きな部族よ」


「今回も生け捕りですか」


「当たり前よ。そうじゃないと意味がないもの」


 女王は白い頬に手を当てる。彼女たちはダヴィの作戦通り、地道に直轄軍を増強していた。異教徒を取り込み、ハワードに訓練させる。実際に先月、小規模な反乱を討伐した際には、その軍は遺憾いかんなく鍛えられた実力を発揮した。政敵のパーヴェル王子も注目する、危険な存在になりつつあった。


 その力を恐れて、女王に近づく豪族も増えてきた。風の騎士団を加えると、パーヴェル王子とほぼ互角の勢力を築いたとみえる。


 あと一歩で上回ることが出来る。彼女たちは手を緩めることはしない。


「必ずや、取り込んでみせましょう」


「頼んだわよ。さて……」


 今度はウィルバードに顔を向けた。赤い髪を撫で上げて、彼に尋ねる。


「ダヴィはどこにいるか、調べてくれたかしら」


「ええ、お調べしました。どうやらファルム国にいるようですな」


「ファルム国……」


「例のサーカス団と一緒にいるようです」


 女王も何度か観覧した「虹色の奇跡」というサーカス団にかくまわれているらしい。彼の部下たちも一緒だという。


「我々の方に逃げると嘘の情報を流して、まんまと東へ逃げたようです。相変わらず知恵の回る小僧ですな」


「そう。無事だったのね」


「いかがされますか?」


 政争激しい緊迫した状況である。普段から相談相手が出来て、いざという時には活躍する、彼の存在はほしい。


「こちらに誘いなさい。たっぷりとご褒美をあげると言ってちょうだい」


「ご褒美ですか……分かりました」


 アンナ女王は立ち上がる。そして雪が降りそうな暗い曇り空を、窓から眺める。今日も赤く染めあがった彼女のドレスと長い髪が、雲を通り抜けてきた薄い光に照らされる。


 そんな様子を見て、ハワードがウィルバードの近くにやってきた。大柄な彼は少し膝を曲げて、老人の耳に口を寄せる。


「陛下はいかがなされたのだ」


「最近はよく見るお姿じゃ。特に、あの小僧の話をするときはな」


「どうしてだ?」


「…………」


 ウィルバードは察しがついていた。しかし、自分がここで言うことは無粋ぶすいな気がした。


「……儂の苦手な分野のこと。分からん」


「そうか……」


 武骨な彼には想像もつかなかった。彼の大きな目に、ため息をつく妖艶ようえんな彼女の姿が映し出されている。


 ウィルバードは一度白髭を撫で、女王に尋ねる。


「しかし、あの小僧が断ったらいかがしましょうか。このままサーカス団で一生を過ごすと決めたのであれば」


「それはないわ」


 女王が振り返り、微笑む。彼女の言葉は確信に満ちていた。


「ダヴィの才能を世界が放っておくと思う?彼はもう表舞台に立った。そこから退くことはできない」


「世界が気づかなければ?」


「私がつかまえるだけよ」


 彼女の赤い瞳がきらめく。ウィルバードは唾をのんだ。そして頭を下げる。


「……必ずや、スカウトしてきましょう」


「よろしく頼むわ」


 ウィルバードとハワードは退室した。残ったアンナは再び窓の外を眺める。


 南の空は、まだ雲間から青い空がのぞいていた。あの先に、彼がいるのだろうか。


(憎い)


 ダヴィは自分を頼らず、あのサーカス団の女と逃げた。舞台で見たが、金色の髪をした可愛らしい女だった。確かに自分にはない魅力を持っている。だが、あんな女よりも、私の方がダヴィを夢中にさせるはずだ!


 自分を選ばなかった。その事実が、彼女の心にトゲのごとく刺さる。憎悪とも嫉妬とも表現できる黒いものが、そのトゲがつけた傷口から芽生える。


「この私を、じらそうっていうの?」


 こんな感情は初めてだ。彼女の髪よりも赤く、猛々しい炎が、彼女の瞳に宿る。


 彼女が思うことはひとつ。


 ああ、彼が欲しい。


「逃がさないわよ、ダヴィ。この世界においで」


 この世で最も恐ろしい女性が、南の空を睨みつける。彼女の中の欲深な化け物が、愛しい彼に食指しょくしをのばす。この国の権力も欲しいが、彼をつかみたい。私無しでは生きられないようにしたい。


 運命が2人を結び付けている。アンナはそう信じている。いや、そうさせようとしていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る