第15話『若き王と老将』
ヨハンは国外へ
「こちらも、もう雪が降っているな」
と馬車の中で呟く。足先が冷えるが、暖炉の温かさに頭が呆けてしまう部屋の中より、この場所が好きだった。ここなら
窓の外を眺めていると、騎兵が近寄ってきた。窓を開ける。
「なんだ?」
「寒いなら毛布を持ってきますが」
「いらん。大丈夫だ」
と言うと、騎兵は傍を離れた。ヨハンは苦笑する。
(まるで老人扱いだな)
それも無理はないだろう。もうすぐ五十歳。昨年、孫も生まれた。孫を抱いた時、グレーの髭面はだらしなく崩れて、妻に笑われた。いつまでも若手と
ヨハンは自分の手を眺める。手綱を常に持っていたゴツゴツとした手も、大分細くなったように感じる。最近は騎馬よりも馬車に乗る機会が増えた。平和になったとはいえ、「金獅子王の角」と評された最強騎士団を率いることが無くなり、少し寂しさを感じる。血の気が多い若い頃なら、先ほどの騎兵も「そんな気遣はいらん。任務に集中しろ」と怒鳴りつけてただろう、とヨハンはまた苦笑いを浮かべる。
(だが、平和が一番だ)
ヨハンが向かう先は、ミラノス。ダヴィと聖子女が居住する本拠地だ。クロス国が健在な時に何度が訪問したが、その様相は全く異なっているだろう。
彼の目的はダヴィとの協定を結び、平和を維持することだ。
(しかし、難しいだろう)
道中、国境付近に新しい建造物を見た。恐らく、ダヴィが建てている防御用の城だろう。彼らはすでにファルム国との戦争の準備を始めている。戦争の意志を固めている。
無理はない。悪いのはこちらだ。
(教皇の暴走は収まらんな)
教皇やその側近たちは、新しい聖子女を作り上げようと躍起になっている。もう候補の修道女は見つかり、儀式の準備を進めていると聞く。そうなればダヴィや現在の聖子女との対立は必至だ。ファルム国内でも反対論が根強い。
教皇はそんな状況を熟知している。だからこそ、ファルム国内の貴族を取り込もうと常に動いている。ヨハンも何度もアプローチをかけられた。ウンザリするほどに。
(このままではファルム国の歴史に汚点を残しかねない。自分が止めるしかない)
と覚悟を改めて決めた時、ヨハンは自分の心持ちに驚いた。
(おやおや、緊張しているな)
長年、
しかしその一方で、身一つで国を作り上げた手腕は
(まあ、楽しみにしておくか)
ヨハンを乗せた馬車は大勢の護衛を連れて、東へと向かう。細かい雪が混じる風が、彼らを出迎えていた。
――*――
(これは、若い)
とヨハンは心の中で驚いた。応接間で、目の前の椅子に座ったダヴィを見て、目を丸くしかける。自分の息子よりも若いかもしれない。
左右の目の色が違う、耳に大きな金の輪をつるした王が、ヨハンに話しかける。
「ようこそ、我が国へお越しくださいました。セルクス侯爵」
「王自ら歓待していただけるとは、恐縮至極であります」
と座りながら頭を下げる。その鷹揚とした言葉遣いに、ヨハンはまた舌を巻いた。
(いかんいかん。見た目に騙されるなよ)
と自分を注意して、ヨハンは向き直った。そしていつも以上に胸を張り、呼吸を整える。
「まずは南部の統一がお済になったと伺いました。おめでとうございます」
「ありがとう。一部はウッド国に逃げ込んでしまったが、なんとか治まりそうだ。これも聖子女様のご威光のおかげだろう」
とダヴィは顔に笑みを張り付かせる。ヨハンは内心苦虫を嚙み潰したような気分になる。
(“聖子女様”か。当てつけのつもりだな)
ファルム国が別の聖子女を擁立することに対して、暗に非難している。ヨハンはこれ以上立場が悪くなる前に、本題に入った。
「現在、貴殿の国との関係は友好とは決して言えません。我が王はその関係の改善を望んでおられる」
「それは結構なことだ。しかしながら、それを妨げる方がいるだろう」
とダヴィは教皇の存在を示した。彼がいる限り、関係の改善は望めないだろう。ヨハンも頷く。
「その通りです。両国の邪魔者は今、我が王のそばにおります」
「邪魔者、か」
とダヴィはヨハンの発言に驚く。ファルム国の重鎮であるヨハンがそのように罵るとは思わなかった。彼の真意が読めない。
「邪魔、と言うには、あの方を快く思われていないのか?」
「両国にとっての
と断言して、ヨハンは用意された紅茶をすする。華やかな香りに、いら立つ心が落ち着く。ダヴィは踏み込んだ発言をしたヨハンに質問する。
「そんなことを言って、大丈夫か?」
「ここには我が国の者はいない。配慮する必要はないでしょう」
クックッとヨハンは笑う。強面の髭面に深い皺がよじる。そして彼はダヴィに強い視線を向けた。
「貴殿が相応の態度を見せて頂けたら、こちらも対応しましょう」
「具体的には?」
「ファルム国に臣従して頂きたい。形だけで構いません。ウォーター国やウッド国と同じ態度を示してもらいたい」
「その見返りはどうされる?」
「教皇の放逐、または消しましょう」
ドスの効いた声で伝える。ダヴィはジッとヨハンの目を見た。暖炉の火で半分赤く染まる顔を見ていると、彼の言葉が嘘とは思えない。顎に手を当てて考えた。
その時、応接室の扉が開いた。入ってきたのはギコギコと木がこすれる音と、クスクスと笑う声だった。
「申し訳ありません。セルクス侯爵の冗談がおかしくて」
と失礼な発言を、青いキャスケット帽をかぶった車いすの少年がする。ダヴィはその態度に苦笑いを浮かべながら、ヨハンに紹介した。
「我が国で参謀を務めているジョムニ=ロイドだ」
「はじめまして、セルクス侯爵。失礼ながら、隣の部屋でお話を伺っていました」
と帽子も取らず、頭を下げるジョムニに、ヨハンはまた驚いた。
(恐ろしく若いな。この歳で参謀を務めているのか)
童顔で、車いすに座る彼は、見た目よりも若く見られることが多い。もっとも、彼はまだ十七歳だったが。
ジョムニはファルム国の重鎮相手に、ぬけぬけと発言する。全く
「その約束は無理です。嘘をおっしゃらないでください」
ヨハンの眉がピクリと動く。さすがにここまで言われてしまうと、心穏やかにはいれない。
「何が嘘なんだ」
「ファルム王は教皇の言いなりだと聞きます。その状況で、ファルム王の一番の側近であるあなたが、ファルム王の意向に背いて動くとは考えられない」
と歯に衣着せずに言う。ヨハンは目じりをつり上げ、机を殴った。周りにいた侍従が怯える。
「言いなりなどではない!」
「いいえ、言いなりです。現在、ウィンで大聖堂が建造しているそうですが、どなたが出資しているのですか?」
「…………」
ファルム王が教皇のために建造している大聖堂のことである。新しい聖子女と自分のために建てろと教皇が依頼して、ファルム王が一にも二もなく承諾した。ロースにある大聖堂と同規模の巨大さで、王家の財産の半分を費やす。ヨハンが悩んでいる問題の一つだ。ジョムニはそれを指摘する。
「そこまで入れ込む教皇を、ファルム王は切り捨てられますか? あなたが意見したとしても」
「む……」
「ファルム王はご自身の即位に助力してもらった恩を感じられている。さらに言えば、教皇が後ろ盾にいるから従ったファルム国の貴族たちもいます。そんな背景があるからこそ、あなたの提案は冗談に過ぎないと思ったのです」
とジョムニは断ずる。ヨハンは苦しそうな表情を見せた。
「……臣従しようとする者を叩きのめすのは、我が国の騎士道に反する。少なくとも戦争は回避できるはずです」
「それは“騎士”だけでしょう。教皇は違う。私は彼の騎士だったが、それを潰そうとしてきた。今度は違うと言えるのか」
とダヴィが鋭く言う。手段を選ばない教皇が今更、ダヴィやファルム国の体面を守るとは考えられない。必ず隙をついて、ロースへ戻って復権する謀略を立てるに違いない。
ヨハンは
「このままだと、必ず戦争になります。それでもよろしいのですか」
ファルム国とダヴィの国の力の差は明白だ。戦争になれば、その勝敗も明らかである。しかしダヴィは屈しない。ヨハンの目を直視して答える。
「納得できないことには賛同しかねる。セルクス侯爵、あなたの平和を望む試みは素晴らしい。しかし、屈辱に甘んずる時代は終わりました。俺たちは戦う」
「…………」
眩しさを感じた。同時に危うさも。自分にはないものだ。
(若気の至りか。それとも、誰にも負けぬ勢いか……)
交渉は終わった。ヨハンは立ち上がる。
「次は戦場でお目見えするでしょう」
「そうなれば、二度目だな」
「二度目……?」
「俺はウォーター軍にいました。南フォルムの大地で戦い、その後4か月籠城したよ」
ヨハンは記憶をたどる。そして6年前の戦いを思い出す。
「あの時の古城にいた……」
「死にかけたね。今度はそうならないといいのだが」
ヨハンは立ったまま、ダヴィを
「今度はすぐに終わらせましょう」
ヨハンは去り、ダヴィはジョムニに語りかける。
「交渉して、長引かせることも出来たんじゃないのか?」
「いいえ、駄目ですね。セルクス侯爵はあのように見えて、実はファルム王に甘い。ファルム王が教皇にそそのかされて意志を固めたら、彼も従わざるを得ないでしょう」
ジョムニはファルム王とヨハンの関係の近さを見抜いていた。お互いに気を使わない間柄では、利害よりも感情が優先されてしまう。その弱点を看破していた。
「そうか……ファルム軍が攻めてくるのはいつになるかな?」
ダヴィは口に手を当てながら、ジョムニに尋ねる。彼は少し計算した後、答えた。
「おそらく、来春。小麦の作付けが終わる頃でしょう」
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